【翻訳】老魔法使いフェルドンの物語:ロランの微笑み/Loran’s Smile【DailyMTG】
Jeff Grubb
2014年10月27日
元記事:http://magic.wizards.com/en/articles/archive/arcana/lorans-smile-2014-10-27
ロランはあの大破壊の10年後に死んだ。それはウルザとミシュラが起こした戦争によって世界の大半が破壊されたあとのことであり、またそれはアルゴスを消滅させ世界に永遠の変容をもたらした無秩序な大爆発のあとのことでもあった。
ロランの死因の一部は大破壊のせいと言える。彼女は戦いの中で死んだわけではない。なぜなら彼女は戦士ではなかった。彼女は魔法使い同士の決闘の中で死んだわけでもない。なぜなら彼女の愛したフェルドンと違い、彼女には自身に魔法の素養がないことを知っていたからだ。
彼女の死は陰謀に巻き込まれたためでもなく、激情に駆られたためでもなく、致命傷を受けたためでもなかった。
彼女はベッドで死んだ。その体は死から10年以上前に受けた傷によって衰弱していた。その傷をつけたのはミシュラの助手である「冷淡なる」アシュノッドであった。
衰弱していた体に追い打ちをかけたのは長い冬と冷たい山の空気、彼女の体に刻まれた長い年月、そして何よりもウルザとミシュラの作り上げた世界そのものだった。
初めの頃は、彼女も庭仕事や料理をするために動き回ることを苦にすることもなく、フェルドンも自身の仕事の傍らに彼女を助けていた。そのうち、庭仕事に出ることが出来なくなった。フェルドンも彼女を支えるため、その指示の元に出来うる限りのことをした。
そして、彼女は家事をすることも出来なくなった。フェルドンは近くの町から召使たちを雇った。彼女がベッドから起き上がれなくなったとき、フェルドンは彼女の傍らに座り、本を読み上げたり、自身の若いころの話をしたり、彼女の話に耳を傾けたりした。
しばらくして彼女の口へ食事を運ぶのも彼の仕事となった。
そして遠からずのうち、彼女が眠りのうちにその生涯を閉じたとき、フェルドンも彼女を長く見守ってきた疲れからその傍らで眠りに落ちていた。彼が目覚めたとき、すでに彼女の体は青白く冷たく、生命の吐息はすでにその肉体を離れて久しかった。
彼は召使たちに命じて家の裏手に墓穴を掘らせた。その横の今では蔦がはびこっている庭園は、その昔この家に住み始めたばかりの頃、ロランが面倒くさがるフェルドンに無理やり手伝わせて作ったものだった。
彼女は強い意志をもって何年ものあいだその庭園の手入れを続けてきたが、その後長く(その生涯の果てまで)続いた病の前に、ついに諦めざるをえなかった。そして庭園ははびこる蔦と冷たい雨へと明け渡された。
彼らがロランを永遠の休息のため横たえるときにも雨が降っていた。ロランはベッドのシーツにくるまれ、厚いオークの板で作られた棺に納められていた。
フェルドンとその召使たちは短い祈りの言葉をつぶやいた。そして年老いた魔法使いは彼の召使いたちが念入りに穴の中へ土をかぶせるのを見ていた。
フェルドンの涙は雨の中に溶けて行った。
その後の数日のあいだ、フェルドンは火の近くに佇んでいた。召使たちはロランにそうしていたように、フェルドンへ食事を運んだ。
フェルドンの書庫と工房はその後しばらく空虚な姿をさらしていた。本は閉じられ、鍛冶場は冷え、試薬と溶液はガラスのビンの中でただ静かなときを過ごしていた。
フェルドンは火を見つめ、ため息をついた。彼が思い出していたのは、ロランの手の肌触り、ロランのアーギヴィーア訛り、そしてロランの黒く厚みのある髪の毛だった。
しかし何より彼の心を占めていたのは、その微笑みだった。少し悲しげで、何かを悟ったようなその微笑み。柔らかで、見るたびにフェルドンの心を温めてくれた。
今ではフェルドンは第3の道を歩む者となっていた。ウルザともミシュラとも道を違える者、2人の相争う兄弟たちと彼らの奇跡的ともいえる技術力の産物の間隙に新たな道筋を刻むことのできる者。
山で過ごした記憶が満ちているその心からは強大な魔術の数々もまた引き出すことが出来た。猛火を生み出すことも、大地を動かすことも、雷雲のかたまりを生み出し意のままに操ることすら出来た。
しかし彼にはロランを癒すことも、その死に行く魂を救うことも出来なかった。彼女の中に命を留めることも出来なかった。彼の魔法は為すべきことを為せなかった。彼の魔法は、彼の愛を救えなかった。
老人はまたため息を1つつき、その手を火にかざした。彼はその脳の一部にしまわれていた記憶を、彼が過ごしたこの山々の記憶そのものを引き出した。
彼はこの土地から力を引き出すことが出来た。彼はその業をテレシアの町にある象牙の塔で、ドラフナやハーキル、また修道院の長や他の魔法使いたちとともに学んだ。
彼は精神を集中した。炎は薪から舞い上がり、その身をよじり、互いのうえにねじれたそれは柔らかな微笑みを形作った。
それはロランの微笑みだった。
彼にはそれが精一杯だった。
そして5回の日の出と5回の日没のあいだ、彼は炎の傍らに座っていた。そのあいだ、召使たちはフェルドンの妻を世話したように、遠からず彼を世話することになるのだろうか、と思いを巡らせた。
実際、フェルドンは健康な体ではなかった。太り過ぎの体は、その銀の杖(氷河の中心から彼が掘り起こしたもの)の助けなしには歩くことさえ困難だった。彼の黒いあごひげには今では銀色のものが混じるようになり、彼の目元は悲しみと老いからたるみを見せていた。
召使たちは、フェルドンが二度と暖炉の傍らから立ち上がることはないのではないか、と心配した。
