《ドワーフの城塞攻防記》 最終話:ドワーフと人間の城塞
2014年12月20日 ドワーフの城塞 ゲームマーケットで買って来た1人用ゲーム「ドワーフの城塞」が面白いので、紹介がてら短編を書き出してみたら思いのほか長くなってしまった、というのが事の次第。
以下が公式ページ
I Was Game:『ドワーフの城塞』
http://c3ba95dc5fb36b51a14310b783.doorkeeper.jp/events/16376
以下が第1話目から第3話
第1話:リョーマとジェシカ
http://regiant.diarynote.jp/201412041447355994/
第2話:竜鱗甲と勝利の確率
http://regiant.diarynote.jp/201412050218092594/
第3話:分岐する未来
http://regiant.diarynote.jp/201412070750474204/
第1話はフレイバー重視、対して第2話と第3話はシステム面の魅力を重視したもの。そしてこの最終話はどちらも詰め込めるだけ詰め込んでみた。
《ドワーフの城塞攻防記》 最終話:ドワーフと人間の城塞
リョーマはベッドに腰かけると、大きく息をついた。それは目が覚めた瞬間だった。不思議なことに、はっきりと「ドワーフの城塞」のポストカードの内容が思い出せた。
それは、まるで伏せられていた紙を表返したかのようだった。次に襲ってくる敵の名前と強さだけでなくその特殊な能力も含めて全てが見えた。
何かが起きたらしい。しかし今のリョーマにとって重要なのは、その原因ではなく、それがもたらした事実だった。次に襲来する妖魔、その強さと今の戦力。
「このままじゃ勝てない」
ぼそりと呟く。それは次のドラゴンとの対決のことでもあり、その先に控えるさらなる妖魔たちとの戦いとのことでもあった。
リョーマが説明を終えたとき、リンデルとカルガンはしばらく言葉が出なかった。自信ありげというよりも悲壮なまでに覚悟を決めているといった雰囲気のリョーマの顔は嘘をついているようには見えなかったが、しかし。
「ドラゴンは、まだ分かるんじゃが……」
困惑した顔のカルガンの言葉のあとを継いでリンデルが、ビホルダーだと?、と呆然とした口調で呟く。ビホルダーってのは聞き覚えのない名前だネ、とジェシカが正直に言うとリンデルは、もちろん俺も実際に見たことはないが、と前置きして語り出した。
「聞いたことがなくて当然だ。ビホルダーはただの妖魔の名前じゃない。その名前が指すのは世界にたった1体しか存在しない、ある個体の名だ。真のビホルダーは常に単一で、まがいものの存在は決して許されない。決してだ」
異世界の神とも、無の精霊の化身とも噂されるその存在は、口伝によると宙に浮く巨大な眼球の姿をしており、全身から生えた7本の触手の先にはそれぞれ目玉がにらみをきかせているとのことだ。
通常の生物の瞳が前についているのは未来へ向かうためと言われている。過去を背後とし、前に向かい生きていく使命があるからだと。
しかしビホルダーには未来も過去もない。その存在は常にただ1体、今現在にしかない。そのため、いかなる連携を見せようとビホルダーの不意をつくことはできない。予想できない未来がないからだ。殺したものを顧みることもない。過去がないからだ。
加えて、7本の触手の先にある目玉から放たれる光線はそれぞれ違った効果を持ちつつも、そのどれも、浴びた者にありふれた死よりも恐ろしい結末をもたらすと言われている。例えばその1つである石化光線を浴びたものは意識あるままに指先一つ動かせぬ石像と化すらしい。
長大な叙事詩に関わるような歴戦の勇士であっても、その頭を地面にこすりつけ許しを乞う。それがビホルダーという存在だと。
「え? どうするのサ、それ」
あまりのスケールの大きさにどう反応すればよいか分からないジェシカが呟く。
「滅ぼすことはできないが撃退することに成功したという話はいくつか伝え聞いてはいる。要はビホルダーの認識する現在と俺たちを一時的に断ち切るんだ。全ての触手の目玉をつぶした上で最後に眼球をつぶすことでビホルダーは俺たちを認識できなくなり、俺たちもビホルダーを認識できなくなる」
そうして姿を消したビホルダーは少なくとも数十年は再び目撃されることはないらしい、とリンデルは締めくくった。分かっていなかったが、とりあえず分かったふりをしてうなずくジェシカに対し、リョーマは理解しなくてはいけない部分だけを簡潔に述べた。
「要するにユニゾンが効かないんだよ」
「ああ、そういう話」
ようやく笑顔を浮かべたジェシカの横でカルガンはしかめ面で顎鬚をしごいていた。カルガンはビホルダーよりも、ビホルダーの次に襲来するとリョーマが告げた存在のことを考えていた。それは妖魔のくくりに入れられることが多いが、魔と呼ぶにはあまりにも美しく畏怖すべき存在であった。
「神竜か」
ゴールドドラゴン、またの名を神竜。炎と地に生きるドワーフにとって「ドラゴン」とは常に特別な存在であり、そのドラゴン族の頂点に立つゴールドドラゴンは神にも等しい存在だった。
大海に浮かぶ主要な島々(この砦も、それらのうちで比較的大きな島の1つの辺境に位置している)には、それぞれの島ごと、1つの時代に唯1体のゴールドドラゴンが生まれると言われている。そのため目撃された回数だけであればビホルダーの比ではない。しかしゴールドドラゴンと戦った記録はビホルダーのそれよりさらに少ない。神に戦いを挑むものはいない。相対するとき、そこに生じるのは戦いではなかった。
それは証明であった。
「まさかこんな辺境でドラゴンの証を立てることになろうとはのう」
カルガンの口元が緩む。
ドワーフの戦士が真の勇者として認められるにはいくつかの選択肢があった。その1つがドラゴンの証と呼ばれる印である。ゴールドドラゴンが挑まれた者、つまり試すにふさわしいと認められた者は、猛攻をしのぎきった上で、その黄金の鱗を1枚奪うことで、輝く鱗とともにドラゴンの証を与えられる、と言われている。
「このような辺境に神竜がなぜ訪れるのかは分からんが、もし本当に来るのであれば、証を得る最初で最後の機会のなるかも分からんな。最期になろうとみっともない真似は見せられんのう」
手にした戦斧に静かな視線を向けるカルガンの覚悟を決めた様子にリョーマはうなずいた。
「正直、今のままだったらみっともない真似を見せるだけで終わるだろうね。改良した樽爆弾を4人で全弾命中でもさせれば勝てるだろうけど、今は一度に爆弾を投げられるのが2人までだ。大体からして樽の数が足りなすぎるし」
ゴールドドラゴン相手に勝ち目があるとすれば、2人の連携攻撃が成功すると同時に樽爆弾を2発命中させた場合だけ、とリョーマが語る。
しかしそのためには残り4個しかないビール樽では到底足りない。そもそもゴールドドラゴン以前に、次に襲来する通常のドラゴンさえも樽爆弾を計算に入れてようやく勝てるかどうか、さらにその次のビホルダーに至ってはユニゾンが効かないため樽爆弾が何発あっても多すぎるということはない。
「いずれにしてもゴールドドラゴンの次に来る最終決戦のことを考えたら結論はただ1つだよ。僕らに必要なのは5人目の仲間だ。そして決めなくちゃいけないのは、ゴールドドラゴンとの戦いまでに5人目を確保するか、最終決戦前まででもいいのか、だ」
最終決戦前までで良しとするならば、ゴールドドラゴンとの戦いまでに連携攻撃や樽爆弾の威力をさらに強化する時間がとれる、ただ5人目の仲間はそれを上回る力となってくれるかもしれない、と悩むリョーマの言葉にリンデルが、珍しく困惑げな様子で割り込む。
「その最終決戦だが……貴様、本気で言っているのか?」
「本気って、ベヒモスのこと?」
「軽く言うが、本当に知っているのか、ベヒモスを」
ベヒモス。
世界は地水火風の四大精霊力で構成されていると言われている。そして地の精霊力を司る精霊神こそがベヒモス、またの名をバハムルトと呼ばれる存在である、と言われている。
いや、正しくはそう「書かれている」と言うべきだろう。神殿の聖典にも、魔法学院の教本にもそう書かれている。大地と生命の力を引き出して治癒の魔法をかける神官たちも、大地と創造の力を引き出して地割れを起こす魔法使いたちも、そこに書かれていることを疑いはしない。現実に現れる結果がそれを証明するからだ。
しかし彼らもベヒモスという存在自体を信じているわけではない。それは力であり、概念であり、教えとも呼ぶべきものだ。
「大体からしてどういうことだ、ベヒモスが襲ってくるというのは」
「知らないよ、そんな細かいこと」
リョーマは先にした説明を繰り返す。このあとドラゴンの襲来がある。それに続くのは連携攻撃の効かないビホルダー、その撃退に成功したあと、どのような形で相見えることになるかは分からないにしてもゴールドドラゴンが姿を見せる。
「そして最後はベヒモスだよ。ベヒモスが現れるのか、その化身だか何だかが現れるのかは知らない。僕に分かっていることは、それがギリギリの戦いになるだろうってこと、そして勝つためには5人目の力が不可欠だってことだよ」
仮に4人による連携攻撃が成功したと過程しても、なおベヒモスを打倒するには足りないことをリョーマは知っていた。4人全員が樽爆弾を命中させれば足りるが、そのための準備は逆説的に敗北を意味していた。
なぜならベヒモス戦の全てを樽爆弾に賭けるという決意は、それまでの連戦に「ビール樽を使わない」ことを意味する。そして現在の戦力ではベヒモス戦までの熾烈な戦いを樽爆弾抜きに勝ち抜くことは不可能だ。
「ドラゴン戦とビホルダー戦に樽爆弾は絶対必要で、この2体との戦闘で今ある4個のビール樽はほとんどなくなるはずなんだ。そのことを考えるとベヒモス戦までに5人目は絶対必要。だから問題は、いつ、ってことだけなんだよ」
5人目をいつまでに呼ぶか。ゴールドドラゴン戦までに呼ぶのか、ベヒモス戦に間に合えばいいのか。そして5人目を呼ぶ以外にとれるわずかな準備期間を何に当てるか。少ない選択肢の中に勝利と敗北が潜む。
リョーマの言葉は簡潔だった。
「連携重視で来たんだ。今更変えられないよ」
リンデルもカルガンも反対しなかった。そこにはおそらくジンとの戦闘で連携が効果的に働いたイメージがまだ色濃く残っていたからかもしれないし、リョーマに対する信頼があったのかもしれない。いずれにせよ結論は決まった。
そして1週間後。5人目の援軍より先にそれは訪れた。
「来たか」
「そのようじゃな」
見張り台から眼下に遠く広がる大森林の上を巨大な生物が滑るように飛んでくる。遠近感がおかしくなるほどの大きさを持つそれは、以前戦ったドラゴンパピーがまさに赤ん坊(パピー)であったことを痛いほど知らしめてくれた。
「ジェシカ、リョーマ。竜撃砲と樽爆弾は任せたぞ」
「了解だヨ」
この日のために樽爆弾の改良を続けてきたジェシカがニッと笑い、傍らに並べたビール樽を叩いた。その横で、準備の整った竜撃砲に片手を当てたリョーマが2人のドワーフに、気を付けて、と声をかけた。
「ああ、せいぜい気を付けるさ。竜の鱗を傷つけないようにな」
「余裕じゃなあ、おぬしは」
2人のドワーフが階下へと姿を消す。樽爆弾の準備を始めるジェシカに向かって、何かをためらっていたリョーマが意を決したように口を開きかけたとき。
大気が渦巻いた。立っているのがやっとなほどに。
巨大なドラゴンが見張り台からの視界を完全に遮り、大きくはばたきながらゆっくりと砦の前に降り立つ。その翼が大気を乱し、その巨体が大地を揺らす。
砦の2階にいてすら頭上に位置するドラゴンの両のあぎとから、聞く者の魂を震わせる咆哮が放たれる。まるでそれが合図であったかのようにドワーフの戦士2人が左右からドラゴンに襲いかかる!
戦闘は一瞬だった。カルガンとリンデルが左右からドラゴンの両足をそれぞれ切りつけ機動力を奪い、リョーマがわざと外した竜撃砲の音にドラゴンが顔を向けたところへジェシカの樽爆弾がその咥内に炸裂した。
胴体をほぼ無傷のままにドラゴンを倒すことに成功し、得られた竜の鱗は全て5人目の増援を確実に回してもらうために使われることとなった。
ドラゴン戦に樽を大量消費していた場合には、新たに樽を買い入れる必要もあった。しかしジェシカが奇跡的にも1個の樽爆弾の消費でドラゴンにとどめを刺したおかげで、残りのビール樽は3個。5人目を諦めてまで新たな樽を補充する必要はないという結論には誰も反対しなかった。
それからまた1週間と少しが経過し、5人目の仲間はまだその姿を見せていなかった。しかしビホルダーは何の前触れもなく砦の前にいた。ただ気がついたときにはそこに、まるで訪れるまでの経過を無視したかのように。
砦の半分ほどもある巨大な眼球がどす黒く厚い皮膜に覆われ、その皮膜はそのまま瞼(まぶた)の代わりにもなっていた。全身から死角なく全方向へと伸びた触手のそれぞれの先には大人の背丈と同じほどの大きさもある目玉が虹色に光っている。生物と呼ぶにはあまりに異形だが非生物と考えるにはあまりに生物的であった。
見張り台の壁の内側に張り付き姿を隠したジェシカとリョーマは、額から頬へと伝う汗もそのままに、身じろぎ一つせず合図を待った。数秒か、数分か、数時間か。時間が過ぎる。
玄関ホールで壺の割れる合図が聞こえた。
その瞬間から、正確に3秒数えたあと、リョーマは弾かれたように竜撃砲に取りつき、ジェシカは樽爆弾を抱え上げた。それとまったく同時に、砦の正面玄関からリンデルとカルガンが飛び出し、ビホルダーの8つの瞳が見開かれる!
リンデルとカルガンの斧が閃き、それぞれ左右から生える触手を2本ずつ切り落とす。リョーマの竜撃砲が外しようのない巨大な的、ビホルダーの巨大な眼球に突き刺さる。あとは上方に生える3本の触手を樽爆弾が一掃すれば勝利だった。
しかし焦るジェシカの手元はどうしても導火線に着火できない。ジェシカが焦れば焦るほど導火線は近づける松明の火から逃げるようだった。そうしているうちに切り落とした触手が再生を始めるのをリョーマは見た。
「ジェシカ! 急いで!」
「ええええええい! もうどうにでもなれだヨ!」
リョーマの叫びにジェシカは着火したのかどうかも確認せずに残った樽爆弾3個を全て次から次へと下へ放り投げた。落ちていく樽を目を丸くして見つめるリョーマには、降って来るものに気づき慌てて逃げ出すリンデルとカルガンがスローモーションのようにゆっくりと見えた。
ビホルダーの残された3本の触手が落ちてくる樽に気づく。自身に命中しそうなのがそのうちの1個だけだと気づいたビホルダーは、それに向かって2本の触手を向ける。辺り一帯に轟く雷撃とドラゴンの鱗すら炭に変える業火が放出された。
それらを呑み込んだドワーフ秘伝の樽爆弾は、たった1個であったにも関わらず過去最大級の爆発を見せたという。
「終わり良ければ全て良しさネ」
「良いわけがあるか。下には俺たちがいたんだぞ。消し炭にするつもりか」
「無事だったのにいつまでもうるさいヨ。みんな無事だったし、残り2個の樽も不発に終わってて使い回せるんだし、ビホルダーも倒せたし、何が不満なのサ」
「そうだな、貴様のその態度以外は特に不満はない」
「なら良いじゃないのサ!」
「良いわけあるか。一言でいい、謝れと言っているんだ」
ジェシカとリンデルの言い争いが生き残ったことに対する安堵のため息を兼ねていることを知っていたリョーマとカルガンは気にする風もなく生姜湯でつぶした芋をのどに流し込んでいたが、訪れたばかりの5人目の援軍である手斧使いのドワーフ、グリッドはどちらを止めるべきか、おろおろととまどうばかりであった。
「リョーマさんもカルガンさんも止めるの手伝ってくださいよおおお!」
「(もぐもぐ)手伝え、って言われてもすることないし」
「(もぐもぐ)リョーマの言う通りじゃ。おぬしも食わんともたんぞ」
その後、ビホルダー戦で想定されていた被害(砦の破損や戦いによる怪我など)はリンデルの主張する「精神的外傷」を除けば皆無に等しく、予定していたよりも多くの訓練時間を次のゴールドドラゴン戦までにとれることが分かった。
ドワーフたちは新たに訪れたグリッドを交えて3人以上の連携に精を出していた。それを2階の見張り台から見下ろしつつ、リョーマはしばらく前から考え続けている答えの出ない問いに悩んでいた。それは大きく分けて2つあり、未来のこと、そして過去のことだった。
この先の未来、彼は最後の妖魔であるベヒモスを倒すことで元の世界、現実の高校に戻ることが出来るのだろうと考えていた。もちろん何の根拠もなかったし、どうやって戻るのかも分からなかった。部室で目が覚めるのか、謎の光か何かに包まれるのか。
いずれにせよベヒモスを倒した瞬間にはもうここを離れているのかもしれない。そうだとすれば、別れを言う機会はベヒモスとの戦闘が始まる前しかない。
(別れか)
それは考えただけでも驚くほどにリョーマを動揺させた。カルガンの場を落ち着かせる低い声、博識なリンデルの口から語られるこの世界の不思議、そしてジェシカ。
この世界にいてはいけないのだろうか。そう考えたときに浮かぶ、もう1つの悩み。過去のこと。ドラゴン戦の前にいきなり「ドワーフの城塞」が鮮明になったとき、同時に気づかされたことがあった。
彼には過去の記憶がなかった。高校の部室にいたこと。その高校の生徒であること。それだけは確かだった。しかしその事実以外、一切の記憶がなかった。子供時代、入学前のこと、授業風景、クラスメート。何も思い出せなかった。まるで生まれたときから高校の生徒であり、部室にいたかのように、リョーマの記憶はそこから始まっていた。
いっそこの世界で生きてはいけないのか。しかし自分にそれを選ぶことはできるのか。ベヒモスを倒したとき、自分はどこに誰として帰るのか。
何1つはっきりとしない中、命を賭けた戦いとともに、かけがえのない仲間たちとの別れだけが近づいて来る。別れを告げる気持ちにもなれず、しかし、自分でも分からないことを相談することも出来ず、リョーマはただ答え出ない問いをぐるぐると胸の中に抱えていた。
そしてもちろんそんなリョーマの気持ちなど斟酌することなく、金色(こんじき)の竜は天空から舞い降りてきた。見張り台にいた一行はすでに決めていた覚悟を胸に武器を握りしめた。1人を除いて。
「あの、ちょっと待ってくださいよ」
「なんじゃい、こんなときに」
「いや、えーと、あれ、ゴールドドラゴンじゃないですか?」
「阿呆か貴様は。他の何に見えると言うんだ」
「おかしいでしょ!? なんで皆さんそんな落ち着いてんですか!?」
「変だな。ちゃんと前もって説明しておいたと思うんだけど」
「いや、だって本気だとは思わないでしょおおお!?」
「まさかリョーマを疑ってたの?」
「だから、そういう話じゃないでしょうがあああ!」
そのとき、良いか?、と一同の脳内に直接語りかける声があった。それは黄金のように気高く、黄金のように冷たく響いた。
(我が血族が世話になった。貴殿らを資格ありし者と認めよう)
そして沈黙が流れる。戦いの準備を待っているのだと無言のうちに察したドワーフたちは一度だけ目を合わせると、階下へ降りていった。1人残されたリョーマは魅入られたように金色の竜の輝く瞳を見つめた。
(リョーマ)
突然、名前を呼ばれたリョーマは驚きのあまり目を見開く。しかし続く言葉はさらに彼を驚愕させた。
(久しぶりだな。前回は不覚をとったがこのたびはそうはいかぬ……いや、貴殿としては初めて出会うことになるのか。奇妙な宿命よ)
「それは一体どういうこと……」
(貴殿の仲間の準備が整ったようだな)
とまどうリョーマの言葉を聞いてか聞かずか、ゴールドドラゴンが呟く。砦の前では4人のドワーフが武器を構えてゴールドドラゴンの前に立っていた。
「待って! 僕は……!」
(いざ、尋常に)
黄金の竜は咆哮と共に戦いの開始を告げた。
戦いは一瞬で終わりを告げた。
(見事だ)
地面に炸裂させた竜撃砲による煙幕、3人のドワーフによる連携攻撃、その隙間を縫うようにグリッドの手斧が黄金の鱗を削り取るのに要したのはわずか一呼吸ほどの時間。
(貴殿らの証は立てられた。印を授けよう。必要となる日は遠くない)
ゴールドドラゴンの全身が淡い燐光を帯びた次の瞬間、その光がドワーフたちの戦斧へと吸い込まれる。輝きが収まったとき、ドワーフたちの斧の光沢は神竜の鱗のそれと化していた。驚きと喜びに沸くドワーフたちから外された黄金の瞳の視線はリョーマへと向けられた。
(リョーマ。またしても敵わなんだな)
「いや、あの何を言ってるのかさっぱり分からないんだけど」
(お別れだな。またいつか、違う世界、違う秩序で出会うまで)
「おい。話を聞け」
巨大な翼が大きく羽ばたき、砦ごと吹き飛ばされそうな烈風が竜の身体を一気に上空へと押し上げた。ほれぼれと己の武器を眺めるドワーフたちと困惑を隠せないリョーマを残して伝説の幻獣は黄金の太陽に溶けていった。
最終決戦までに残された時間と資材は全てビール樽を補充するのに使われることになった。ドワーフたちは悩むことなく黄金の竜鱗を本軍へと送ることを決めた(グリッドだけ少しごねた)。証は鱗でも武器でもなく、自身の内にあったからだ。
しかし送られてきたビール樽は依頼した3個ではなくその倍の6個、さらに黄金の竜鱗も一緒に送り返されてきた。同封された書簡には「手違いで送られてきた模様。持ち主へ返却す」とだけ、王の直筆で書かれていた。
そしてベヒモスは初雪とともに訪れた。
「あんなところに山あったっけ」
「心当たりないのう」
「こんな近くにあったらさすがのアタシでも気づくさネ」
「だよね」
岩山の中腹に位置するドワーフの城塞。その見張り台からも視線の高さにその頂きがくるほどの真黒く小高い丘が、その色と対照的な無垢の初雪に覆われていた。黒豚の丸焼を岩塩で焼いたよう、と評したのはジェシカだった。
それは大森林の中ほどに突如として出現したように見えたが、よく見ると周囲の森林の木々が明らかに進行方向へとなぎ倒されており、それがゆっくりと森を押しのけるように前進してきたことは明白であった。
「こっちに向かってきてるね」
「そのようだな」
「ところでグリッドが荷物をまとめてたようなんじゃが」
「大丈夫でしょ。今ジェシカが向かったから」
逃げ出そうとするグリッドをジェシカが引きずりながら連れ戻している玄関ホールに、オークたちが白旗を掲げながら現れたのはそれからしばらくしてのことだった。
オークたちの言葉は聞き取りづらかったが大筋は理解できた。山のふもと、物資と兵員をまとめて大移動を開始しようとしている妖魔の軍団へと戻っていくオークたちをドワーフたちと人間は無言で見送った。
短くなった日の終わり、食堂の大テーブルには、新鮮な野菜を特製ソースで味付けしたサラダや焼いた紅芋などが並んでいた。それらはビール樽と一緒に届いた物資だった。ドワーフと暮らすうちにいかなるときも食事だけは欠かさない習慣を覚えたリョーマはドワーフたちとそれらを胃袋に収めながら会話に参加した。
「要は大森林の中央にある妖魔の陣地の跡地まで行けばいいわけだね」
「迷惑な話だネ。自分たちで扱いきれないものを呼びだすなんてサ」
「それだけ俺たちが脅威だったということだ。光栄な話だな」
「結果、妖魔たちの本陣は退いたわけじゃし、災い転じて福と成すじゃな」
「福と成してないですよおお! なんで皆さんそんな落ち着いてんすかああ!」
段階を踏んで強大な妖魔たちと相対してきたことで知らずのうちに感覚がマヒしていた4人と異なり、いきなり数々の人知を超えた存在と見(まみ)えることとなったグリッドは頭を抱えていた。逃げ出そうにも山越えに必要な道具は全てジェシカに奪われてしまっている。
「グリッド、別にあの小山を止める必要はないんだよ」
「それは分かってますよおお! でも同じくらい大変なんでしょおお!?」
「うるさいヨ。食事のときくらい静かにしたらどうさネ」
オークたちによると、どうやら妖魔たちは禁断の秘法に手を出したらしい。四大精霊神の力を直接この世に顕現させる儀式を、多くの妖魔を生け贄に捧げることで敢行したが「チョット、字ヲ間違エタ(オーク談)」らしく制御不能な地の力が本陣を呑み込み、それはそのまま移動を開始した。
兵力と物資の約4割を失うという壊滅的被害を受けた妖魔の軍団は一時的に本国へ退却を余儀なくされた。ドワーフの城塞に訪れてその顛末を説明していったのは好敵手としての忠告である、とオークたちの伝令は告げたが、リンデルに言わせれば、万が一にもアレを鎮められる可能性があるならば全て試しておきたいという思惑からだろう、とのことだった。
「いつ気まぐれに奴らの本国に向かうか、分かったもんじゃないからな」
「いずれにせよ教えてもらえたのはありがたいがの」
「でも神竜の試練を乗り越えたのはあそこからでも見えるんだね」
「そりゃまあ見間違えようはないさネ」
妖魔たちに希望を抱かせたのはドワーフたちにもたらされたとおぼしき金色の輝き、ゴールドドラゴンの力だった。四代精霊神そのものには及ばないにせよ、その化身であればほぼ同等かそれ以上の存在であるゴールドドラゴン。その恩恵を受けた武器であればベヒモスの力をこちらの世界につなぎとめてしまっている要(かなめ)を破壊できるかもしれないと考えたらしい。
食事を終えると手早く荷物をまとめた。迫りくる黒塊を避けなくてはならないため、往復で3日はかかる見通しの旅程だった。城塞のそびえる山中よりはましとはいえ寒さは厳しい。防寒具は必須だった。残されたビール樽8個も当然全て持って行く必要があった。食料と水は言わずもがなだ。
全ての用意を整えた出発の前夜。リョーマはジェシカの部屋の扉を叩いた。怪訝な顔をしつつも招き入れたジェシカとここに来てからのあれこれを話した。そんなこともあったさネ、と笑うジェシカを相手に思い出せる限りの思い出を、なぞり直すことで固い石に跡を付けるかのように、何度も。
最後にリョーマは部屋を去る前にジェシカに右手を差し出した。静かな笑みを浮かべているリョーマに何かを感じかけたジェシカだったが、何も言わずにその手を力いっぱい握った。痛みに顔をしかめるリョーマにジェシカが声を出して笑う。その痛みと微笑みはリョーマにとって何よりも(例えるなら口づけをするよりも)特別で忘れえないものだった。
5人は次の日の朝に旅立った。食料と水、防寒具と燃料、残ったビール樽全て。それらを荷台に積み上げ、かわるがわる引いて行く。一行は落ち着いていた。二度とこの城塞に帰って来れないかも、などと口に出しては一向に無視されていたのはグリッドだけだった。リョーマはその考えを口にしなかったからだ。
2日の行程の果てに一行は妖魔の本陣に辿り着いた。
そして最後の戦いの火ぶたが切っておとされた。
一行がベヒモスの力を封じることに成功してから1ヶ月が経ち、季節は真の冬になっていた。砦の外から名も知らぬ獣の遠吠えのように聞こえてくるのは凍えるような強風。この時期、残されたドワーフが城塞を守る相手は厳しい自然だった。
寒々しい玄関ホールの外に通じる扉がわずかに開いた。入ってくる外の冷たい空気と吹き付ける雪を最小限にすべくすぐ閉じられる。その隙に小さい身体をねじこんだ人影は自身に降り積もった雪を、溶けて身体を冷やす前に急いでふるい落とした。
「南の城壁よしと……」
ジェシカは小さく呟いた。普段通りの大声は静かな砦の中に無駄に大きく響く。
あれからリンデルはこの地で鍛えた腕を振るうべく新たな戦場を求め旅立った。カルガンは本国に戻り武術指南として若手を鍛えているらしい。グリッドは竜の証のおかげでかなりの高待遇を得られているとのことだがそれに胡坐(あぐら)をかいているのが不安でならない、というのはカルガンからの手紙にあった言葉だ。そしてリョーマ。
「やっぱり1人で管理するにはちょっとデカすぎる砦さネ」
疲れたようにジェシカはため息をついた。初めてリョーマと出会うその日までは、辺境の砦ということもあってたった1人で城塞を守っていた。今と同じように、たった1人で。
当時はまだ夏の気配も残る季節だった。外を見回ることも見張り台に立ちつくすのも大した労苦ではなかった。それで気が抜けていたのだろうか。いつのまにか妖魔の本陣が築かれ、援軍を呼ぶのが間に合わなかった。放棄する屈辱を負うか、戦って死ぬかの2択を迫られていたジェシカに、新たな選択肢をもたらしてくれたのがリョーマだった。
1階の食堂で暖炉に薪を足しながら初めて出会ったリョーマは人間にしてもあまりに細く、今にも折れてしまいそうな枝を思わせた。それからの数ヶ月に及ぶ砦の生活の中で随分と身体も鍛えられたはずだったが、それでも見た目の頼りなさはあまり変わらなかった。
頼りになったのは腕っ節じゃなかったよネ、とジェシカは鍋の準備をしながら懐かしげに目を細めた。それでも、と眉をひそめる。いくらなんでもあれじゃ細すぎさネ。
そのとき階段から、下りてくる足音と疲れ切った声が聞こえてきた。
「腕立て50回と腹筋50回、廊下の30往復、終わったよ……」
「思ったより早かったネ。じゃあもう1セット追加」
「え」
愕然とするリョーマにジェシカが顔をしかめる。
「え、じゃないヨ。まだアタシに腕相撲で3回に1回しか勝てないくせに」
「そりゃそうだけどさあ」
せめて水だけは飲ませてよ、と食堂の上に並べられた2人分の食器から杯を取り上げる。鍛錬に専念するために城塞の管理をジェシカ1人に任せているという負い目があり、リョーマも本気で休もうとは思ってはいなかった。加えて、少しずつ強くなっていく実感は確かに充実したものではあった。それでもジェシカの鍛錬の方針に疑問がないわけではなかったが。
「鍛えるのはいいけど、腕相撲の練習の時間はさすがに長過ぎない? 趣味?」
「だってアタシの父さん、腕相撲で勝てない相手は絶対に認めてくれないし」
「認めるって何を」
疲れ果てた様子で椅子に腰を下ろしたリョーマが発した問いに、なぜか耳まで赤くしたジェシカは怒ったように「ほら、さぼるんじゃない!」と2階へと追いやった。
怒られた訳も分からずにリョーマは水を一気に飲み干すと再び2階へと駆け上がった。それは出来ることをするために、出来ないことを出来るようになるために、そして、少なくとも好きな相手に抱きしめられただけで音を上げたりしないようになるために。
<エピローグ>
ここは世界の北、夏は短く冬は長く厳しい。海には無数に浮かぶ島々。その中でも特に大きな島々にはそれぞれ黄金の竜が住まうという。
それらの中の1つ、多くの種族が縄張りを争っている特に巨大な島の西部では、ドワーフと妖魔が南北に伸びる山脈を挟んで争いを続けている。
島全体と全ての種族を巻き込む100年の戦乱が始まるのはそれから数年ののちのことだったが、その中でリョーマとジェシカが担った役割については、また別の物語となる。
(終わり)
<そして、もう1つのエピローグ>
午後の授業を終えて部室に入ってきた高田は、一番乗りと思いきやOBの桂木がソファに寝そべっているのを発見して顔をしかめた。