6日目のことだった。フェルドンは暖炉から立ち上がると彼の工房へと向かった。
そうしてからすぐに、召使たちの前にメモが現れた。それに挙げられている品々を大至急あつめてくるように、と書かれていた。
メモに挙げられていたもの、それは厚い銅板、鉄の鋲、様々な金属を紐状に引き延ばしたもの、真鍮の歯車(真鍮が無ければ鋼でも可と書かれていた)、様々な形のガラス容器(これにはイラストとサイズが付いていた)。
さらには遠く南西へ送るように指示された手紙もあった。
それから2ヵ月のあいだ、工房は喧騒に包まれた。
フェルドンは再び鍛冶場に火を入れた。そして小さな金床が耳をつんざくような悲鳴を上げ始めた。山々に眠る魔法の力、それは火そのものであり、フェルドンこそがその支配者だった。
彼が命ずれば、その熱を適切な場所に必要な量だけ生じさせることができた。それこそがこの老いた魔法使いの力の本質だった。
命じた物が届き始めた。金属の紐、真鍮ではなく鉄の歯車、銅の板(一部は青銅)。ガラスの容器は若干要望から外れており、フェルドンはそれらを望む形にするために自らガラスを吹くこととなった。
さらに紐が届いた。それは馬のたてがみをつむいだもので、その長さと太さはまるで人の髪の毛のようにであった。
2か月後、フェルドンは自身の仕事の成果を眺め、首を振った。
関節はぎごちなく、腕は変な方向に突き出していた。頭は大きすぎ、髪の毛は材料そのもの、金属の紐と馬のたてがみの寄せ集めにしか見えなかった。目は単なるガラス玉より多少ましなものにすぎなかった。その肩の位置はあまりに高く、腰はあまりに大きかった。
それはロランには似ても似つかなかった。
口元のあたりに浮かぶ微笑みの虚像にのみ、ロランの思い出が漂っていた。
フェルドンはまた頭を振った。大粒の涙が目元に生じた。彼は金槌を振り上げ、目の前の機械人形を粉々に打ち砕いた。
そして、彼はまた一から始めた。
彼はロランのノート類を書庫に積み上げた。彼女はウルザ自身とともに学んだことがあり、今回の彼の企てに必要な知識について知っている可能性があった。
彼は金属の紐を束ね直し、それを腕や脚に通すことにした。今回は完成版の前に、まずは小型の模型から始め、それから実物大のラフな模型へと移った。彼は金属と鉱物だけでなく、動物の骨や木々も素材として用いることにした。
彼のガラス作製の技術も上がり、ついには近くの村に住まう老婆の目にぴったり合うガラスの義眼を作ってあげることさえ出来るようになった。
少しずつ、彼は機械人形をロランへと近づけていった。彼女を数多の素材から彫り出すかのように。
6か月後、彼女は完成した。
その人型に唯一欠けていたのは心だった。
フェルドンは辛抱強く待ち続けた。彼は工房で日々を過ごした。その機械人形を磨いたり、動きを試したり、組み直したりした。
彼が初めてロランに出会ったとき、彼女の両腕は無事だった。のちに彼女はアシュノッドによってその片方を失った。彼は同じようにその腕をつけかえた。そしてついに彼は人型を完全にすることに成功した。
それから1か月後のこと。
遠く南西から小包が届いた。ロランとフェルドンがテレジアの町の象牙の塔で学んでいた頃の知り合いである学者から届けられたものだった。
小包には優しく光る小さなクリスタルの欠片が入っていた。それは彼の目的の心臓部分に位置するもの、パワーストーンだった。大破壊ののち、パワーストーンは失われていく一方だった。しかしそれは今目の前にあった。
小包には短いメモが付随していた。そこに記されたサインはラト=ナムの学院長であるドラフナのものだった。メモにはただ一言「分かりました」とあった。
パワーストーンを手にしたフェルドンは、自分の指が震えていることに気付いた。クリスタルを両手に抱き、彼は機械人形に近づいた。工房の中央を守護するかのようにそれは立っていた。
彼はクリスタルが安置されるべき場所、人間の女性であれば心臓が位置する場所に敷き布を置いた。フェルドンはクリスタルを設置し、蓋を閉めた。
彼は機械人形を起動すべく、その左耳の後ろに手を回して小さなつまみに触れた。機械人形は生命のきしみを上げた。それはまるで操り人形が突然その紐を引かれたかのようだった。
その頭が振られ、片側にかしいだ。片足がひきつり、もう片足がだらんと垂れ下がった。片方の肩が少し下がった。
フェルドンは頷くとその手を上げ、部屋の反対側を指差した。ロランの形をした機械人形はきわめて慎重にその歩みを開始した。まるで長い船旅の果てに久しぶりに地面を歩く女性のように。
彼女が工房の端に辿りつく頃には、その歩みは普通の人間のそれだった。反対側に辿りついた彼女は振り向き、元の位置へと歩いて帰ってきた。
そして微笑んだ。内側に隠された金属の紐が唇を反らし、真鍮製の歯が見えた。その微笑みは完璧だった。フェルドンは微笑み返した。ロランが彼を残して去ってから、初めて心から笑みを浮かべた。
毎日、機械人形は彼の工房で静かに立っていた。フェルドンはそれに話しかけたが、動かすには命令する必要があった。
最初の1ヶ月はそれでも十分満足だった。
しかしそれはあまりにも静かだった。甲高い金属の歯車が回る音と金属の紐がひきつれる音を除けば。
最初のうちはフェルドンはそれでもいいと思った。しかし1ヶ月が過ぎたところで、彼はいら立ちを覚えるようになった。それから彼は耐えられなくなった。
その沈黙と金属製の唇に浮かぶ完璧なまでの微笑みに耐えられなくなった。それはまるで彼をなじるように、そしてあざけるように見えた。
彼はそれに話しかけた。そのたびに彼はそれが返事をするはずないことを思い出させられた。彼が生み出したロランは銅の肌と歯車の関節を持った化け物にすぎなかった。それは彼の愛した女性ではなかった。