「先輩、ホントに大学行ってるんすか」
「んー。相変わらずご挨拶だなあ。行ってるよ、ちゃんと」
後輩の言葉に身を起こし、大きく伸びをする桂木を無視して、高田はテーブルの上の紙束を調べた。週末に遊ぶ予定のゲームに必要な用紙を回収しておくためだ。しかし目的のブツを見つけたと思いきや、彼は困惑した様子で用紙をまじまじと見つめた。
「あれ? まさか先輩、俺のキャラクターシートの情報、消しました?」
「消さねーよ! そもそもお前、いつもボールペンで書いてるじゃねーか」
「いや、今週末のクトゥルフで使う予定だった高校生のデータが消えてるんですよ。まあ、名前と能力値以外は、この部に所属してるって設定くらいしか書いてなかったんすけど」
「知らねーよ、そんなこと」
「あ、そうそう。ちなみに、自慢じゃないっすけど、同じ名前をつけたキャラで先日ゴールドドラゴンを倒しましたよ!」
「ホンットに自慢でもなんでもねえよ、それ! 俺の脳内にいらん情報をインプットするな、ただでさえ容量少ねーんだから! つーか、常識的に考えて、別のキャラクターシートに書いたんだろ」
「いや、絶対これですって! ほら、ここにコーヒーのしみが!」
「しみ付けた時点で使うなよ!」
「味があっていいじゃないっすか……コーヒーだけに」
得意げに笑みを浮かべる後輩相手に、うわ殴りてえ、と思いながら桂木が立ち上がる。どうせ別のキャラクターシートと見間違えているのだろうと乱雑に散らかったテーブルの上を見回した。そして別の何かに気づいた。
「あれ? なんだよ、ドワーフの城塞、こんなところに置いてあるのか。ちゃんと遊んでくれよ、面白いんだって」
それは彼が先日のゲームマーケットで購入してきたポストカードゲームだった。1枚50円だったので、10枚を500円でまとめ買いし、そのうちの数枚を部室に寄付していったのだ。高田は少しばつの悪そうな顔をしつつ、手にした記入のないキャラクターシートをひらひらと示した。
「あ、すんません。昨日、きっと誰かがテーブルの上を片づけたときにこれと重ねたんすよ。こないだまで重なって隠れてたの分けておいたはずなんで」
「そっか。ん? あれ? おかしいな」
「どうしたんですか?」
「乱丁かな。なんかイラストが他のと違ってる気がする」
ポストカードの体裁をとっているそのゲームは、宛先を書く側の下半分を「ドワーフの城塞」のルールテキストが占めており、そのテキストボックスの上には砦と7匹のゴブリンのイラストが描かれている。彼が指し示したのはその砦だった。
「ほら、砦のインクがかすれて、城壁に誰か2人が立ってるみたいになってる」
「それ1枚だけっすね、そうなってるの」
「こっちはお下げがあるから女の子っぽいな」
「じゃあもう1人のちょっと背が高いほうが男の子っすかね」
そこで他の部員がぞろそろと部室に入ってきたので、2人は会話を切り上げて、テーブルの上をあらためて整理して脇に寄せた。せっかく人が集まったのだから何かボードゲームでも遊ぼうと考えたからだ。
その後、そのとき見かけた乱丁とおぼしき「ドワーフの城塞」のポストカードはいくら探しても見つけることは出来なかった。しかし高田も桂木もすぐにそのことは忘れてしまった。
遊ばないといけないゲームも、救わないといけない世界も、倒さないといけない敵たちも、食べさせないといけない家族たちも、まだたくさん残っていたからだ。
(本当に終わり)
以下が公式ページ
I Was Game:『ドワーフの城塞』
http://c3ba95dc5fb36b51a14310b783.doorkeeper.jp/events/16376
以下が第1話目から第3話
第1話:リョーマとジェシカ
http://regiant.diarynote.jp/201412041447355994/
第2話:竜鱗甲と勝利の確率
http://regiant.diarynote.jp/201412050218092594/
第3話:分岐する未来
http://regiant.diarynote.jp/201412070750474204/
第1話はフレイバー重視、対して第2話と第3話はシステム面の魅力を重視したもの。そしてこの最終話はどちらも詰め込めるだけ詰め込んでみた。
《ドワーフの城塞攻防記》 最終話:ドワーフと人間の城塞
リョーマはベッドに腰かけると、大きく息をついた。それは目が覚めた瞬間だった。不思議なことに、はっきりと「ドワーフの城塞」のポストカードの内容が思い出せた。
それは、まるで伏せられていた紙を表返したかのようだった。次に襲ってくる敵の名前と強さだけでなくその特殊な能力も含めて全てが見えた。
何かが起きたらしい。しかし今のリョーマにとって重要なのは、その原因ではなく、それがもたらした事実だった。次に襲来する妖魔、その強さと今の戦力。
「このままじゃ勝てない」
ぼそりと呟く。それは次のドラゴンとの対決のことでもあり、その先に控えるさらなる妖魔たちとの戦いとのことでもあった。
リョーマが説明を終えたとき、リンデルとカルガンはしばらく言葉が出なかった。自信ありげというよりも悲壮なまでに覚悟を決めているといった雰囲気のリョーマの顔は嘘をついているようには見えなかったが、しかし。
「ドラゴンは、まだ分かるんじゃが……」
困惑した顔のカルガンの言葉のあとを継いでリンデルが、ビホルダーだと?、と呆然とした口調で呟く。ビホルダーってのは聞き覚えのない名前だネ、とジェシカが正直に言うとリンデルは、もちろん俺も実際に見たことはないが、と前置きして語り出した。
「聞いたことがなくて当然だ。ビホルダーはただの妖魔の名前じゃない。その名前が指すのは世界にたった1体しか存在しない、ある個体の名だ。真のビホルダーは常に単一で、まがいものの存在は決して許されない。決してだ」
異世界の神とも、無の精霊の化身とも噂されるその存在は、口伝によると宙に浮く巨大な眼球の姿をしており、全身から生えた7本の触手の先にはそれぞれ目玉がにらみをきかせているとのことだ。
通常の生物の瞳が前についているのは未来へ向かうためと言われている。過去を背後とし、前に向かい生きていく使命があるからだと。
しかしビホルダーには未来も過去もない。その存在は常にただ1体、今現在にしかない。そのため、いかなる連携を見せようとビホルダーの不意をつくことはできない。予想できない未来がないからだ。殺したものを顧みることもない。過去がないからだ。
加えて、7本の触手の先にある目玉から放たれる光線はそれぞれ違った効果を持ちつつも、そのどれも、浴びた者にありふれた死よりも恐ろしい結末をもたらすと言われている。例えばその1つである石化光線を浴びたものは意識あるままに指先一つ動かせぬ石像と化すらしい。
長大な叙事詩に関わるような歴戦の勇士であっても、その頭を地面にこすりつけ許しを乞う。それがビホルダーという存在だと。
「え? どうするのサ、それ」
あまりのスケールの大きさにどう反応すればよいか分からないジェシカが呟く。
「滅ぼすことはできないが撃退することに成功したという話はいくつか伝え聞いてはいる。要はビホルダーの認識する現在と俺たちを一時的に断ち切るんだ。全ての触手の目玉をつぶした上で最後に眼球をつぶすことでビホルダーは俺たちを認識できなくなり、俺たちもビホルダーを認識できなくなる」
そうして姿を消したビホルダーは少なくとも数十年は再び目撃されることはないらしい、とリンデルは締めくくった。分かっていなかったが、とりあえず分かったふりをしてうなずくジェシカに対し、リョーマは理解しなくてはいけない部分だけを簡潔に述べた。
「要するにユニゾンが効かないんだよ」
「ああ、そういう話」
ようやく笑顔を浮かべたジェシカの横でカルガンはしかめ面で顎鬚をしごいていた。カルガンはビホルダーよりも、ビホルダーの次に襲来するとリョーマが告げた存在のことを考えていた。それは妖魔のくくりに入れられることが多いが、魔と呼ぶにはあまりにも美しく畏怖すべき存在であった。
「神竜か」
ゴールドドラゴン、またの名を神竜。炎と地に生きるドワーフにとって「ドラゴン」とは常に特別な存在であり、そのドラゴン族の頂点に立つゴールドドラゴンは神にも等しい存在だった。
大海に浮かぶ主要な島々(この砦も、それらのうちで比較的大きな島の1つの辺境に位置している)には、それぞれの島ごと、1つの時代に唯1体のゴールドドラゴンが生まれると言われている。そのため目撃された回数だけであればビホルダーの比ではない。しかしゴールドドラゴンと戦った記録はビホルダーのそれよりさらに少ない。神に戦いを挑むものはいない。相対するとき、そこに生じるのは戦いではなかった。
それは証明であった。
「まさかこんな辺境でドラゴンの証を立てることになろうとはのう」
カルガンの口元が緩む。
ドワーフの戦士が真の勇者として認められるにはいくつかの選択肢があった。その1つがドラゴンの証と呼ばれる印である。ゴールドドラゴンが挑まれた者、つまり試すにふさわしいと認められた者は、猛攻をしのぎきった上で、その黄金の鱗を1枚奪うことで、輝く鱗とともにドラゴンの証を与えられる、と言われている。
「このような辺境に神竜がなぜ訪れるのかは分からんが、もし本当に来るのであれば、証を得る最初で最後の機会のなるかも分からんな。最期になろうとみっともない真似は見せられんのう」
手にした戦斧に静かな視線を向けるカルガンの覚悟を決めた様子にリョーマはうなずいた。
「正直、今のままだったらみっともない真似を見せるだけで終わるだろうね。改良した樽爆弾を4人で全弾命中でもさせれば勝てるだろうけど、今は一度に爆弾を投げられるのが2人までだ。大体からして樽の数が足りなすぎるし」
ゴールドドラゴン相手に勝ち目があるとすれば、2人の連携攻撃が成功すると同時に樽爆弾を2発命中させた場合だけ、とリョーマが語る。
しかしそのためには残り4個しかないビール樽では到底足りない。そもそもゴールドドラゴン以前に、次に襲来する通常のドラゴンさえも樽爆弾を計算に入れてようやく勝てるかどうか、さらにその次のビホルダーに至ってはユニゾンが効かないため樽爆弾が何発あっても多すぎるということはない。
「いずれにしてもゴールドドラゴンの次に来る最終決戦のことを考えたら結論はただ1つだよ。僕らに必要なのは5人目の仲間だ。そして決めなくちゃいけないのは、ゴールドドラゴンとの戦いまでに5人目を確保するか、最終決戦前まででもいいのか、だ」
最終決戦前までで良しとするならば、ゴールドドラゴンとの戦いまでに連携攻撃や樽爆弾の威力をさらに強化する時間がとれる、ただ5人目の仲間はそれを上回る力となってくれるかもしれない、と悩むリョーマの言葉にリンデルが、珍しく困惑げな様子で割り込む。
「その最終決戦だが……貴様、本気で言っているのか?」
「本気って、ベヒモスのこと?」
「軽く言うが、本当に知っているのか、ベヒモスを」
ベヒモス。
世界は地水火風の四大精霊力で構成されていると言われている。そして地の精霊力を司る精霊神こそがベヒモス、またの名をバハムルトと呼ばれる存在である、と言われている。
いや、正しくはそう「書かれている」と言うべきだろう。神殿の聖典にも、魔法学院の教本にもそう書かれている。大地と生命の力を引き出して治癒の魔法をかける神官たちも、大地と創造の力を引き出して地割れを起こす魔法使いたちも、そこに書かれていることを疑いはしない。現実に現れる結果がそれを証明するからだ。
しかし彼らもベヒモスという存在自体を信じているわけではない。それは力であり、概念であり、教えとも呼ぶべきものだ。
「大体からしてどういうことだ、ベヒモスが襲ってくるというのは」
「知らないよ、そんな細かいこと」
リョーマは先にした説明を繰り返す。このあとドラゴンの襲来がある。それに続くのは連携攻撃の効かないビホルダー、その撃退に成功したあと、どのような形で相見えることになるかは分からないにしてもゴールドドラゴンが姿を見せる。
「そして最後はベヒモスだよ。ベヒモスが現れるのか、その化身だか何だかが現れるのかは知らない。僕に分かっていることは、それがギリギリの戦いになるだろうってこと、そして勝つためには5人目の力が不可欠だってことだよ」
仮に4人による連携攻撃が成功したと過程しても、なおベヒモスを打倒するには足りないことをリョーマは知っていた。4人全員が樽爆弾を命中させれば足りるが、そのための準備は逆説的に敗北を意味していた。
なぜならベヒモス戦の全てを樽爆弾に賭けるという決意は、それまでの連戦に「ビール樽を使わない」ことを意味する。そして現在の戦力ではベヒモス戦までの熾烈な戦いを樽爆弾抜きに勝ち抜くことは不可能だ。
「ドラゴン戦とビホルダー戦に樽爆弾は絶対必要で、この2体との戦闘で今ある4個のビール樽はほとんどなくなるはずなんだ。そのことを考えるとベヒモス戦までに5人目は絶対必要。だから問題は、いつ、ってことだけなんだよ」
5人目をいつまでに呼ぶか。ゴールドドラゴン戦までに呼ぶのか、ベヒモス戦に間に合えばいいのか。そして5人目を呼ぶ以外にとれるわずかな準備期間を何に当てるか。少ない選択肢の中に勝利と敗北が潜む。
リョーマとドワーフたちが相談している間に状況をデータ面からまとめてみる。物語の先に興味がある人は、この枠内の文章を丸ごと飛ばしてもらってかまわない。
さて。
仮に5人目を呼ばないとすると、その分で余る資材と労力で替わりに得られるのは「重複MAX + ユニゾンMAX」もしくは「樽爆弾MAX + ビール樽6個」など。
しかしリョーマも言ったように、これらスキルのレベルを上げたところで最終ボスのベヒモスを「4人のみ」で倒すイメージがどうしてもわいてこない。
ユニゾンMAXの場合は「4個のサイコロのうち3個以上がゾロ目となること」が前提だし、樽爆弾をどんなに強化しようと(同時に重複配置を強化しない以上)一度に爆弾を撃てるのは2人までであり、ベヒモスを倒すには足りない。
悩んだ挙句に達した結論は「振り直しをMAXまで上げるのに資材をつぎ込んでしまった以上、たとえそれが博打と分かっていてもユニゾン(+重複配置)に賭けるしかない」ということ。
そこで腹をくくって「5人目 + 3人によるユニゾンが成功する」という前提で行くとして、今後の砦の発展はどうすべきか。
まずベヒモス戦までにどれだけの資材と労力が手に入るかを計算する(なお、1体の敵を倒すと必ず2点分の資材が手に入り、かつ最低限の労力で敵を倒すと1点のボーナスが手に入る)。
ジンを倒して得た 3点 のうち、2点 はすでに樽爆弾の改良に充てることが確定しているので、余り【1点】、加えて ドラゴン【2点】 + ビホルダー【2点】 + ゴールドドラゴン【2点】 で計7点。
つまりゴールドドラゴンまでに5人目を呼ぶということは(ボーナス分が得られなかった場合)今現在のスキルのままでゴールドドラゴンに挑むということになり、勝つ条件は「ユニゾン 2人 + 樽爆弾 1人 + 残り2人で10点ダメージ」だ。
2人で10点はきつい(確率は6分の1しかない)が、振り直しは3回できるし、運が良ければ(=ドラゴンとビホルダー相手にボーナスを稼ぐことに成功すれば)重複配置をもう1レベル上げておくこともできる。
何をどうしようが博打になるのは確実なんだし、勝てる可能性があるのだけまし、ということでジンで稼いだ経験値は「重複配置1」と「樽爆弾2」と割り振ることにした。
ドラゴン戦はほぼ確実にボーナス点がもらえるので全てを「5人目」につぎ込む。ビホルダー戦でボーナスが得られれば「5人目+重複配置」、ボーナスが得られなければ「5人目」でゴールドドラゴン戦だ。
リョーマの言葉は簡潔だった。
「連携重視で来たんだ。今更変えられないよ」
リンデルもカルガンも反対しなかった。そこにはおそらくジンとの戦闘で連携が効果的に働いたイメージがまだ色濃く残っていたからかもしれないし、リョーマに対する信頼があったのかもしれない。いずれにせよ結論は決まった。
そして1週間後。5人目の援軍より先にそれは訪れた。
「来たか」
「そのようじゃな」
見張り台から眼下に遠く広がる大森林の上を巨大な生物が滑るように飛んでくる。遠近感がおかしくなるほどの大きさを持つそれは、以前戦ったドラゴンパピーがまさに赤ん坊(パピー)であったことを痛いほど知らしめてくれた。
「ジェシカ、リョーマ。竜撃砲と樽爆弾は任せたぞ」
「了解だヨ」
この日のために樽爆弾の改良を続けてきたジェシカがニッと笑い、傍らに並べたビール樽を叩いた。その横で、準備の整った竜撃砲に片手を当てたリョーマが2人のドワーフに、気を付けて、と声をかけた。
「ああ、せいぜい気を付けるさ。竜の鱗を傷つけないようにな」
「余裕じゃなあ、おぬしは」
2人のドワーフが階下へと姿を消す。樽爆弾の準備を始めるジェシカに向かって、何かをためらっていたリョーマが意を決したように口を開きかけたとき。
大気が渦巻いた。立っているのがやっとなほどに。
巨大なドラゴンが見張り台からの視界を完全に遮り、大きくはばたきながらゆっくりと砦の前に降り立つ。その翼が大気を乱し、その巨体が大地を揺らす。
砦の2階にいてすら頭上に位置するドラゴンの両のあぎとから、聞く者の魂を震わせる咆哮が放たれる。まるでそれが合図であったかのようにドワーフの戦士2人が左右からドラゴンに襲いかかる!