ついに彼は、彼女の耳の後ろへと手を伸ばし、小さなつまみに触れた。彼女は停止した。動力が失われるにつれて彼女はその体をこわばらせた。しかしその微笑みは口元に残り続けた。
フェルドンは彼女の心臓からパワーストーンを取り出し、その石を棚に置いた。そして動きを止めた機械人形を庭園に置いた。ロランの墓を守らせるかのように。
1週間も経つうちにその金属製の歯車は錆びつき、機械人形は動きを止めたままの姿勢を変えることなく立ち尽くすこととなった。そのガラスの瞳は世界を映したがそれを何一つ理解することはなかった。
その1週間のあいだにフェルドンは再び暖炉の傍へと戻っていた。揺れる炎をただ見つめていた。まるでその中に彼の知らない秘密を隠しているのではないかと疑うかのように。
その週の終わりに彼は冷たい雨の中、家を後にした。あとに残した召使たちに留守を頼んだ。彼は小さな馬車に乗って町を離れた。馬車は東へと向かった。それは兄弟戦争によってもっとも大きな被害を受けた方角だった。
旅する先々で彼は人々に問うた。
誰か力ある魔法使いを知らないか、と。
象牙の塔が破壊される前は魔術の道を探求する者も多くいたが、テレジアの町が蹂躙されたのち、彼らは散り散りになってしまっていた。しかしどこかに生き延びたものがいるはずだった。
彼は商人たちに尋ねた。乞食たちにも尋ねた。農夫たちにも僧侶たちにも尋ねた。
尋ねた相手のうち、一部は彼が狂っているのだと考えた。また一部は彼を恐れた。この大破壊を引き起こした恐るべき魔法の力を再び呼び起こそうとしていると考えたのだ。
しかし彼の探し求めるものを理解してくれた者もいた。そんな彼らの中に、フェルドンと同じく第3の道を歩んだ賢者や隠者について知っているものも少数だが存在した。
そうするうちに「垣の魔道士」のうわさを聞くようになった。
彼は、馬車を東へ向けた。
フェルドンはその魔道士をサリンスの町の近くにある廃墟で見つけた。サリンスの町はミシュラに抵抗した大都市の1つであり、その罪により滅ぼされた町だった。
その土地に多く存在した大森林や山々は、兄弟戦争の兵器たちの燃料とすべく伐採されたり掘り返されたりした。現在のこの地は荒野が広がるばかりで、絶え間ない雨が生み出す小さな川がそこかしこの山峡を縫うように流れていた。
なんとか破壊をまぬがれた森は絡みつく茨や若木によって覆い尽くされていた。そんな息の詰まるような茨に埋もれた緑の中にフェルドンはくだんの隠者を見つけた。
彼は自分のわずかなすみかをミシュラの兵士たちから守り抜くことに成功したが、その代償としてその心と精神は崩壊の手前にあった。年月に押しつぶされたかのように曲がった背筋の先にある顔は狂ったような笑いとよだれに覆われていた。
フェルドンは両手を広げ、敵意がないことを示しつつ近寄った。
隠者はテレジアの町の評議会と魔道士について耳にしたことがあり、フェルドンの名前も聞き知っていた。彼は笑い声を絶やさず跳ね回りながら、隠者の魔法を伝えるためにフェルドンを彼の森へと招き入れた。
フェルドンはその見返りに彼の魔法を伝えようと申し出たが、背筋の曲がった狂者はそれを断った。彼は山々やそこから生じる力に何ら興味を示さなかったからだ。
しかし彼はフェルドンに森の力を伝授した。彼らはともに隠者の領域であるその小さな森を端から端まで何度も往復した。隠者が侵略者に対抗するべく精力的に行ってきたように。
1ヶ月に渡って教えを受けたことで、フェルドンは老いた隠者と同じくらいその森を熟知した。彼らは多くのことについて語り合った。植物について、木々について、そして季節について語り合った。
隠者は彼の森の外の世界が次第に寒々しさを増していっているように思う、と言い、フェルドンもそれに同意した。彼自身、家の近くにあった氷河が年々少しずつ膨張を続けているように感じられていたからだ。
そしてついに彼らは魔法について語り合った。
フェルドンは自身の魔法を披露した。
燃え盛る炎から様々な虚像を呼び出した。鳥たちや巨大な竜を次々と呼び出したあと、最後に実に簡単な魔法で、あの長く親しんだ微笑みを炎の中から呼び出した。フェルドンが全てを終えると、隠者は大笑いしながらうなずいた。彼の番だった。
狂った隠者は立ちつくしながら、腕を組んでいた。フェルドンは何かを言い出そうとしたが、隠者はそれを押しとどめた。
しばしのあいだ、森の中に静寂が満ちた。
突如、大きな物音が、いや、突風か轟きと言うべき何かが地面を揺らし、フェルドンの骨をきしませた。地面は彼の足もとで大きく波打ち、たき火は崩れ落ちて揺れる地面を転がった。フェルドンは自分でも気づかないうちに大きな悲鳴を上げていたが、隠者は身じろぎ1つしなかった。
そしてワームが現れた。
それは雄々しいまでに大きく、年を経た生き物だった。その昔、ミシュラが生み出したドラゴンエンジンほども大きかった。その鱗は金と緑に彩られ、その暗闇に赤く光る眼には敵意が光っていた。
それは彼らに向けて短い咆哮を上げると、立ち去り始めた。ワームの長大な胴体が、巨大な鱗の壁のごとく彼らの目の前を通り過ぎていった。
長い時間ののち、ようやく現れたワームの鞭のようにしなる尾の先端が、まるで暴走する馬車の列のように木々をなぎ倒した。地面の揺れが収まった。
年老いた隠者はフェルドンに振り向き、深く頭を下げた。フェルドンも礼を返した。そしてこの年老いた隠者がどのようにして彼の森を長い年月にかけて守ってきたかを知った。
フェルドンは注意深く慎重に彼の抱える問題について語った。愛する人を失ったこと、そして彼の魔法には彼女を取り戻す力がないこと。
隠者の持つ力にはそれ以上のものがあるのか?