ドラゴンの強さは29で、これは2人分のユニゾンアタックと樽爆弾1発でちょうど。今現在の残り樽数が4個なので「ゾロ目 + 4以下の目」があれば勝利……(コロコロ)……っと、サイコロ4個の出目は【1】【2】【2】【6】。よし完璧。
【2】と【2】をユニゾンに設置、【1】を樽爆弾に設置(【6】は未使用)。これで樽消費を最小限に抑えつつ、ちょうど29点!
戦闘は一瞬だった。カルガンとリンデルが左右からドラゴンの両足をそれぞれ切りつけ機動力を奪い、リョーマがわざと外した竜撃砲の音にドラゴンが顔を向けたところへジェシカの樽爆弾がその咥内に炸裂した。
胴体をほぼ無傷のままにドラゴンを倒すことに成功し、得られた竜の鱗は全て5人目の増援を確実に回してもらうために使われることとなった。
ドラゴン戦に樽を大量消費していた場合には、新たに樽を買い入れる必要もあった。しかしジェシカが奇跡的にも1個の樽爆弾の消費でドラゴンにとどめを刺したおかげで、残りのビール樽は3個。5人目を諦めてまで新たな樽を補充する必要はないという結論には誰も反対しなかった。
それからまた1週間と少しが経過し、5人目の仲間はまだその姿を見せていなかった。しかしビホルダーは何の前触れもなく砦の前にいた。ただ気がついたときにはそこに、まるで訪れるまでの経過を無視したかのように。
砦の半分ほどもある巨大な眼球がどす黒く厚い皮膜に覆われ、その皮膜はそのまま瞼(まぶた)の代わりにもなっていた。全身から死角なく全方向へと伸びた触手のそれぞれの先には大人の背丈と同じほどの大きさもある目玉が虹色に光っている。生物と呼ぶにはあまりに異形だが非生物と考えるにはあまりに生物的であった。
見張り台の壁の内側に張り付き姿を隠したジェシカとリョーマは、額から頬へと伝う汗もそのままに、身じろぎ一つせず合図を待った。数秒か、数分か、数時間か。時間が過ぎる。
玄関ホールで壺の割れる合図が聞こえた。
その瞬間から、正確に3秒数えたあと、リョーマは弾かれたように竜撃砲に取りつき、ジェシカは樽爆弾を抱え上げた。それとまったく同時に、砦の正面玄関からリンデルとカルガンが飛び出し、ビホルダーの8つの瞳が見開かれる!
ビホルダーの強さは26でドラゴンよりも弱い。しかしユニゾンが効かないため、樽爆弾に頼らざるを得ない。樽爆弾2発と白兵戦か、樽爆弾1発と竜撃砲+白兵戦か。
低い出目が多ければ(具体的にはサイコロ2個で3以下)樽爆弾2発を、大きな出目が多ければ(具体的にはサイコロ3個で15以上)樽爆弾1発を消費することになる……(コロコロ)……っと、サイコロ4個の出目は【4】【4】【5】【6】。すごい出目だな。まさかサイコロ3個で15以上が出るとは思わなかった。助かった。
まず【4】【5】【6】をキープして、2つ目の【4】を振り直せばよし。この1個をあと3回振り直して、1回でも3以下になれば勝ちだ。それも出来る限り低い出目が望ましいところ。
まず1回目の振り直しが……(コロコロ)……【5】か。あと2回振り直せる……(コロコロ)……【5】!?
あれ? こ、これ、次に振り直して4以上だったら普通に負ける? いや、え、でも他に選択肢ないよな。キープしといたサイコロを振り直してもしょうがないし、腹をくくるか……(コロコロ)……【1】! よしっ!
【1】を樽爆弾に設置、【4】を竜撃砲に設置、【5】【6】を白兵戦に設置して、これでダメージの合計はちょうど26点!
リンデルとカルガンの斧が閃き、それぞれ左右から生える触手を2本ずつ切り落とす。リョーマの竜撃砲が外しようのない巨大な的、ビホルダーの巨大な眼球に突き刺さる。あとは上方に生える3本の触手を樽爆弾が一掃すれば勝利だった。
しかし焦るジェシカの手元はどうしても導火線に着火できない。ジェシカが焦れば焦るほど導火線は近づける松明の火から逃げるようだった。そうしているうちに切り落とした触手が再生を始めるのをリョーマは見た。
「ジェシカ! 急いで!」
「ええええええい! もうどうにでもなれだヨ!」
リョーマの叫びにジェシカは着火したのかどうかも確認せずに残った樽爆弾3個を全て次から次へと下へ放り投げた。落ちていく樽を目を丸くして見つめるリョーマには、降って来るものに気づき慌てて逃げ出すリンデルとカルガンがスローモーションのようにゆっくりと見えた。
ビホルダーの残された3本の触手が落ちてくる樽に気づく。自身に命中しそうなのがそのうちの1個だけだと気づいたビホルダーは、それに向かって2本の触手を向ける。辺り一帯に轟く雷撃とドラゴンの鱗すら炭に変える業火が放出された。
それらを呑み込んだドワーフ秘伝の樽爆弾は、たった1個であったにも関わらず過去最大級の爆発を見せたという。
「終わり良ければ全て良しさネ」
「良いわけがあるか。下には俺たちがいたんだぞ。消し炭にするつもりか」
「無事だったのにいつまでもうるさいヨ。みんな無事だったし、残り2個の樽も不発に終わってて使い回せるんだし、ビホルダーも倒せたし、何が不満なのサ」
「そうだな、貴様のその態度以外は特に不満はない」
「なら良いじゃないのサ!」
「良いわけあるか。一言でいい、謝れと言っているんだ」
ジェシカとリンデルの言い争いが生き残ったことに対する安堵のため息を兼ねていることを知っていたリョーマとカルガンは気にする風もなく生姜湯でつぶした芋をのどに流し込んでいたが、訪れたばかりの5人目の援軍である手斧使いのドワーフ、グリッドはどちらを止めるべきか、おろおろととまどうばかりであった。
「リョーマさんもカルガンさんも止めるの手伝ってくださいよおおお!」
「(もぐもぐ)手伝え、って言われてもすることないし」
「(もぐもぐ)リョーマの言う通りじゃ。おぬしも食わんともたんぞ」
その後、ビホルダー戦で想定されていた被害(砦の破損や戦いによる怪我など)はリンデルの主張する「精神的外傷」を除けば皆無に等しく、予定していたよりも多くの訓練時間を次のゴールドドラゴン戦までにとれることが分かった。
ドワーフたちは新たに訪れたグリッドを交えて3人以上の連携に精を出していた。それを2階の見張り台から見下ろしつつ、リョーマはしばらく前から考え続けている答えの出ない問いに悩んでいた。それは大きく分けて2つあり、未来のこと、そして過去のことだった。
この先の未来、彼は最後の妖魔であるベヒモスを倒すことで元の世界、現実の高校に戻ることが出来るのだろうと考えていた。もちろん何の根拠もなかったし、どうやって戻るのかも分からなかった。部室で目が覚めるのか、謎の光か何かに包まれるのか。
いずれにせよベヒモスを倒した瞬間にはもうここを離れているのかもしれない。そうだとすれば、別れを言う機会はベヒモスとの戦闘が始まる前しかない。
(別れか)
それは考えただけでも驚くほどにリョーマを動揺させた。カルガンの場を落ち着かせる低い声、博識なリンデルの口から語られるこの世界の不思議、そしてジェシカ。
この世界にいてはいけないのだろうか。そう考えたときに浮かぶ、もう1つの悩み。過去のこと。ドラゴン戦の前にいきなり「ドワーフの城塞」が鮮明になったとき、同時に気づかされたことがあった。
彼には過去の記憶がなかった。高校の部室にいたこと。その高校の生徒であること。それだけは確かだった。しかしその事実以外、一切の記憶がなかった。子供時代、入学前のこと、授業風景、クラスメート。何も思い出せなかった。まるで生まれたときから高校の生徒であり、部室にいたかのように、リョーマの記憶はそこから始まっていた。
いっそこの世界で生きてはいけないのか。しかし自分にそれを選ぶことはできるのか。ベヒモスを倒したとき、自分はどこに誰として帰るのか。
何1つはっきりとしない中、命を賭けた戦いとともに、かけがえのない仲間たちとの別れだけが近づいて来る。別れを告げる気持ちにもなれず、しかし、自分でも分からないことを相談することも出来ず、リョーマはただ答え出ない問いをぐるぐると胸の中に抱えていた。
そしてもちろんそんなリョーマの気持ちなど斟酌することなく、金色(こんじき)の竜は天空から舞い降りてきた。見張り台にいた一行はすでに決めていた覚悟を胸に武器を握りしめた。1人を除いて。
「あの、ちょっと待ってくださいよ」
「なんじゃい、こんなときに」
「いや、えーと、あれ、ゴールドドラゴンじゃないですか?」
「阿呆か貴様は。他の何に見えると言うんだ」
「おかしいでしょ!? なんで皆さんそんな落ち着いてんですか!?」
「変だな。ちゃんと前もって説明しておいたと思うんだけど」
「いや、だって本気だとは思わないでしょおおお!?」
「まさかリョーマを疑ってたの?」
「だから、そういう話じゃないでしょうがあああ!」
そのとき、良いか?、と一同の脳内に直接語りかける声があった。それは黄金のように気高く、黄金のように冷たく響いた。
(我が血族が世話になった。貴殿らを資格ありし者と認めよう)
そして沈黙が流れる。戦いの準備を待っているのだと無言のうちに察したドワーフたちは一度だけ目を合わせると、階下へ降りていった。1人残されたリョーマは魅入られたように金色の竜の輝く瞳を見つめた。
(リョーマ)
突然、名前を呼ばれたリョーマは驚きのあまり目を見開く。しかし続く言葉はさらに彼を驚愕させた。
(久しぶりだな。前回は不覚をとったがこのたびはそうはいかぬ……いや、貴殿としては初めて出会うことになるのか。奇妙な宿命よ)
「それは一体どういうこと……」
(貴殿の仲間の準備が整ったようだな)
とまどうリョーマの言葉を聞いてか聞かずか、ゴールドドラゴンが呟く。砦の前では4人のドワーフが武器を構えてゴールドドラゴンの前に立っていた。
「待って! 僕は……!」
(いざ、尋常に)
黄金の竜は咆哮と共に戦いの開始を告げた。
ゴールドドラゴンの強さはそれまでとは段違いで、いきなり直前のビホルダーの1.5倍もの強さとなる。勝つには3人がかりのユニゾンによる27点が出ることが前提で、残りの2人で「樽爆弾+竜撃砲」を使うか、6ゾロによる「白兵戦×2」の奇跡を起こすか。
まず3つのゾロ目が出るまで振り直すことが前提な上に、余ったサイコロ2個が中途半端に高い目の場合(残りのビール樽が3個しかないので)樽爆弾が使えない。ビホルダー戦での苦戦(振り直し)を思い出すに、かなり怖い。
何にせよ、サイコロ5個振らないことには始まらない……(コロコロ)……ふむ、【1】【1】【1】【6】【6】か……えっ? なんだこれ、えーと? ……ああ、樽使わずに勝ってるな。マジか。
というわけで【1】【1】【1】をユニゾンに設置、【6】を白兵戦に設置、【6】を竜撃砲に設置して、ぴったりゴールドドラゴンを撃破。
戦いは一瞬で終わりを告げた。
(見事だ)
地面に炸裂させた竜撃砲による煙幕、3人のドワーフによる連携攻撃、その隙間を縫うようにグリッドの手斧が黄金の鱗を削り取るのに要したのはわずか一呼吸ほどの時間。
(貴殿らの証は立てられた。印を授けよう。必要となる日は遠くない)
ゴールドドラゴンの全身が淡い燐光を帯びた次の瞬間、その光がドワーフたちの戦斧へと吸い込まれる。輝きが収まったとき、ドワーフたちの斧の光沢は神竜の鱗のそれと化していた。驚きと喜びに沸くドワーフたちから外された黄金の瞳の視線はリョーマへと向けられた。
(リョーマ。またしても敵わなんだな)
「いや、あの何を言ってるのかさっぱり分からないんだけど」
(お別れだな。またいつか、違う世界、違う秩序で出会うまで)
「おい。話を聞け」
巨大な翼が大きく羽ばたき、砦ごと吹き飛ばされそうな烈風が竜の身体を一気に上空へと押し上げた。ほれぼれと己の武器を眺めるドワーフたちと困惑を隠せないリョーマを残して伝説の幻獣は黄金の太陽に溶けていった。
最終決戦までに残された時間と資材は全てビール樽を補充するのに使われることになった。ドワーフたちは悩むことなく黄金の竜鱗を本軍へと送ることを決めた(グリッドだけ少しごねた)。証は鱗でも武器でもなく、自身の内にあったからだ。
しかし送られてきたビール樽は依頼した3個ではなくその倍の6個、さらに黄金の竜鱗も一緒に送り返されてきた。同封された書簡には「手違いで送られてきた模様。持ち主へ返却す」とだけ、王の直筆で書かれていた。
そしてベヒモスは初雪とともに訪れた。
「あんなところに山あったっけ」
「心当たりないのう」
「こんな近くにあったらさすがのアタシでも気づくさネ」
「だよね」
岩山の中腹に位置するドワーフの城塞。その見張り台からも視線の高さにその頂きがくるほどの真黒く小高い丘が、その色と対照的な無垢の初雪に覆われていた。黒豚の丸焼を岩塩で焼いたよう、と評したのはジェシカだった。
それは大森林の中ほどに突如として出現したように見えたが、よく見ると周囲の森林の木々が明らかに進行方向へとなぎ倒されており、それがゆっくりと森を押しのけるように前進してきたことは明白であった。
「こっちに向かってきてるね」
「そのようだな」
「ところでグリッドが荷物をまとめてたようなんじゃが」
「大丈夫でしょ。今ジェシカが向かったから」
逃げ出そうとするグリッドをジェシカが引きずりながら連れ戻している玄関ホールに、オークたちが白旗を掲げながら現れたのはそれからしばらくしてのことだった。
オークたちの言葉は聞き取りづらかったが大筋は理解できた。山のふもと、物資と兵員をまとめて大移動を開始しようとしている妖魔の軍団へと戻っていくオークたちをドワーフたちと人間は無言で見送った。
短くなった日の終わり、食堂の大テーブルには、新鮮な野菜を特製ソースで味付けしたサラダや焼いた紅芋などが並んでいた。それらはビール樽と一緒に届いた物資だった。ドワーフと暮らすうちにいかなるときも食事だけは欠かさない習慣を覚えたリョーマはドワーフたちとそれらを胃袋に収めながら会話に参加した。
「要は大森林の中央にある妖魔の陣地の跡地まで行けばいいわけだね」
「迷惑な話だネ。自分たちで扱いきれないものを呼びだすなんてサ」
「それだけ俺たちが脅威だったということだ。光栄な話だな」
「結果、妖魔たちの本陣は退いたわけじゃし、災い転じて福と成すじゃな」
「福と成してないですよおお! なんで皆さんそんな落ち着いてんすかああ!」
段階を踏んで強大な妖魔たちと相対してきたことで知らずのうちに感覚がマヒしていた4人と異なり、いきなり数々の人知を超えた存在と見(まみ)えることとなったグリッドは頭を抱えていた。逃げ出そうにも山越えに必要な道具は全てジェシカに奪われてしまっている。
「グリッド、別にあの小山を止める必要はないんだよ」
「それは分かってますよおお! でも同じくらい大変なんでしょおお!?」
「うるさいヨ。食事のときくらい静かにしたらどうさネ」
オークたちによると、どうやら妖魔たちは禁断の秘法に手を出したらしい。四大精霊神の力を直接この世に顕現させる儀式を、多くの妖魔を生け贄に捧げることで敢行したが「チョット、字ヲ間違エタ(オーク談)」らしく制御不能な地の力が本陣を呑み込み、それはそのまま移動を開始した。
兵力と物資の約4割を失うという壊滅的被害を受けた妖魔の軍団は一時的に本国へ退却を余儀なくされた。ドワーフの城塞に訪れてその顛末を説明していったのは好敵手としての忠告である、とオークたちの伝令は告げたが、リンデルに言わせれば、万が一にもアレを鎮められる可能性があるならば全て試しておきたいという思惑からだろう、とのことだった。
「いつ気まぐれに奴らの本国に向かうか、分かったもんじゃないからな」
「いずれにせよ教えてもらえたのはありがたいがの」
「でも神竜の試練を乗り越えたのはあそこからでも見えるんだね」
「そりゃまあ見間違えようはないさネ」
妖魔たちに希望を抱かせたのはドワーフたちにもたらされたとおぼしき金色の輝き、ゴールドドラゴンの力だった。四代精霊神そのものには及ばないにせよ、その化身であればほぼ同等かそれ以上の存在であるゴールドドラゴン。その恩恵を受けた武器であればベヒモスの力をこちらの世界につなぎとめてしまっている要(かなめ)を破壊できるかもしれないと考えたらしい。
食事を終えると手早く荷物をまとめた。迫りくる黒塊を避けなくてはならないため、往復で3日はかかる見通しの旅程だった。城塞のそびえる山中よりはましとはいえ寒さは厳しい。防寒具は必須だった。残されたビール樽8個も当然全て持って行く必要があった。食料と水は言わずもがなだ。
全ての用意を整えた出発の前夜。リョーマはジェシカの部屋の扉を叩いた。怪訝な顔をしつつも招き入れたジェシカとここに来てからのあれこれを話した。そんなこともあったさネ、と笑うジェシカを相手に思い出せる限りの思い出を、なぞり直すことで固い石に跡を付けるかのように、何度も。
最後にリョーマは部屋を去る前にジェシカに右手を差し出した。静かな笑みを浮かべているリョーマに何かを感じかけたジェシカだったが、何も言わずにその手を力いっぱい握った。痛みに顔をしかめるリョーマにジェシカが声を出して笑う。その痛みと微笑みはリョーマにとって何よりも(例えるなら口づけをするよりも)特別で忘れえないものだった。
5人は次の日の朝に旅立った。食料と水、防寒具と燃料、残ったビール樽全て。それらを荷台に積み上げ、かわるがわる引いて行く。一行は落ち着いていた。二度とこの城塞に帰って来れないかも、などと口に出しては一向に無視されていたのはグリッドだけだった。リョーマはその考えを口にしなかったからだ。
2日の行程の果てに一行は妖魔の本陣に辿り着いた。
そして最後の戦いの火ぶたが切っておとされた。
ベヒモスの強さはゴールドドラゴンをわずかに上回る程度。竜撃砲のアドバンテージが得られないことを考えると強敵ではあるが、今回のプレイではそもそも竜撃砲に改良を加えていないため、大した差ではない。
3個のゾロ目が出ればそれをユニゾンに回すし、3個のゾロ目が出なかった場合も、残されたビール樽8個があるおかげで、サイコロ4個で8以下が出ればそれだけで足りるし、サイコロ3個で8以下ならそれを樽爆弾3個に回し、残りのサイコロ2個がゾロ目か8以上で足りる。
残り樽数が多いせいで場合分けが多いな。とりあえず振るか……(コロコロ)……【3】【3】【3】【4】【6】か。うーん、これだとベヒモスの強さちょうどには出来ないかな。
とりあえず【4】と【6】だけ振り直そう……(コロコロ)……【1】【1】。微調整できる目が出てくれた。これで【3】【3】をユニゾンに設置、【3】【1】を樽爆弾に設置、【1】を白兵戦に回してちょうどだな。
これで全ステージを終了。「達成点の合計点によるスコア:210点」「勝利したステージ数によるスコア:100点」「0回未満の敗北によるスコア:200点」により最終スコアは510点。
一行がベヒモスの力を封じることに成功してから1ヶ月が経ち、季節は真の冬になっていた。砦の外から名も知らぬ獣の遠吠えのように聞こえてくるのは凍えるような強風。この時期、残されたドワーフが城塞を守る相手は厳しい自然だった。
寒々しい玄関ホールの外に通じる扉がわずかに開いた。入ってくる外の冷たい空気と吹き付ける雪を最小限にすべくすぐ閉じられる。その隙に小さい身体をねじこんだ人影は自身に降り積もった雪を、溶けて身体を冷やす前に急いでふるい落とした。
「南の城壁よしと……」
ジェシカは小さく呟いた。普段通りの大声は静かな砦の中に無駄に大きく響く。
あれからリンデルはこの地で鍛えた腕を振るうべく新たな戦場を求め旅立った。カルガンは本国に戻り武術指南として若手を鍛えているらしい。グリッドは竜の証のおかげでかなりの高待遇を得られているとのことだがそれに胡坐(あぐら)をかいているのが不安でならない、というのはカルガンからの手紙にあった言葉だ。そしてリョーマ。
「やっぱり1人で管理するにはちょっとデカすぎる砦さネ」
疲れたようにジェシカはため息をついた。初めてリョーマと出会うその日までは、辺境の砦ということもあってたった1人で城塞を守っていた。今と同じように、たった1人で。
当時はまだ夏の気配も残る季節だった。外を見回ることも見張り台に立ちつくすのも大した労苦ではなかった。それで気が抜けていたのだろうか。いつのまにか妖魔の本陣が築かれ、援軍を呼ぶのが間に合わなかった。放棄する屈辱を負うか、戦って死ぬかの2択を迫られていたジェシカに、新たな選択肢をもたらしてくれたのがリョーマだった。
1階の食堂で暖炉に薪を足しながら初めて出会ったリョーマは人間にしてもあまりに細く、今にも折れてしまいそうな枝を思わせた。それからの数ヶ月に及ぶ砦の生活の中で随分と身体も鍛えられたはずだったが、それでも見た目の頼りなさはあまり変わらなかった。
頼りになったのは腕っ節じゃなかったよネ、とジェシカは鍋の準備をしながら懐かしげに目を細めた。それでも、と眉をひそめる。いくらなんでもあれじゃ細すぎさネ。
そのとき階段から、下りてくる足音と疲れ切った声が聞こえてきた。
「腕立て50回と腹筋50回、廊下の30往復、終わったよ……」
「思ったより早かったネ。じゃあもう1セット追加」
「え」
愕然とするリョーマにジェシカが顔をしかめる。
「え、じゃないヨ。まだアタシに腕相撲で3回に1回しか勝てないくせに」
「そりゃそうだけどさあ」
せめて水だけは飲ませてよ、と食堂の上に並べられた2人分の食器から杯を取り上げる。鍛錬に専念するために城塞の管理をジェシカ1人に任せているという負い目があり、リョーマも本気で休もうとは思ってはいなかった。加えて、少しずつ強くなっていく実感は確かに充実したものではあった。それでもジェシカの鍛錬の方針に疑問がないわけではなかったが。
「鍛えるのはいいけど、腕相撲の練習の時間はさすがに長過ぎない? 趣味?」
「だってアタシの父さん、腕相撲で勝てない相手は絶対に認めてくれないし」
「認めるって何を」
疲れ果てた様子で椅子に腰を下ろしたリョーマが発した問いに、なぜか耳まで赤くしたジェシカは怒ったように「ほら、さぼるんじゃない!」と2階へと追いやった。
怒られた訳も分からずにリョーマは水を一気に飲み干すと再び2階へと駆け上がった。それは出来ることをするために、出来ないことを出来るようになるために、そして、少なくとも好きな相手に抱きしめられただけで音を上げたりしないようになるために。
<エピローグ>
ここは世界の北、夏は短く冬は長く厳しい。海には無数に浮かぶ島々。その中でも特に大きな島々にはそれぞれ黄金の竜が住まうという。
それらの中の1つ、多くの種族が縄張りを争っている特に巨大な島の西部では、ドワーフと妖魔が南北に伸びる山脈を挟んで争いを続けている。
島全体と全ての種族を巻き込む100年の戦乱が始まるのはそれから数年ののちのことだったが、その中でリョーマとジェシカが担った役割については、また別の物語となる。
(終わり)
<そして、もう1つのエピローグ>
午後の授業を終えて部室に入ってきた高田は、一番乗りと思いきやOBの桂木がソファに寝そべっているのを発見して顔をしかめた。
「先輩、ホントに大学行ってるんすか」
「んー。相変わらずご挨拶だなあ。行ってるよ、ちゃんと」
後輩の言葉に身を起こし、大きく伸びをする桂木を無視して、高田はテーブルの上の紙束を調べた。週末に遊ぶ予定のゲームに必要な用紙を回収しておくためだ。しかし目的のブツを見つけたと思いきや、彼は困惑した様子で用紙をまじまじと見つめた。
「あれ? まさか先輩、俺のキャラクターシートの情報、消しました?」
「消さねーよ! そもそもお前、いつもボールペンで書いてるじゃねーか」
「いや、今週末のクトゥルフで使う予定だった高校生のデータが消えてるんですよ。まあ、名前と能力値以外は、この部に所属してるって設定くらいしか書いてなかったんすけど」
「知らねーよ、そんなこと」
「あ、そうそう。ちなみに、自慢じゃないっすけど、同じ名前をつけたキャラで先日ゴールドドラゴンを倒しましたよ!」
「ホンットに自慢でもなんでもねえよ、それ! 俺の脳内にいらん情報をインプットするな、ただでさえ容量少ねーんだから! つーか、常識的に考えて、別のキャラクターシートに書いたんだろ」
「いや、絶対これですって! ほら、ここにコーヒーのしみが!」
「しみ付けた時点で使うなよ!」
「味があっていいじゃないっすか……コーヒーだけに」
得意げに笑みを浮かべる後輩相手に、うわ殴りてえ、と思いながら桂木が立ち上がる。どうせ別のキャラクターシートと見間違えているのだろうと乱雑に散らかったテーブルの上を見回した。そして別の何かに気づいた。
「あれ? なんだよ、ドワーフの城塞、こんなところに置いてあるのか。ちゃんと遊んでくれよ、面白いんだって」
それは彼が先日のゲームマーケットで購入してきたポストカードゲームだった。1枚50円だったので、10枚を500円でまとめ買いし、そのうちの数枚を部室に寄付していったのだ。高田は少しばつの悪そうな顔をしつつ、手にした記入のないキャラクターシートをひらひらと示した。
「あ、すんません。昨日、きっと誰かがテーブルの上を片づけたときにこれと重ねたんすよ。こないだまで重なって隠れてたの分けておいたはずなんで」
「そっか。ん? あれ? おかしいな」
「どうしたんですか?」
「乱丁かな。なんかイラストが他のと違ってる気がする」
ポストカードの体裁をとっているそのゲームは、宛先を書く側の下半分を「ドワーフの城塞」のルールテキストが占めており、そのテキストボックスの上には砦と7匹のゴブリンのイラストが描かれている。彼が指し示したのはその砦だった。
「ほら、砦のインクがかすれて、城壁に誰か2人が立ってるみたいになってる」
「それ1枚だけっすね、そうなってるの」
「こっちはお下げがあるから女の子っぽいな」
「じゃあもう1人のちょっと背が高いほうが男の子っすかね」
そこで他の部員がぞろそろと部室に入ってきたので、2人は会話を切り上げて、テーブルの上をあらためて整理して脇に寄せた。せっかく人が集まったのだから何かボードゲームでも遊ぼうと考えたからだ。
その後、そのとき見かけた乱丁とおぼしき「ドワーフの城塞」のポストカードはいくら探しても見つけることは出来なかった。しかし高田も桂木もすぐにそのことは忘れてしまった。
遊ばないといけないゲームも、救わないといけない世界も、倒さないといけない敵たちも、食べさせないといけない家族たちも、まだたくさん残っていたからだ。
(本当に終わり)
《ドワーフの城塞攻防記》 第3話:分岐する未来
2014年11月22日 ドワーフの城塞 ゲームマーケットで買って来たポストカード1枚しかコンポーネントがない(!)1人用ゲーム「ドワーフの城塞」が面白いので、紹介がてら短編を書き出してみたら思いのほか長くなってしまったので、複数回に分けてみた、というのが事の次第。以下が公式の販促(?)ページ。
I Was Game:『ドワーフの城塞』
http://c3ba95dc5fb36b51a14310b783.doorkeeper.jp/events/16376
以下が第1話目。戦ったのはゴブリンからオークまで。
《ドワーフの城塞攻防記》 第1話:リョーマとジェシカ
http://regiant.diarynote.jp/201412041447355994/
以下が第2話目。ドラゴンパピーを撃破。
《ドワーフの城塞攻防記》 第2話:竜鱗甲と勝利の確率
http://regiant.diarynote.jp/201412050218092594/
第1話はどちらかというとゲームの中でも「砦やドワーフの強化」をフレイバーとしてとらえてみたもので、それに対して第2話は「戦闘ルールの際に発生する選択肢やジレンマの面白さ」について伝えようとしてみたもの。
《ドワーフの城塞攻防記》 第3話:分岐する未来
「何度でも言ってやる。おかしいのは貴様のほうだ」
「おかしいのはアンタのほうサ! この分からず屋の石頭!」
なんか最近似たような会話を聞いたなあ、と思いながらリョーマは食卓で目の前の怒鳴り合いを眺めていた。
「せっかくの竜鱗甲を白兵戦用の武器に使わないなんてどうかしている」
「一度に白兵戦が出来るのは2人が限度じゃないカ! それだったら増援を早めに回してもらうために軍司令部に進呈するほうが建設的だヨ!」
「頭でっかちに竜鱗甲の価値が分かるものか、私腹を肥やされるのが関の山だ」
「それで援軍を送ってもらえるならアタシは一向に構いやしないさネ!」
議論の内容は先日手に入れた竜鱗甲の使い道だった。生粋の戦士であるリンデルは、白兵戦用の武器以外に使うという選択肢を思い付きすらしなかったが、売り払うことを視野に入れた場合、砦を発展させる選択肢は大きく広がることをカルガンが指摘した。
なおカルガンの案としては「樽爆弾の改良とビール樽の追加」だった。ビール樽を消費するとはいえ、ドワーフ秘伝の樽爆弾の威力はやはり白兵戦や通常の相手に対する竜撃砲とは比べ物にならない。妖魔の攻撃がさらに激化することが予想される中、カルガンとしては平均的な強さではなく一点突破型の攻撃力を求めていた。
「よし、じゃあリョーマの意見を聞こうさネ!」
「それはいい、竜鱗甲の貴重さは十分伝授した。奴なら分かってくれるさ」
「え」
2人がいきなりリョーマに向き直る。部屋の暖炉で、生姜を入れたまま沸かした湯に砂糖を混ぜたものを飲んで石造りの部屋の寒さをしのいでいたリョーマは、突然向いた矛先に顔をひきつらせた。
「数は力だよネ、リョーマ!?」
「竜鱗甲の威力と美しさは教えたな、リョーマ!?」
どちらも一歩も引かぬ様子にリョーマは一瞬だけ、どうすればやり過ごせるのか模索しようとして、すぐにその考えを振り払った。