年老いた隠者は驚いた様子を見せてからにやりと笑った。「そのお相手はまだ生きてるのかい?」と彼は尋ねた。フェルドンはかぶりを振った。隠者は笑みを消した。彼もまた頭を振った。
「俺が呼び出せるのは生きてるものだけさ。それこそが茨のもつ生命の力だからな。だがもしかしたらお前の求める力を持つ何者かの元へ、お前を送ることなら出来るかもしれん」
フェルドンは次の日の朝、隠者の森を離れて北へと向かった。
サリンスの地との境にはロノム湖があった。湖はその大地と同じくらいひどい状態にあった。白い砂浜が広がっていたであろう場所には今やまだらに灰色の苔がはびこっているだけだ。澱んだ湖水は粘り気を見せており、その湖面には鼻にツンとくる刺激臭を放つ藻類が緑や赤にてらてらと光っている。
フェルドンは彼の乗る小さな馬車を湖の外周に沿って走らせた。
隠者の言葉によれば、湖の岸辺を支配する魔女の領域に立ち入れば嫌でもその徴候に気づくだろう、とのことだった。
まさにその通りだった。
岸にへばりついていた灰色の苔は徐々に減り、最後には完全にその姿を消した。かわりにフェルドンがこれまでに見たこともないほどに白くまぶしい砂が広がっていた。
その先で、砂浜をさえぎるように岸辺に黒い石が細く並べられていた。それらは打ち寄せる波によって丸く滑らかであった。フェルドンは新鮮な空気を大きく吸い込んだ。かび臭い霧の臭いはすっかり消え失せていた。
彼は非常に澄んだ滝の根元に彼女を発見した。彼女は金の糸を編んで作ったかのような小さな東屋の中にいた。半透明の虹で作られたかのような揺らめくローブを身につけた彼女はフェルドンよりも背が高かった。
彼女はフェルドンに招き入れた。現れた筋肉質な召使たちが彼に簡素なチーズと乾燥させた林檎という食事を持ってきた。その食べ物は彼女の豪勢な身なりにはふさわしくないようにも感じられたが、フェルドンは何も言わずにただ魔女の馳走を拝領した。
彼女は彼に探し求めているものが何か尋ねた。彼は答えた。失った愛する者を取り戻そうとしているのだと。彼女は頷き、固い笑みを浮かべた。
「それ相応の代償を必要とするでしょう」
フェルドンは頭を下げた。そして彼女に求められる代償とは何か尋ねた。「語って頂く必要があります」と彼女は言った。「ロランについて語って下さい。そうすればあなたの願いを聞き届けることも出来るでしょう」
少しずつ、フェルドンは語り始めた。
彼はロランについて知っていることを詳細に語った。彼女自身から聞いたことだけでなく、彼女が日記に記していた遠い東の国アルガイヴのことを、さらには彼女がウルザとミシュラの兄弟と過ごした過去の日々のことを、そして彼女がいかにして彼らの進む道に背を向けて新たな道を模索し始めたのかを語った。
彼は彼女がいかにしてテレジアの町に訪れたかを、そして学者たちに混じり己の探し求める道を究めようとしたか語った。その学者たちの中にフェルドンがいたことも。
彼は幾度か言い澱んだが、魔女は何も言わなかった。
彼はいかにして2人が出会ったかを語った。彼らがどのように共に学び、どのように恋に落ちたかを語った。彼はミシュラが彼らの町を襲撃した際にいかにして2人が引き離されたか、そしてアシュノッドの手によってロランがどのような目に遭ったかを語った。
ロランが2人で過ごした時間の中でゆっくりと癒されていくように見えたことを、しかしその後滑り落ちるように避けられない死へと向かったことを語った。
語っている最中、彼は何度か口をつぐんだ。その心は彼女の記憶によって生を与えられているかのようだった。彼は彼女の黒い髪を想った。彼女のしなやかな肢体を、彼女の肌触りを、そして彼女の微笑み ― 何よりも大切なその微笑みを想った。
彼はいかにして彼女が死に至ったかを、そしてその後彼が何をしたかを語った。いかにして彼が機械人形を製作したか。いかにして隠者の元へと向かったか。そしてこの地を訪れたか。
話すにつれて、彼は魔女の存在を忘れていた。
ロランが共にいた。
ついに彼は物語を終えた。そして魔女を見た。無感動なその表情には、しかし一滴の涙が頬を滑り落ちていた。「私は海と空を統べる存在です」と彼女は口にした。
「あなたが山を支配するように、隠者が植物を成長させるように。あなたは私に代償を支払いました。物語という代償。約束通り、私は私に出来ることをしましょう」
彼女は眼を閉じた。それとともに、ほんの少しの間、金色の東屋を照らしていた太陽が雲の後ろに隠れたかのように暗くなった。そして再び眩しいほどに明るくなり、フェルドンの前にロランがいた。
彼女は今再び若く健康で、彼女の黒髪はまるで暗い滝のように波打っていた。彼女は彼の見知った微笑みを、いつも彼に向けていたどこか秘密めいた笑みを浮かべていた。
フェルドンは弾かれたように立ちあがり、彼女を抱きしめようと手を伸ばした。その手は空しく空を切った。まるで煙のように。
フェルドンの心に炎が燃え盛った。彼は魔女に向き直った。彼女はそれまで寝そべっていた寝椅子から起き上がり、彼の怒りを押しとどめるかのように手の平を向けた。
それに向けてフェルドンは「現実じゃない!」と吐き出すかのように叫びを上げた。「私の統べる色は青」と魔女は言った。
「青とは空気、青とは水。そして精神と想像です。私には消え去ったものを実際に取り戻すことはできません。その虚像を映すのみ。もしあなたが現実に彼女を引き戻したいと望むのであれば、あなたの求めるものはここにはないでしょう」
「ではどこに? 誰に?」とフェルドンに尋ねられた魔女はためらいを見せた。「どこの誰に?」とフェルドンは再び尋ねた。魔女は水晶のように冷たくきらめくその瞳を彼に向けた。
「北へ向かいなさい。そこに沼があるでしょう。彼はそこで黒を統べる者。彼はあなたが求めるものを取り戻してくれるでしょう。しかし忠告します」と、ここで彼女は柔らかい声で付けたした。「彼の求める代償は私の比ではありません」
魔女の頬を新たな涙の滴が辿った。
フェルドンは頭を下げ、魔女の差し出した手の甲に口づけをした。魔女の見た目は若く艶やかであったが、彼の唇が触れたその肌は革のようにざらつきと年月を感じさせた。
彼は再び馬車に乗り、旅を続けた。
金色の東屋から少し行ったところで彼は馬車から下りた。そして腰をかがめて光り輝く白い砂浜に手を触れた。それは混じりけのない真っ白な砂に見えたが、その感触は苔むした石ころだった。
フェルドンは悟ったような頷きを見せてから沼へと向かった。
Jeff Grubb
2014年10月27日
元記事:http://magic.wizards.com/en/articles/archive/arcana/lorans-smile-2014-10-27
<編集部より>
この短編小説は元々1999年に刊行された「The Colors of Magic anthology」に収録されていたものだ。これはアンティキティの物語を部分的におさめたもので、その中には今回の2014年版の統率者で「伝説のクリーチャー」としてカード化されたフェルドンについての物語も描かれている(ちなみにカードはEthan FleischerとIan Dukeが今日のプレビュー記事で紹介している)。
Ethanがフェルドンのデザインを行うに当たって、この物語を非常に参考にしたそうだ。そこでせっかくだから皆とも共有しようと相成った。楽しんでくれ!