「僕は」
ジェシカとリンデルが真剣な顔でその言葉の先を待つ。
「防具に使うべきだと思う」
新たな選択肢にジェシカとリンデルが言葉を失う。傍で面白そうに3人の様子を見ていたカルガンがリョーマの言葉に興味深げな笑みを浮かべた。
「ふむ。それは面白いかもしれん。聞いてみようじゃないか」
「僕自身は鎧を着て前に出ないから、間違ってるかもしれない。そのときは言ってくれ。でもリンデルの言葉が本当なら、竜鱗甲の鎧は鉄で作るより強靭で、革で作るより軽いんだろ? だったら退却と再攻撃がもっと安全で楽になるはずだ」
リョーマの言葉のあと、少しの静寂が流れる。それを破ったのは、防具もありだな、というリンデルの呟きだった。彼としては竜鱗甲が手元の装備に還元されれば不満はなかった。リョーマはジェシカに向き直った。
「ジェシカはさ、みんなが生き延びられる確率を上げたくて援軍を要請しようと思ってたんじゃない? でもそれなら鎧を改良することでもなんとかなると思うんだ」
「まあ、うん、大体その通りだヨ」
みんなというかリョーマの生き延びられる確率だけど、とジェシカは思ったが、さすがに口に出すのは恥ずかしかったのでその言葉は呑み込んだ。彼女としては白兵戦重視になることでいつかリョーマまで前線に出るようになることを恐れていたのだ。
リョーマの言葉に場の空気が和らいだ。話がまとまった雰囲気の中、しかしリンデルが思い出したように3人を見やった。
「だが……あの量の竜鱗甲だ。この人数程度の鎧ならそこそこ余る」
リンデルの指摘に、まさかまた同じ議論を始めるのか、とジェシカが反論しようとしたが、その直後にリンデルが続けた言葉は予想外のものだった。
「余りは援軍要請に使ってもいいんじゃないのか? どちらにせよ次の戦闘には間に合わないが、早めに依頼してちょうどいいくらいだろう」
あっけにとられた様子のジェシカにリンデルが顔をしかめる。
「おい、俺を何だと思ってるんだ。数の有用性くらいは理解しているぞ」
「してないと思ってたヨ」
ジェシカのつい漏れた本音にリンデルは憤るより先に笑ってしまった。狭い砦の中のたったの4人なのに、まだまだ互いに理解すべきことがたくさんあるな。そう考えた。
「ワシは反対じゃな。いや、人数を増やすことは大事じゃが、今回の余った分を送っても大して援軍が早まるとは思えんのでな。それよりそろそろ得意な戦法を模索しても良い頃ではないかな」
「そうかもね」
リョーマも同意した。今はまだ白兵戦、竜撃砲、ユニゾン、樽爆弾と主要な攻撃手段はどれもそこそこのレベルにある。しかし今後のことを考えると、いずれかの攻撃に特化させないと爆発力に欠けることが懸念された。
「ただ鎧と違って戦術はすぐに効果が出るか分からん。未来への投資じゃな」
「うん、それが必要だと思う。僕としては……」
「もっともな話だ。では……」
「そうさネ。じゃあ……」
ユニゾンを強化しよう、という皆の言葉がまさにその名の通りに合唱となった。声を発したリョーマとジェシカとリンデルが顔を見合わせるのを見たカルガンが破顔一笑した。
鎧の改良が終わり、ユニゾンの練習が続けられる中、新たな妖魔が山のふもとから進撃してくるのを見張り台にいたリョーマが発見した。
それは緑の肌をした小屋ほどもあるトロールたちだった。手にした巨大な棍棒は巨木をそのまま引きぬいたかのように太く大きく、あまりに無慈悲に見えた。しかしリョーマから報告を受けたドワーフたちに臆する様子は見えなかった。
「なんか嬉しそうだネ、リンデル」
「新しい鎧の初陣だからな」
「気持ちは分かるがあまり過信するでないぞ」
竜の鱗の鎧を着た3人のドワーフが正門前に並ぶ。坂道を上がってくるトロールたちはその大きな歩幅で着々と接近し、ついにトロールがドワーフたちへとその巨大な棍棒を振り上げた!
トロールたちとの戦いは死闘となった。その馬鹿力で振り回される巨木のごとき棍棒は一撃で致命傷となる。3人のドワーフは互いの位置を確認しながら、あらゆる場合を想定し退いては攻め、攻めては退いた。
ジェシカとカルガンのユニゾンアタックが最後のトロールの両足を薙ぎ払い、トロールが死の間際に城塞へと放とうとした棍棒の一撃は、匠の技を発動していたリンデルによる槍斧が、棍棒ごとトロールの首を切り落とすことで阻止した。
トロール相手には竜撃砲もまともな戦果を上げる事はできず、援護に終始していたリョーマは落ち込んでいたが、その元へと上がってきたジェシカの更なる落ち込みようにむしろ元気づけられてしまったのは余談である。
それからしばらくのあいだ、ドワーフたちは当初の予定どおりコンビネーションの鍛錬に明け暮れた。攻守交代の精度向上、ユニゾンアタックの攻撃力増加。また残り1樽ではあまりに心細いという点でも意見は一致し、新たに3個の樽の補給依頼が出された。
見張り台のカルガンから敵接近の報が発せられたのは、補給物資が届いたわずか2日後のことだった。日没前にも関わらず、厚く垂れこめた黒雲は寒々しい冬の景色をさらに重苦しくしていた。
その黒雲を背景に白い閃光のようなものが、稲光のように鋭く右へ左へと飛び交いながら、徐々に砦に近づいてくるのが見える。
「おそらく風の精霊……ジンじゃな」
「こうなってみると、武器の改良より戦い方を工夫してきたのは正解だったな」
苦笑するリンデルの言葉にリョーマが怪訝な表情を浮かべる。それを見たリンデルがリョーマに、風の精霊たるジンは地上に降り立つことなくいくらでも自在に飛び回り続けられることを説明した。
「だからまともに接近戦をしようとしたら一生かけても傷一つ負わせられやしない。竜撃砲を命中させるか、1人が上手く注意をひきつけてる間にもう1人が攻撃するか……そういった連携攻撃しか通用しない。あとは樽爆弾だな。いずれにしても武器の強さは関係ない」
またビール樽の世話になるかもしれんのう、とカルガンが呟いた。ジェシカが愛用の戦斧を強く握りしめるのを見たリョーマは、そのまま階下へと急ごうとするジェシカを呼び止めた。最近の固い表情のまま振り向いたジェシカに、リョーマはあえて微笑んでみせた。
「ジェシカさ、勝とう、って思ってる?」
「あ、当たり前だヨ! あっさり勝ってみせるさネ!」
「いいよ、あっさり勝てなくても」
いつも以上に意気込むジェシカへリョーマがさらっと言い放つ。驚きに目を見開いたあと、言い返そうとするジェシカの頭に優しくリョーマの手を置かれる。
「負けなきゃいいんだ。みんなが無事ならそれが一番、だろ?」
「あ……、ああ、そっか。あはは。それもそうさネ」
オークを倒したときに他ならぬジェシカがリョーマにかけた言葉を繰り返され、思わずジェシカの頬が緩む。やっぱジェシカは笑顔が一番似合うな、とリョーマは思うも口には出さなかった。
遅れてやってきたジェシカに苦言を呈そうとしたリンデルは、彼女の明るくなった表情と肩の力の抜けた様子に何も言わないことにした。勝率が上がれば何でもいい。リンデルは現実主義者だった。
ジンの接近に対し、見張り台の竜撃砲から牽制の砲撃が放たれ、難なくそれを避けたジンは、見張り台を一瞥したあと、真の脅威である地上のドワーフたちへと閃光のごとく襲いかかった!
戦いは一瞬だった。ジンの生み出す凍りつくような強風にカルガンが体勢を崩す。それを好機と見て誘い出されたジンが上空から襲いかかろうとしたとき、突如、目の前にジェシカが出現し、巨大な戦斧がジンを一刀両断にした。
ジンは精霊力を失い、制御できなくなった風の力がその身から噴き出す。そのまま元のつむじ風へと戻る最後の瞬間まで、ジンには何が起きたのか理解できないままだった。
地を這うドワーフではあり得ない高度。それは、リンデルの長大な槍斧を足場とし、梃子の原理でジェシカを跳ね上げた連携によるものだった。
緊張の糸が切れ、倒れるように地面へ腰を下ろしたリンデルは、宙を舞うジェシカがジンから噴き出した突風に乗る形でそのまま2階の見張り台へと飛び込むのを見た。
「リョーマ!」
いつもと逆の方向から訪れたジェシカをリョーマが受け止める。晩秋の冷たい空気が強い風とともに満ちる中、互いの温もりが暖かかった。
(第4話へ続く)
I Was Game:『ドワーフの城塞』
http://c3ba95dc5fb36b51a14310b783.doorkeeper.jp/events/16376
以下が第1話目。戦ったのはゴブリンからオークまで。
《ドワーフの城塞攻防記》 第1話:リョーマとジェシカ
http://regiant.diarynote.jp/201412041447355994/
以下が第2話目。ドラゴンパピーを撃破。
《ドワーフの城塞攻防記》 第2話:竜鱗甲と勝利の確率
http://regiant.diarynote.jp/201412050218092594/
第1話はどちらかというとゲームの中でも「砦やドワーフの強化」をフレイバーとしてとらえてみたもので、それに対して第2話は「戦闘ルールの際に発生する選択肢やジレンマの面白さ」について伝えようとしてみたもの。
《ドワーフの城塞攻防記》 第3話:分岐する未来
「何度でも言ってやる。おかしいのは貴様のほうだ」
「おかしいのはアンタのほうサ! この分からず屋の石頭!」
なんか最近似たような会話を聞いたなあ、と思いながらリョーマは食卓で目の前の怒鳴り合いを眺めていた。
「せっかくの竜鱗甲を白兵戦用の武器に使わないなんてどうかしている」
「一度に白兵戦が出来るのは2人が限度じゃないカ! それだったら増援を早めに回してもらうために軍司令部に進呈するほうが建設的だヨ!」
「頭でっかちに竜鱗甲の価値が分かるものか、私腹を肥やされるのが関の山だ」
「それで援軍を送ってもらえるならアタシは一向に構いやしないさネ!」
議論の内容は先日手に入れた竜鱗甲の使い道だった。生粋の戦士であるリンデルは、白兵戦用の武器以外に使うという選択肢を思い付きすらしなかったが、売り払うことを視野に入れた場合、砦を発展させる選択肢は大きく広がることをカルガンが指摘した。
なおカルガンの案としては「樽爆弾の改良とビール樽の追加」だった。ビール樽を消費するとはいえ、ドワーフ秘伝の樽爆弾の威力はやはり白兵戦や通常の相手に対する竜撃砲とは比べ物にならない。妖魔の攻撃がさらに激化することが予想される中、カルガンとしては平均的な強さではなく一点突破型の攻撃力を求めていた。
「よし、じゃあリョーマの意見を聞こうさネ!」
「それはいい、竜鱗甲の貴重さは十分伝授した。奴なら分かってくれるさ」
「え」
2人がいきなりリョーマに向き直る。部屋の暖炉で、生姜を入れたまま沸かした湯に砂糖を混ぜたものを飲んで石造りの部屋の寒さをしのいでいたリョーマは、突然向いた矛先に顔をひきつらせた。
「数は力だよネ、リョーマ!?」
「竜鱗甲の威力と美しさは教えたな、リョーマ!?」
どちらも一歩も引かぬ様子にリョーマは一瞬だけ、どうすればやり過ごせるのか模索しようとして、すぐにその考えを振り払った。
「僕は」
ジェシカとリンデルが真剣な顔でその言葉の先を待つ。
「防具に使うべきだと思う」
新たな選択肢にジェシカとリンデルが言葉を失う。傍で面白そうに3人の様子を見ていたカルガンがリョーマの言葉に興味深げな笑みを浮かべた。
「ふむ。それは面白いかもしれん。聞いてみようじゃないか」
「僕自身は鎧を着て前に出ないから、間違ってるかもしれない。そのときは言ってくれ。でもリンデルの言葉が本当なら、竜鱗甲の鎧は鉄で作るより強靭で、革で作るより軽いんだろ? だったら退却と再攻撃がもっと安全で楽になるはずだ」
リョーマの言葉のあと、少しの静寂が流れる。それを破ったのは、防具もありだな、というリンデルの呟きだった。彼としては竜鱗甲が手元の装備に還元されれば不満はなかった。リョーマはジェシカに向き直った。
「ジェシカはさ、みんなが生き延びられる確率を上げたくて援軍を要請しようと思ってたんじゃない? でもそれなら鎧を改良することでもなんとかなると思うんだ」
「まあ、うん、大体その通りだヨ」
みんなというかリョーマの生き延びられる確率だけど、とジェシカは思ったが、さすがに口に出すのは恥ずかしかったのでその言葉は呑み込んだ。彼女としては白兵戦重視になることでいつかリョーマまで前線に出るようになることを恐れていたのだ。
リョーマの言葉に場の空気が和らいだ。話がまとまった雰囲気の中、しかしリンデルが思い出したように3人を見やった。
「だが……あの量の竜鱗甲だ。この人数程度の鎧ならそこそこ余る」
リンデルの指摘に、まさかまた同じ議論を始めるのか、とジェシカが反論しようとしたが、その直後にリンデルが続けた言葉は予想外のものだった。
「余りは援軍要請に使ってもいいんじゃないのか? どちらにせよ次の戦闘には間に合わないが、早めに依頼してちょうどいいくらいだろう」
あっけにとられた様子のジェシカにリンデルが顔をしかめる。
「おい、俺を何だと思ってるんだ。数の有用性くらいは理解しているぞ」
「してないと思ってたヨ」
ジェシカのつい漏れた本音にリンデルは憤るより先に笑ってしまった。狭い砦の中のたったの4人なのに、まだまだ互いに理解すべきことがたくさんあるな。そう考えた。
「ワシは反対じゃな。いや、人数を増やすことは大事じゃが、今回の余った分を送っても大して援軍が早まるとは思えんのでな。それよりそろそろ得意な戦法を模索しても良い頃ではないかな」
「そうかもね」
リョーマも同意した。今はまだ白兵戦、竜撃砲、ユニゾン、樽爆弾と主要な攻撃手段はどれもそこそこのレベルにある。しかし今後のことを考えると、いずれかの攻撃に特化させないと爆発力に欠けることが懸念された。
「ただ鎧と違って戦術はすぐに効果が出るか分からん。未来への投資じゃな」
「うん、それが必要だと思う。僕としては……」
「もっともな話だ。では……」
「そうさネ。じゃあ……」
ユニゾンを強化しよう、という皆の言葉がまさにその名の通りに合唱となった。声を発したリョーマとジェシカとリンデルが顔を見合わせるのを見たカルガンが破顔一笑した。
鎧の改良が終わり、ユニゾンの練習が続けられる中、新たな妖魔が山のふもとから進撃してくるのを見張り台にいたリョーマが発見した。
それは緑の肌をした小屋ほどもあるトロールたちだった。手にした巨大な棍棒は巨木をそのまま引きぬいたかのように太く大きく、あまりに無慈悲に見えた。しかしリョーマから報告を受けたドワーフたちに臆する様子は見えなかった。
「なんか嬉しそうだネ、リンデル」
「新しい鎧の初陣だからな」
「気持ちは分かるがあまり過信するでないぞ」
竜の鱗の鎧を着た3人のドワーフが正門前に並ぶ。坂道を上がってくるトロールたちはその大きな歩幅で着々と接近し、ついにトロールがドワーフたちへとその巨大な棍棒を振り上げた!
現在の戦力をおさらいしておく。人数は4人、振り直しは2回、重複配置は2個、ビール樽は3個。スキルは全て初期値のまま(ユニゾンにチェックが1つ)。
トロールの強さはドラゴンパピーと同じく16点。余分な労力を使わずに撃退できれば、城砦の強化もその分捗る。ちょうど16点が出せればよし……(コロコロ)……サイコロの出目は【1】【3】【5】【6】。合計15点。惜しい。
とりあえず【1】【3】【6】を確保すれば(【1】を樽爆弾に回して)樽1個の消費で16点が確定する(【1】を樽爆弾に回す)。とりあえず【5】を振り直さない理由はない。この余っている【5】を振り直して【6】が出れば、樽の消費無しで16点。その確率は1/6で、16.7%。
この1回目の振り直しで【6】が出なかった場合も考えてみる。再度その1個を振り直して【6】を狙うのは 1/6 で 16.7%どまり。だけど1回目の振り直しで出た目次第では、16点を叩き出す確率を上げられる。
まとめてみると、1回目の出目がそれぞれ……
■【1】の場合
1回目の振り直しで【1】が出た場合、残しておいた【6】を振り直す。その結果が【1】か【4】のいずれでも(【1】でユニゾンすることで)16点が作れる。その確率は2/6で、33.3%(※【1】が出た場合なので 1/6 する。実質 5.6%)
■【2】の場合
そのまま、もう1回振り直して【6】を狙う。確率は 1/6 で16.7%(※【2】が出た場合なので 1/6 する。実質 2.8%)
■【3】の場合
1回目の振り直しで【3】が出た場合、残しておいた【6】を振り直す。その結果が【3】か【4】のいずれでも(【3】でユニゾンすることで)16点が作れる。その確率は2/6で、33.3%(※【3】が出た場合なので 1/6 する。実質 5.6%)
■【4】の場合
1回目の振り直しで【4】が出た場合、残しておいた【3】【6】を振り直す。振り直した2個のどちらかが【1】ならユニゾン、2個合計で【11】なら総計で16点。この「どちらかが【1】もしくは合計で【11】」の確率は 13/36で 36.1%(※【4】が出た場合なので 1/6 する。実質 6.0%)
■【5】の場合
そのまま、もう1回振り直して【6】を狙う。確率は 1/6 で16.7%(※【5】が出た場合なので 1/6 する。実質 2.8%)
■【6】の場合
大人しく【6】が出てくれて振り直す必要がない確率は 1/6 で16.7%
……というわけで、全部合わせると39.4%。意外と低いな。なんかもっと確率上げられそうだけど(特に1回目の振り直しの際に、樽1個で16点を作るパターンを保持するというチキンな考えが問題なのかも)……いや、もう色々と限界なので、行く。
1回目の振り直し……(コロコロ)……【3】か。もうここで樽1個を消費して16点でいいんじゃないかな(おい)。いや、ここまできたら当初の予定通り行く!
【6】を振り直して……(コロコロ)……【2】、って、おいいいっ!?
ああ、もう、はいはい、分かった分かった。樽2個消費で「匠の技」を発動、【1】を【4】にして、【3】【3】のユニゾンと合わせて16点。
……くっ、なんという敗北感!? これが「ドワーフの城塞」か。恐るべし。考えてみたら最大値じゃなくて特定の値を狙うのなら、白兵戦で+2のほうが確率高いんじゃないのか?(いまさら過ぎる)
トロールたちとの戦いは死闘となった。その馬鹿力で振り回される巨木のごとき棍棒は一撃で致命傷となる。3人のドワーフは互いの位置を確認しながら、あらゆる場合を想定し退いては攻め、攻めては退いた。
ジェシカとカルガンのユニゾンアタックが最後のトロールの両足を薙ぎ払い、トロールが死の間際に城塞へと放とうとした棍棒の一撃は、匠の技を発動していたリンデルによる槍斧が、棍棒ごとトロールの首を切り落とすことで阻止した。
トロール相手には竜撃砲もまともな戦果を上げる事はできず、援護に終始していたリョーマは落ち込んでいたが、その元へと上がってきたジェシカの更なる落ち込みようにむしろ元気づけられてしまったのは余談である。
それからしばらくのあいだ、ドワーフたちは当初の予定どおりコンビネーションの鍛錬に明け暮れた。攻守交代の精度向上、ユニゾンアタックの攻撃力増加。また残り1樽ではあまりに心細いという点でも意見は一致し、新たに3個の樽の補給依頼が出された。
見張り台のカルガンから敵接近の報が発せられたのは、補給物資が届いたわずか2日後のことだった。日没前にも関わらず、厚く垂れこめた黒雲は寒々しい冬の景色をさらに重苦しくしていた。
その黒雲を背景に白い閃光のようなものが、稲光のように鋭く右へ左へと飛び交いながら、徐々に砦に近づいてくるのが見える。
「おそらく風の精霊……ジンじゃな」
「こうなってみると、武器の改良より戦い方を工夫してきたのは正解だったな」
苦笑するリンデルの言葉にリョーマが怪訝な表情を浮かべる。それを見たリンデルがリョーマに、風の精霊たるジンは地上に降り立つことなくいくらでも自在に飛び回り続けられることを説明した。
「だからまともに接近戦をしようとしたら一生かけても傷一つ負わせられやしない。竜撃砲を命中させるか、1人が上手く注意をひきつけてる間にもう1人が攻撃するか……そういった連携攻撃しか通用しない。あとは樽爆弾だな。いずれにしても武器の強さは関係ない」
またビール樽の世話になるかもしれんのう、とカルガンが呟いた。ジェシカが愛用の戦斧を強く握りしめるのを見たリョーマは、そのまま階下へと急ごうとするジェシカを呼び止めた。最近の固い表情のまま振り向いたジェシカに、リョーマはあえて微笑んでみせた。
「ジェシカさ、勝とう、って思ってる?」
「あ、当たり前だヨ! あっさり勝ってみせるさネ!」
「いいよ、あっさり勝てなくても」
いつも以上に意気込むジェシカへリョーマがさらっと言い放つ。驚きに目を見開いたあと、言い返そうとするジェシカの頭に優しくリョーマの手を置かれる。
「負けなきゃいいんだ。みんなが無事ならそれが一番、だろ?」
「あ……、ああ、そっか。あはは。それもそうさネ」
オークを倒したときに他ならぬジェシカがリョーマにかけた言葉を繰り返され、思わずジェシカの頬が緩む。やっぱジェシカは笑顔が一番似合うな、とリョーマは思うも口には出さなかった。
遅れてやってきたジェシカに苦言を呈そうとしたリンデルは、彼女の明るくなった表情と肩の力の抜けた様子に何も言わないことにした。勝率が上がれば何でもいい。リンデルは現実主義者だった。
ジンの接近に対し、見張り台の竜撃砲から牽制の砲撃が放たれ、難なくそれを避けたジンは、見張り台を一瞥したあと、真の脅威である地上のドワーフたちへと閃光のごとく襲いかかった!
現在の戦力をおさらいしておく。人数は4人、振り直しは3回、重複配置は2個、ビール樽は4個。スキルはユニゾンが2段階目に入ったほかは初期段階のまま。
ユニゾンが1発決まればちょうどジンの強さである 18 となるので、サイコロ4個を2回振って、1つでもゾロ目があればいい。1回もゾロ目が出ない確率が 7.7% なので、逆算して勝率は 92.3%。
……なんか逆にフラグを立ててる気がするけど、そんなこと気にしてもしょうがないので、サイコロを振る……(コロコロ)……出目は【2】【5】【6】【6】。ふう。
というわけで【6】【6】でユニゾンアタック、第2段階なので【9】の2倍で18点ちょうどとなる! 勝利!
戦いは一瞬だった。ジンの生み出す凍りつくような強風にカルガンが体勢を崩す。それを好機と見て誘い出されたジンが上空から襲いかかろうとしたとき、突如、目の前にジェシカが出現し、巨大な戦斧がジンを一刀両断にした。
ジンは精霊力を失い、制御できなくなった風の力がその身から噴き出す。そのまま元のつむじ風へと戻る最後の瞬間まで、ジンには何が起きたのか理解できないままだった。
地を這うドワーフではあり得ない高度。それは、リンデルの長大な槍斧を足場とし、梃子の原理でジェシカを跳ね上げた連携によるものだった。
緊張の糸が切れ、倒れるように地面へ腰を下ろしたリンデルは、宙を舞うジェシカがジンから噴き出した突風に乗る形でそのまま2階の見張り台へと飛び込むのを見た。
「リョーマ!」
いつもと逆の方向から訪れたジェシカをリョーマが受け止める。晩秋の冷たい空気が強い風とともに満ちる中、互いの温もりが暖かかった。
(第4話へ続く)
《ドワーフの城塞攻防記》 第2話:竜鱗甲と勝利の確率
2014年11月15日 ドワーフの城塞 ゲームマーケットで買って来たポストカード1枚しかコンポーネントがない(!)1人用ゲーム「ドワーフの城塞」が面白いので、紹介がてら短編を書き出してみたら思いのほか長くなってしまったので、複数回に分けてみた、というのが事の次第。以下が公式の販促(?)ページ。
I Was Game:『ドワーフの城塞』
http://c3ba95dc5fb36b51a14310b783.doorkeeper.jp/events/16376
以下が第1話目。戦ったのはゴブリンからオークまで。
《ドワーフの城塞攻防記》 第1話:リョーマとジェシカ
http://regiant.diarynote.jp/201412041447355994/
ルールが間違ってないかちょっと不安だけど、今のところ大丈夫そう。さて主人公たちはこのまま無敗で駆け抜けることが出来るのか。それはリョーマの戦術眼と、プレイヤーのダイス目にかかっている(どっちかというと後者)。
《ドワーフの城塞攻防記》 第2話:竜鱗甲と勝利の確率
「何度でも言ってやる。おかしいのは貴様らのほうだ」
新しく来たドワーフのリンデルは吐き捨てるようにそう言い残し、背丈より長い槍斧を持って食堂をあとにした。扉を閉める直前、その冷たい視線がリョーマを貫く。その様子を見て髭をしごきながらカルガンが苦笑した。
「若いのう」
「気にすることないさネ、リョーマ! ファイトだヨ!」
椅子に座りこんだまま固まっているリョーマの傍らにジェシカが駆け寄り、両手を強く握り締めつつリョーマを励ました。それに対し弱々しい笑みを返したリョーマは静かに立ち上がると、少し1人にさせて欲しい、と2階の個室へと上がっていった。
ジェシカは不安そうにそれを見送ったが、最後に「ファイトだヨ! リョーマ!」と2つの握り拳を振り回した。リョーマからの返事はなかった。
冬の訪れを間近に感じさせる冷たい風が吹く山道をやってきたドワーフは、まだ若々しさを感じさせる風貌だった。短く刈り込まれた髭も年相応に薄茶色だ。しかしその視線はカルガンに負けずとも劣らないほどの経験を積んできたことを感じさせる強さがあった。
自分が4人目と聞かされていたリンデルは先任の中に人間の姿を見つけるとあからさまな疑いの目を向けた。さらにその素性を聞き及ぶにつれて呆れと怒りの入り混じった表情をすでに砦にいた2人のドワーフに向けた。
「どこからともなく砦の中に現れて、人間のくせに樽爆弾や竜撃砲に通じていて、自分の過去も目的も話せないなんて奴に、砦の中を自由に歩き回らさせている貴様らは異常だ。常識で考えろ。俺だって何も殺せとまでは言っていない。少なくとも身柄を拘束しろと言ってるんだ」
「常識で考えるのはアンタのほうさネ! リョーマはアタシを助けてくれたんヨ! アタシたちを見捨てるつもりなら最初からそうすれば良かったのにサ!」
「だから言ってるだろう。この砦を乗っ取るのが目的ならそうしてたはずだ。つまりこいつの目的が砦を乗っ取るだけじゃない、それが分かっただけだろう。こいつを疑わなくてもいいということにはならない」
「この分からず屋! 次の戦闘で見てるがいいサ! リョーマの参謀っぷりをネ!」
「そいつの次の戦闘とやらが深夜に俺たちの首を跳ねる作業じゃなきゃいいがな」
ジェシカとリンデルの言い争いはただひたすらに平行線を辿り、そして最後にリンデルが部屋を出て行くまで続いた。
リョーマも立ち去った食堂で、歓迎のためと盛大に茹でてつぶしておいた芋の山を、ジェシカが怒りに任せて口に運びながら叫ぶ。
「信じられないネ! (もぐもぐ) ドワーフの中でも断トツの石頭だヨ! (もぐもぐ) アイツの頭を芋みたいに茹でてやれば良かったサ!」
「食うかしゃべるか、どっちかにせんか。大体、茹であがってるのはお前の頭じゃろ」
新たな芋の山を皿に盛り付けるたびにひょこひょこと揺れるジェシカのお下げを見ながら、カルガンが呆れたように溜息をつく。そして不安そうに2階のリョーマの部屋がある方角を見上げた。彼としてはリンデルよりもリョーマの方が心配だった。
リョーマは部屋でベッドに腰を下ろすときつく目を閉じた。そしてここ最近、ずっと呪文のように自身に対して言い聞かせている言葉を繰り返す。
「思い出せ……思い出すんだ……!」
リョーマは、リンデルが砦に訪れたとき、不意に気づいたことがあった。4人からさらに仲間を増やす条件が思い出せない。それだけではなく、オークの次に訪れるであろう敵とその強さもだ。一度軽く目を通しただけの「ドワーフの城塞」の情報を使い切ってしまった。ゴブリンとコボルドとオークの強さ、チェックを割り振っていない各スキルの強さ、そして4人目まで増やす条件が彼の知識の限界だった。
「見たはずだろ……思い出せるはず……!」