ロランはあの大破壊の10年後に死んだ。それはウルザとミシュラが起こした戦争によって世界の大半が破壊されたあとのことであり、またそれはアルゴスを消滅させ世界に永遠の変容をもたらした無秩序な大爆発のあとのことでもあった。
ロランの死因の一部は大破壊のせいと言える。彼女は戦いの中で死んだわけではない。なぜなら彼女は戦士ではなかった。彼女は魔法使い同士の決闘の中で死んだわけでもない。なぜなら彼女の愛したフェルドンと違い、彼女には自身に魔法の素養がないことを知っていたからだ。
彼女の死は陰謀に巻き込まれたためでもなく、激情に駆られたためでもなく、致命傷を受けたためでもなかった。
彼女はベッドで死んだ。その体は死から10年以上前に受けた傷によって衰弱していた。その傷をつけたのはミシュラの助手である「冷淡なる」アシュノッドであった。
衰弱していた体に追い打ちをかけたのは長い冬と冷たい山の空気、彼女の体に刻まれた長い年月、そして何よりもウルザとミシュラの作り上げた世界そのものだった。
初めの頃は、彼女も庭仕事や料理をするために動き回ることを苦にすることもなく、フェルドンも自身の仕事の傍らに彼女を助けていた。そのうち、庭仕事に出ることが出来なくなった。フェルドンも彼女を支えるため、その指示の元に出来うる限りのことをした。
そして、彼女は家事をすることも出来なくなった。フェルドンは近くの町から召使たちを雇った。彼女がベッドから起き上がれなくなったとき、フェルドンは彼女の傍らに座り、本を読み上げたり、自身の若いころの話をしたり、彼女の話に耳を傾けたりした。
しばらくして彼女の口へ食事を運ぶのも彼の仕事となった。
そして遠からずのうち、彼女が眠りのうちにその生涯を閉じたとき、フェルドンも彼女を長く見守ってきた疲れからその傍らで眠りに落ちていた。彼が目覚めたとき、すでに彼女の体は青白く冷たく、生命の吐息はすでにその肉体を離れて久しかった。
彼は召使たちに命じて家の裏手に墓穴を掘らせた。その横の今では蔦がはびこっている庭園は、その昔この家に住み始めたばかりの頃、ロランが面倒くさがるフェルドンに無理やり手伝わせて作ったものだった。
彼女は強い意志をもって何年ものあいだその庭園の手入れを続けてきたが、その後長く(その生涯の果てまで)続いた病の前に、ついに諦めざるをえなかった。そして庭園ははびこる蔦と冷たい雨へと明け渡された。
彼らがロランを永遠の休息のため横たえるときにも雨が降っていた。ロランはベッドのシーツにくるまれ、厚いオークの板で作られた棺に納められていた。
フェルドンとその召使たちは短い祈りの言葉をつぶやいた。そして年老いた魔法使いは彼の召使いたちが念入りに穴の中へ土をかぶせるのを見ていた。
フェルドンの涙は雨の中に溶けて行った。
その後の数日のあいだ、フェルドンは火の近くに佇んでいた。召使たちはロランにそうしていたように、フェルドンへ食事を運んだ。
フェルドンの書庫と工房はその後しばらく空虚な姿をさらしていた。本は閉じられ、鍛冶場は冷え、試薬と溶液はガラスのビンの中でただ静かなときを過ごしていた。
フェルドンは火を見つめ、ため息をついた。彼が思い出していたのは、ロランの手の肌触り、ロランのアーギヴィーア訛り、そしてロランの黒く厚みのある髪の毛だった。
しかし何より彼の心を占めていたのは、その微笑みだった。少し悲しげで、何かを悟ったようなその微笑み。柔らかで、見るたびにフェルドンの心を温めてくれた。
今ではフェルドンは第3の道を歩む者となっていた。ウルザともミシュラとも道を違える者、2人の相争う兄弟たちと彼らの奇跡的ともいえる技術力の産物の間隙に新たな道筋を刻むことのできる者。
山で過ごした記憶が満ちているその心からは強大な魔術の数々もまた引き出すことが出来た。猛火を生み出すことも、大地を動かすことも、雷雲のかたまりを生み出し意のままに操ることすら出来た。
しかし彼にはロランを癒すことも、その死に行く魂を救うことも出来なかった。彼女の中に命を留めることも出来なかった。彼の魔法は為すべきことを為せなかった。彼の魔法は、彼の愛を救えなかった。
老人はまたため息を1つつき、その手を火にかざした。彼はその脳の一部にしまわれていた記憶を、彼が過ごしたこの山々の記憶そのものを引き出した。
彼はこの土地から力を引き出すことが出来た。彼はその業をテレシアの町にある象牙の塔で、ドラフナやハーキル、また修道院の長や他の魔法使いたちとともに学んだ。
彼は精神を集中した。炎は薪から舞い上がり、その身をよじり、互いのうえにねじれたそれは柔らかな微笑みを形作った。
それはロランの微笑みだった。
彼にはそれが精一杯だった。
そして5回の日の出と5回の日没のあいだ、彼は炎の傍らに座っていた。そのあいだ、召使たちはフェルドンの妻を世話したように、遠からず彼を世話することになるのだろうか、と思いを巡らせた。
実際、フェルドンは健康な体ではなかった。太り過ぎの体は、その銀の杖(氷河の中心から彼が掘り起こしたもの)の助けなしには歩くことさえ困難だった。彼の黒いあごひげには今では銀色のものが混じるようになり、彼の目元は悲しみと老いからたるみを見せていた。
召使たちは、フェルドンが二度と暖炉の傍らから立ち上がることはないのではないか、と心配した。
6日目のことだった。フェルドンは暖炉から立ち上がると彼の工房へと向かった。
そうしてからすぐに、召使たちの前にメモが現れた。それに挙げられている品々を大至急あつめてくるように、と書かれていた。
メモに挙げられていたもの、それは厚い銅板、鉄の鋲、様々な金属を紐状に引き延ばしたもの、真鍮の歯車(真鍮が無ければ鋼でも可と書かれていた)、様々な形のガラス容器(これにはイラストとサイズが付いていた)。
さらには遠く南西へ送るように指示された手紙もあった。
それから2ヵ月のあいだ、工房は喧騒に包まれた。
フェルドンは再び鍛冶場に火を入れた。そして小さな金床が耳をつんざくような悲鳴を上げ始めた。山々に眠る魔法の力、それは火そのものであり、フェルドンこそがその支配者だった。
彼が命ずれば、その熱を適切な場所に必要な量だけ生じさせることができた。それこそがこの老いた魔法使いの力の本質だった。
命じた物が届き始めた。金属の紐、真鍮ではなく鉄の歯車、銅の板(一部は青銅)。ガラスの容器は若干要望から外れており、フェルドンはそれらを望む形にするために自らガラスを吹くこととなった。
さらに紐が届いた。それは馬のたてがみをつむいだもので、その長さと太さはまるで人の髪の毛のようにであった。
2か月後、フェルドンは自身の仕事の成果を眺め、首を振った。
関節はぎごちなく、腕は変な方向に突き出していた。頭は大きすぎ、髪の毛は材料そのもの、金属の紐と馬のたてがみの寄せ集めにしか見えなかった。目は単なるガラス玉より多少ましなものにすぎなかった。その肩の位置はあまりに高く、腰はあまりに大きかった。
それはロランには似ても似つかなかった。
口元のあたりに浮かぶ微笑みの虚像にのみ、ロランの思い出が漂っていた。
フェルドンはまた頭を振った。大粒の涙が目元に生じた。彼は金槌を振り上げ、目の前の機械人形を粉々に打ち砕いた。
そして、彼はまた一から始めた。
彼はロランのノート類を書庫に積み上げた。彼女はウルザ自身とともに学んだことがあり、今回の彼の企てに必要な知識について知っている可能性があった。
彼は金属の紐を束ね直し、それを腕や脚に通すことにした。今回は完成版の前に、まずは小型の模型から始め、それから実物大のラフな模型へと移った。彼は金属と鉱物だけでなく、動物の骨や木々も素材として用いることにした。
彼のガラス作製の技術も上がり、ついには近くの村に住まう老婆の目にぴったり合うガラスの義眼を作ってあげることさえ出来るようになった。
少しずつ、彼は機械人形をロランへと近づけていった。彼女を数多の素材から彫り出すかのように。
6か月後、彼女は完成した。
その人型に唯一欠けていたのは心だった。
フェルドンは辛抱強く待ち続けた。彼は工房で日々を過ごした。その機械人形を磨いたり、動きを試したり、組み直したりした。
彼が初めてロランに出会ったとき、彼女の両腕は無事だった。のちに彼女はアシュノッドによってその片方を失った。彼は同じようにその腕をつけかえた。そしてついに彼は人型を完全にすることに成功した。
それから1か月後のこと。
遠く南西から小包が届いた。ロランとフェルドンがテレジアの町の象牙の塔で学んでいた頃の知り合いである学者から届けられたものだった。
小包には優しく光る小さなクリスタルの欠片が入っていた。それは彼の目的の心臓部分に位置するもの、パワーストーンだった。大破壊ののち、パワーストーンは失われていく一方だった。しかしそれは今目の前にあった。
小包には短いメモが付随していた。そこに記されたサインはラト=ナムの学院長であるドラフナのものだった。メモにはただ一言「分かりました」とあった。
パワーストーンを手にしたフェルドンは、自分の指が震えていることに気付いた。クリスタルを両手に抱き、彼は機械人形に近づいた。工房の中央を守護するかのようにそれは立っていた。
彼はクリスタルが安置されるべき場所、人間の女性であれば心臓が位置する場所に敷き布を置いた。フェルドンはクリスタルを設置し、蓋を閉めた。
彼は機械人形を起動すべく、その左耳の後ろに手を回して小さなつまみに触れた。機械人形は生命のきしみを上げた。それはまるで操り人形が突然その紐を引かれたかのようだった。
その頭が振られ、片側にかしいだ。片足がひきつり、もう片足がだらんと垂れ下がった。片方の肩が少し下がった。
フェルドンは頷くとその手を上げ、部屋の反対側を指差した。ロランの形をした機械人形はきわめて慎重にその歩みを開始した。まるで長い船旅の果てに久しぶりに地面を歩く女性のように。
彼女が工房の端に辿りつく頃には、その歩みは普通の人間のそれだった。反対側に辿りついた彼女は振り向き、元の位置へと歩いて帰ってきた。
そして微笑んだ。内側に隠された金属の紐が唇を反らし、真鍮製の歯が見えた。その微笑みは完璧だった。フェルドンは微笑み返した。ロランが彼を残して去ってから、初めて心から笑みを浮かべた。
毎日、機械人形は彼の工房で静かに立っていた。フェルドンはそれに話しかけたが、動かすには命令する必要があった。
最初の1ヶ月はそれでも十分満足だった。
しかしそれはあまりにも静かだった。甲高い金属の歯車が回る音と金属の紐がひきつれる音を除けば。
最初のうちはフェルドンはそれでもいいと思った。しかし1ヶ月が過ぎたところで、彼はいら立ちを覚えるようになった。それから彼は耐えられなくなった。
その沈黙と金属製の唇に浮かぶ完璧なまでの微笑みに耐えられなくなった。それはまるで彼をなじるように、そしてあざけるように見えた。
彼はそれに話しかけた。そのたびに彼はそれが返事をするはずないことを思い出させられた。彼が生み出したロランは銅の肌と歯車の関節を持った化け物にすぎなかった。それは彼の愛した女性ではなかった。
ついに彼は、彼女の耳の後ろへと手を伸ばし、小さなつまみに触れた。彼女は停止した。動力が失われるにつれて彼女はその体をこわばらせた。しかしその微笑みは口元に残り続けた。
フェルドンは彼女の心臓からパワーストーンを取り出し、その石を棚に置いた。そして動きを止めた機械人形を庭園に置いた。ロランの墓を守らせるかのように。
1週間も経つうちにその金属製の歯車は錆びつき、機械人形は動きを止めたままの姿勢を変えることなく立ち尽くすこととなった。そのガラスの瞳は世界を映したがそれを何一つ理解することはなかった。
その1週間のあいだにフェルドンは再び暖炉の傍へと戻っていた。揺れる炎をただ見つめていた。まるでその中に彼の知らない秘密を隠しているのではないかと疑うかのように。
その週の終わりに彼は冷たい雨の中、家を後にした。あとに残した召使たちに留守を頼んだ。彼は小さな馬車に乗って町を離れた。馬車は東へと向かった。それは兄弟戦争によってもっとも大きな被害を受けた方角だった。
旅する先々で彼は人々に問うた。
誰か力ある魔法使いを知らないか、と。
象牙の塔が破壊される前は魔術の道を探求する者も多くいたが、テレジアの町が蹂躙されたのち、彼らは散り散りになってしまっていた。しかしどこかに生き延びたものがいるはずだった。
彼は商人たちに尋ねた。乞食たちにも尋ねた。農夫たちにも僧侶たちにも尋ねた。
尋ねた相手のうち、一部は彼が狂っているのだと考えた。また一部は彼を恐れた。この大破壊を引き起こした恐るべき魔法の力を再び呼び起こそうとしていると考えたのだ。
しかし彼の探し求めるものを理解してくれた者もいた。そんな彼らの中に、フェルドンと同じく第3の道を歩んだ賢者や隠者について知っているものも少数だが存在した。
そうするうちに「垣の魔道士」のうわさを聞くようになった。
彼は、馬車を東へ向けた。
フェルドンはその魔道士をサリンスの町の近くにある廃墟で見つけた。サリンスの町はミシュラに抵抗した大都市の1つであり、その罪により滅ぼされた町だった。
その土地に多く存在した大森林や山々は、兄弟戦争の兵器たちの燃料とすべく伐採されたり掘り返されたりした。現在のこの地は荒野が広がるばかりで、絶え間ない雨が生み出す小さな川がそこかしこの山峡を縫うように流れていた。
なんとか破壊をまぬがれた森は絡みつく茨や若木によって覆い尽くされていた。そんな息の詰まるような茨に埋もれた緑の中にフェルドンはくだんの隠者を見つけた。
彼は自分のわずかなすみかをミシュラの兵士たちから守り抜くことに成功したが、その代償としてその心と精神は崩壊の手前にあった。年月に押しつぶされたかのように曲がった背筋の先にある顔は狂ったような笑いとよだれに覆われていた。
フェルドンは両手を広げ、敵意がないことを示しつつ近寄った。
隠者はテレジアの町の評議会と魔道士について耳にしたことがあり、フェルドンの名前も聞き知っていた。彼は笑い声を絶やさず跳ね回りながら、隠者の魔法を伝えるためにフェルドンを彼の森へと招き入れた。
フェルドンはその見返りに彼の魔法を伝えようと申し出たが、背筋の曲がった狂者はそれを断った。彼は山々やそこから生じる力に何ら興味を示さなかったからだ。
しかし彼はフェルドンに森の力を伝授した。彼らはともに隠者の領域であるその小さな森を端から端まで何度も往復した。隠者が侵略者に対抗するべく精力的に行ってきたように。
1ヶ月に渡って教えを受けたことで、フェルドンは老いた隠者と同じくらいその森を熟知した。彼らは多くのことについて語り合った。植物について、木々について、そして季節について語り合った。
隠者は彼の森の外の世界が次第に寒々しさを増していっているように思う、と言い、フェルドンもそれに同意した。彼自身、家の近くにあった氷河が年々少しずつ膨張を続けているように感じられていたからだ。
そしてついに彼らは魔法について語り合った。
フェルドンは自身の魔法を披露した。
燃え盛る炎から様々な虚像を呼び出した。鳥たちや巨大な竜を次々と呼び出したあと、最後に実に簡単な魔法で、あの長く親しんだ微笑みを炎の中から呼び出した。フェルドンが全てを終えると、隠者は大笑いしながらうなずいた。彼の番だった。
狂った隠者は立ちつくしながら、腕を組んでいた。フェルドンは何かを言い出そうとしたが、隠者はそれを押しとどめた。
しばしのあいだ、森の中に静寂が満ちた。
突如、大きな物音が、いや、突風か轟きと言うべき何かが地面を揺らし、フェルドンの骨をきしませた。地面は彼の足もとで大きく波打ち、たき火は崩れ落ちて揺れる地面を転がった。フェルドンは自分でも気づかないうちに大きな悲鳴を上げていたが、隠者は身じろぎ1つしなかった。
そしてワームが現れた。
それは雄々しいまでに大きく、年を経た生き物だった。その昔、ミシュラが生み出したドラゴンエンジンほども大きかった。その鱗は金と緑に彩られ、その暗闇に赤く光る眼には敵意が光っていた。
それは彼らに向けて短い咆哮を上げると、立ち去り始めた。ワームの長大な胴体が、巨大な鱗の壁のごとく彼らの目の前を通り過ぎていった。
長い時間ののち、ようやく現れたワームの鞭のようにしなる尾の先端が、まるで暴走する馬車の列のように木々をなぎ倒した。地面の揺れが収まった。
年老いた隠者はフェルドンに振り向き、深く頭を下げた。フェルドンも礼を返した。そしてこの年老いた隠者がどのようにして彼の森を長い年月にかけて守ってきたかを知った。
フェルドンは注意深く慎重に彼の抱える問題について語った。愛する人を失ったこと、そして彼の魔法には彼女を取り戻す力がないこと。
隠者の持つ力にはそれ以上のものがあるのか?
年老いた隠者は驚いた様子を見せてからにやりと笑った。「そのお相手はまだ生きてるのかい?」と彼は尋ねた。フェルドンはかぶりを振った。隠者は笑みを消した。彼もまた頭を振った。
「俺が呼び出せるのは生きてるものだけさ。それこそが茨のもつ生命の力だからな。だがもしかしたらお前の求める力を持つ何者かの元へ、お前を送ることなら出来るかもしれん」
フェルドンは次の日の朝、隠者の森を離れて北へと向かった。
サリンスの地との境にはロノム湖があった。湖はその大地と同じくらいひどい状態にあった。白い砂浜が広がっていたであろう場所には今やまだらに灰色の苔がはびこっているだけだ。澱んだ湖水は粘り気を見せており、その湖面には鼻にツンとくる刺激臭を放つ藻類が緑や赤にてらてらと光っている。
フェルドンは彼の乗る小さな馬車を湖の外周に沿って走らせた。
隠者の言葉によれば、湖の岸辺を支配する魔女の領域に立ち入れば嫌でもその徴候に気づくだろう、とのことだった。
まさにその通りだった。
岸にへばりついていた灰色の苔は徐々に減り、最後には完全にその姿を消した。かわりにフェルドンがこれまでに見たこともないほどに白くまぶしい砂が広がっていた。
その先で、砂浜をさえぎるように岸辺に黒い石が細く並べられていた。それらは打ち寄せる波によって丸く滑らかであった。フェルドンは新鮮な空気を大きく吸い込んだ。かび臭い霧の臭いはすっかり消え失せていた。
彼は非常に澄んだ滝の根元に彼女を発見した。彼女は金の糸を編んで作ったかのような小さな東屋の中にいた。半透明の虹で作られたかのような揺らめくローブを身につけた彼女はフェルドンよりも背が高かった。
彼女はフェルドンに招き入れた。現れた筋肉質な召使たちが彼に簡素なチーズと乾燥させた林檎という食事を持ってきた。その食べ物は彼女の豪勢な身なりにはふさわしくないようにも感じられたが、フェルドンは何も言わずにただ魔女の馳走を拝領した。
彼女は彼に探し求めているものが何か尋ねた。彼は答えた。失った愛する者を取り戻そうとしているのだと。彼女は頷き、固い笑みを浮かべた。
「それ相応の代償を必要とするでしょう」
フェルドンは頭を下げた。そして彼女に求められる代償とは何か尋ねた。「語って頂く必要があります」と彼女は言った。「ロランについて語って下さい。そうすればあなたの願いを聞き届けることも出来るでしょう」
少しずつ、フェルドンは語り始めた。
彼はロランについて知っていることを詳細に語った。彼女自身から聞いたことだけでなく、彼女が日記に記していた遠い東の国アルガイヴのことを、さらには彼女がウルザとミシュラの兄弟と過ごした過去の日々のことを、そして彼女がいかにして彼らの進む道に背を向けて新たな道を模索し始めたのかを語った。
彼は彼女がいかにしてテレジアの町に訪れたかを、そして学者たちに混じり己の探し求める道を究めようとしたか語った。その学者たちの中にフェルドンがいたことも。
彼は幾度か言い澱んだが、魔女は何も言わなかった。
彼はいかにして2人が出会ったかを語った。彼らがどのように共に学び、どのように恋に落ちたかを語った。彼はミシュラが彼らの町を襲撃した際にいかにして2人が引き離されたか、そしてアシュノッドの手によってロランがどのような目に遭ったかを語った。
ロランが2人で過ごした時間の中でゆっくりと癒されていくように見えたことを、しかしその後滑り落ちるように避けられない死へと向かったことを語った。
語っている最中、彼は何度か口をつぐんだ。その心は彼女の記憶によって生を与えられているかのようだった。彼は彼女の黒い髪を想った。彼女のしなやかな肢体を、彼女の肌触りを、そして彼女の微笑み ― 何よりも大切なその微笑みを想った。
彼はいかにして彼女が死に至ったかを、そしてその後彼が何をしたかを語った。いかにして彼が機械人形を製作したか。いかにして隠者の元へと向かったか。そしてこの地を訪れたか。
話すにつれて、彼は魔女の存在を忘れていた。
ロランが共にいた。
ついに彼は物語を終えた。そして魔女を見た。無感動なその表情には、しかし一滴の涙が頬を滑り落ちていた。「私は海と空を統べる存在です」と彼女は口にした。
「あなたが山を支配するように、隠者が植物を成長させるように。あなたは私に代償を支払いました。物語という代償。約束通り、私は私に出来ることをしましょう」
彼女は眼を閉じた。それとともに、ほんの少しの間、金色の東屋を照らしていた太陽が雲の後ろに隠れたかのように暗くなった。そして再び眩しいほどに明るくなり、フェルドンの前にロランがいた。
彼女は今再び若く健康で、彼女の黒髪はまるで暗い滝のように波打っていた。彼女は彼の見知った微笑みを、いつも彼に向けていたどこか秘密めいた笑みを浮かべていた。
フェルドンは弾かれたように立ちあがり、彼女を抱きしめようと手を伸ばした。その手は空しく空を切った。まるで煙のように。
フェルドンの心に炎が燃え盛った。彼は魔女に向き直った。彼女はそれまで寝そべっていた寝椅子から起き上がり、彼の怒りを押しとどめるかのように手の平を向けた。
それに向けてフェルドンは「現実じゃない!」と吐き出すかのように叫びを上げた。「私の統べる色は青」と魔女は言った。
「青とは空気、青とは水。そして精神と想像です。私には消え去ったものを実際に取り戻すことはできません。その虚像を映すのみ。もしあなたが現実に彼女を引き戻したいと望むのであれば、あなたの求めるものはここにはないでしょう」
「ではどこに? 誰に?」とフェルドンに尋ねられた魔女はためらいを見せた。「どこの誰に?」とフェルドンは再び尋ねた。魔女は水晶のように冷たくきらめくその瞳を彼に向けた。
「北へ向かいなさい。そこに沼があるでしょう。彼はそこで黒を統べる者。彼はあなたが求めるものを取り戻してくれるでしょう。しかし忠告します」と、ここで彼女は柔らかい声で付けたした。「彼の求める代償は私の比ではありません」
魔女の頬を新たな涙の滴が辿った。
フェルドンは頭を下げ、魔女の差し出した手の甲に口づけをした。魔女の見た目は若く艶やかであったが、彼の唇が触れたその肌は革のようにざらつきと年月を感じさせた。
彼は再び馬車に乗り、旅を続けた。
金色の東屋から少し行ったところで彼は馬車から下りた。そして腰をかがめて光り輝く白い砂浜に手を触れた。それは混じりけのない真っ白な砂に見えたが、その感触は苔むした石ころだった。
フェルドンは悟ったような頷きを見せてから沼へと向かった。
後編へ続く
http://regiant.diarynote.jp/201411270316357904/
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