実のところ、食堂での騒ぎの中、リンデルの言葉は鋭かったがむしろ納得のいくものだった。むしろ強く彼の心に突き刺さったのは、彼のためを思って放たれたはずのジェシカの言葉だった。
『次の戦闘で見てるがいいサ! リョーマの参謀っぷりをネ!』
リンデルの疑念を晴らすためにも、そして何よりジェシカの信頼に応えるためにリョーマは誰よりもこの先を知らなければならなかった。しかし固く目をつぶり、ひたすらに思いだそうとする先は、コボルドの襲撃があった夜のように真っ暗だった。
リョーマは小さなノックの音に顔を上げた。知らぬ間に顔を覆っていた両手は汗で濡れている。服の裾で乱暴に拭うと、深呼吸で息を整えてから、どうぞ、とつとめて冷静な声を出した。
部屋に入ってきたのはジェシカだった。固い笑顔を浮かべつつ、ためらいがちに部屋に入ってくると、リョーマの座るベッドに少し離れて腰掛けた。
「いやー、なんだネ。ドワーフってのは、ホント、石頭で困るさネ」
無理やり声を出しているのが丸分かりだった。リョーマはその気遣いが苦しかったが、同じく無理やり笑みを浮かべて言葉を返した。
「気にしてないよ。むしろジェシカたちが優し過ぎるんだよ」
「そんなことないサ。だってリョーマはアタシを助けてくれたんだヨ」
「最初だけだよ。あとはカルガンとジェシカだけでも何とかなったさ」
「そんなことないさネ!」
自嘲気味なリョーマの言葉に潜むトゲに気づかず、ジェシカはリョーマに向き直った。顔を上げないままのリョーマにジェシカは拳をぐっと胸元に作った。
「全部リョーマのおかげだヨ! 大丈夫、次の戦闘でもきっとリョーマの作戦が役に立つサ! そしたらあのリンデルの石頭も……」
「僕の知識なんて頼りにするなよ!」
不意に叫んだリョーマの言葉にびくっとジェシカが身をすくませる。目を見開くジェシカに関を切ったように流れ出すリョーマの言葉が降りかかる。
「いい加減にしてくれ! 君たちは戦士なんだろ! 僕みたいな素人を頼りにするなんて恥知らずもいいところだよ、自分の力でなんとかしろよ!」
「リョーマ?」
「僕に出来ることなんて何もない! いてもいなくても何も変わらないよ!」
叫び終わるとリョーマは頭を抱えた。自分の言葉に押しつぶされそうだった。ジェシカはそんなリョーマに伸ばしかけた手を引っ込めた。静かに立ち上がり部屋を後にする。
見張り台からカルガンの「来たぞ!」という怒鳴り声が響いたのはそれからわずか1時間後のことだった。
「カルガン、敵は」
見張り台に飛び込んできたリンデルは、空一面を覆う灰色の雲をにらみつけているカルガンに尋ねた。それに対し、顔をしかめながらカルガンが髭をごしごしと手の甲でこすりながら敵の名を答える。
「おそらくドラゴンパピーじゃ。背中の鱗には色々と使い道があるんじゃが、そこだけ上手いこと傷つけずに倒すのは至難の業じゃな……そもそもその余裕が今のワシらにあるかどうか。オークどもとは比べもんにならんわ」
「竜の鱗……そうか、竜鱗甲(ドラゴンスケイル)か……!」
さすがのリンデルも目の色が変わる。
竜鱗甲(ドラゴンスケイル)。その軽さと固さはドワーフの鍛え得る最高の金属である魔法白銀(マジックミスリル)に相当し、さらには竜の吐く炎の息吹にも焦げ跡すらつかないにも関わらず、正しい知識さえあれば比較的加工も容易というその幻の素材は、武器防具を身につけるものなら誰しもが夢見るお宝だった。
高ぶる気持ちの一方で、しかしリンデルの戦士としての心は冷静に彼我の戦力差を比べた。予想されるドラゴンパピーの強さの上限と下限、自分たちの白兵戦の攻撃力と樽爆弾の威力の期待値を思い浮かべたリンデルの表情が目の前に広がる空のように曇る。
「手を抜く余裕どころか、そもそもの勝ち目が問題か……3人だと厳しい戦いになるな」
「石頭は算数にも不向きだネ? アンタを入れて4人だヨ」
リンデルが振り向くと入口にはいつの間にか見張り台に到着していたジェシカの姿があった。愛用の戦斧を両手に構えている。そのジェシカの言葉にさすがのリンデルも顔色を変えた。
「まさか貴様はあの人間に竜撃砲を任せるつもりか? 後ろから撃たれたらひとたまりもないぞ!?」
「撃たれなかったら疑惑も晴れようってもんサ」
平然と返すジェシカにカルガンが豪快に笑った。
「うわっはっは! そりゃそうじゃ! ワシは乗ったぞ」
正面から迎え撃つべくカルガンが階下へと姿を消す。信じられないとばかりに首を振るリンデルも後を追う。もっともリンデルは最後に見たリョーマの様子から、この戦闘に顔を出す気力は残っていないだろうという考えがあったのだが。
1人残ったジェシカは、まっすぐ2人を追わずに2階の廊下を別方向へと走った。
「リョーマ! 先に行ってるヨ!」
部屋で眠るでもなくベッドに倒れ込んでいたリョーマを外から呼ぶ声がした。返事がないのを気にする風もなく、ジェシカが叫ぶ。
「大丈夫だよ、リョーマ……2人なら絶対に勝てるサ!」
その言葉を最後に足音が遠ざかる。少し茫然としたあと、不意にリョーマは起き上がった。ジェシカの最後の言葉、あれはリョーマが出会ったときにジェシカにかけた言葉だった。
3人のドワーフは正門から表へ出た。ドラゴンパピーはまだ育ち切っていない未熟な翼を休ませるように、曇り空から地面へと降り立った。しかしその直後、空気を震わせた咆哮は、まぎれもなくドラゴンのそれだった。
「アンタだけ竜撃砲に行ってもいいんだヨ?」
「馬鹿言うな。連携攻撃(ユニゾンアタック)なしで勝てる相手か」
「退き際だけは見誤らぬよう気をつけるんじゃぞ」
そう2人に声をかけたカルガンの頭に、一度引いて体勢を整え直すのも大事だ、と彼を説得したリョーマの言葉がよみがえり、思わず頬が緩んだそのとき、ドラゴンパピーが強く地面を蹴りつけ突進をしてきた!!
突出したリンデルが目立つ槍斧で敵の注意を引きつけたあと、わざと大きく退いた。振りまわされる形となったドラゴンパピーに向かって、少し遅らせて振るわれるカルガンの斧、さらに再度飛び込んできたリンデルが全く同じタイミングでドラゴンパピーの死角から長大な槍斧を叩きこんだ。
とどめの一撃とばかりにジェシカの巨大な戦斧がドラゴンパピーの背中めがけて振り下ろされそうになったそのとき、何かに気づいたリンデルが叫ぶ。
「外せ! ジェシカ!」
ジェシカが突然の指示にかろうじて刃をそらす。最大の破壊力を持って振り下ろされた斧が深々と地面に突き刺さり、ドラゴンパピーがその衝撃に大きくのけぞる。露わになったその鱗のない白くやわらかい腹に、砦から飛来した砲撃が着弾した。
カルガンが見上げた見張り台には、気力を使い果たした様子で砲台の上に身を預けるリョーマの姿があった。ふむ、と満足げな溜息をもらしつつ、ジェシカの姿を探したカルガンだったが、その相手はすでに地面に突き刺さった斧もそのままに砦へと走っていた。
「リョーマ!」
砲台に身を預けて休んでいたリョーマにいつものようにジェシカが抱きついた。別れ際にジェシカに向かって浴びせた言葉のきまりの悪さに声を出せずにいるリョーマをジェシカが見上げた。
「リョーマ、約束して」
いつになく、まっすぐで真剣な目がリョーマを見ていた。
「いてもいなくても同じだなんて、もう二度と言わないで。2人なら絶対に勝てる、って言ってくれたあの言葉、アタシは一生忘れない。たった1人だったアタシを、たった2人にしてくれたアンタを役立たずなんて誰にも言わせない」
そこまで言って突然恥ずかしくなったらしいジェシカは耳まで赤くすると隠すように顔をリョーマの胸に押し付けた。どうしていいか分からず、両手を宙に浮かせたまま、リョーマは空を見上げた。そして笑顔を浮かべた。
さっきまで曇っていた空の合間にまぶしい青空が見えたからだ。
そして、ほぼ無傷で手に入った竜の鱗に上機嫌のリンデルがしつこいほどにリョーマの砲撃をほめちぎり、その背中を力任せに叩き、逃げ回るリョーマをリンデルが追いまわすのを、ジェシカとカルガンが大笑いしながら見物することになるのは、これから少しあとのことだ。
(第3話へ続く)
I Was Game:『ドワーフの城塞』
http://c3ba95dc5fb36b51a14310b783.doorkeeper.jp/events/16376
以下が第1話目。戦ったのはゴブリンからオークまで。
《ドワーフの城塞攻防記》 第1話:リョーマとジェシカ
http://regiant.diarynote.jp/201412041447355994/
ルールが間違ってないかちょっと不安だけど、今のところ大丈夫そう。さて主人公たちはこのまま無敗で駆け抜けることが出来るのか。それはリョーマの戦術眼と、プレイヤーのダイス目にかかっている(どっちかというと後者)。
《ドワーフの城塞攻防記》 第2話:竜鱗甲と勝利の確率
「何度でも言ってやる。おかしいのは貴様らのほうだ」
新しく来たドワーフのリンデルは吐き捨てるようにそう言い残し、背丈より長い槍斧を持って食堂をあとにした。扉を閉める直前、その冷たい視線がリョーマを貫く。その様子を見て髭をしごきながらカルガンが苦笑した。
「若いのう」
「気にすることないさネ、リョーマ! ファイトだヨ!」
椅子に座りこんだまま固まっているリョーマの傍らにジェシカが駆け寄り、両手を強く握り締めつつリョーマを励ました。それに対し弱々しい笑みを返したリョーマは静かに立ち上がると、少し1人にさせて欲しい、と2階の個室へと上がっていった。
ジェシカは不安そうにそれを見送ったが、最後に「ファイトだヨ! リョーマ!」と2つの握り拳を振り回した。リョーマからの返事はなかった。
冬の訪れを間近に感じさせる冷たい風が吹く山道をやってきたドワーフは、まだ若々しさを感じさせる風貌だった。短く刈り込まれた髭も年相応に薄茶色だ。しかしその視線はカルガンに負けずとも劣らないほどの経験を積んできたことを感じさせる強さがあった。
自分が4人目と聞かされていたリンデルは先任の中に人間の姿を見つけるとあからさまな疑いの目を向けた。さらにその素性を聞き及ぶにつれて呆れと怒りの入り混じった表情をすでに砦にいた2人のドワーフに向けた。
「どこからともなく砦の中に現れて、人間のくせに樽爆弾や竜撃砲に通じていて、自分の過去も目的も話せないなんて奴に、砦の中を自由に歩き回らさせている貴様らは異常だ。常識で考えろ。俺だって何も殺せとまでは言っていない。少なくとも身柄を拘束しろと言ってるんだ」
「常識で考えるのはアンタのほうさネ! リョーマはアタシを助けてくれたんヨ! アタシたちを見捨てるつもりなら最初からそうすれば良かったのにサ!」
「だから言ってるだろう。この砦を乗っ取るのが目的ならそうしてたはずだ。つまりこいつの目的が砦を乗っ取るだけじゃない、それが分かっただけだろう。こいつを疑わなくてもいいということにはならない」
「この分からず屋! 次の戦闘で見てるがいいサ! リョーマの参謀っぷりをネ!」
「そいつの次の戦闘とやらが深夜に俺たちの首を跳ねる作業じゃなきゃいいがな」
ジェシカとリンデルの言い争いはただひたすらに平行線を辿り、そして最後にリンデルが部屋を出て行くまで続いた。
リョーマも立ち去った食堂で、歓迎のためと盛大に茹でてつぶしておいた芋の山を、ジェシカが怒りに任せて口に運びながら叫ぶ。
「信じられないネ! (もぐもぐ) ドワーフの中でも断トツの石頭だヨ! (もぐもぐ) アイツの頭を芋みたいに茹でてやれば良かったサ!」
「食うかしゃべるか、どっちかにせんか。大体、茹であがってるのはお前の頭じゃろ」
新たな芋の山を皿に盛り付けるたびにひょこひょこと揺れるジェシカのお下げを見ながら、カルガンが呆れたように溜息をつく。そして不安そうに2階のリョーマの部屋がある方角を見上げた。彼としてはリンデルよりもリョーマの方が心配だった。
リョーマは部屋でベッドに腰を下ろすときつく目を閉じた。そしてここ最近、ずっと呪文のように自身に対して言い聞かせている言葉を繰り返す。
「思い出せ……思い出すんだ……!」
リョーマは、リンデルが砦に訪れたとき、不意に気づいたことがあった。4人からさらに仲間を増やす条件が思い出せない。それだけではなく、オークの次に訪れるであろう敵とその強さもだ。一度軽く目を通しただけの「ドワーフの城塞」の情報を使い切ってしまった。ゴブリンとコボルドとオークの強さ、チェックを割り振っていない各スキルの強さ、そして4人目まで増やす条件が彼の知識の限界だった。
「見たはずだろ……思い出せるはず……!」
実のところ、食堂での騒ぎの中、リンデルの言葉は鋭かったがむしろ納得のいくものだった。むしろ強く彼の心に突き刺さったのは、彼のためを思って放たれたはずのジェシカの言葉だった。
『次の戦闘で見てるがいいサ! リョーマの参謀っぷりをネ!』
リンデルの疑念を晴らすためにも、そして何よりジェシカの信頼に応えるためにリョーマは誰よりもこの先を知らなければならなかった。しかし固く目をつぶり、ひたすらに思いだそうとする先は、コボルドの襲撃があった夜のように真っ暗だった。
リョーマは小さなノックの音に顔を上げた。知らぬ間に顔を覆っていた両手は汗で濡れている。服の裾で乱暴に拭うと、深呼吸で息を整えてから、どうぞ、とつとめて冷静な声を出した。
部屋に入ってきたのはジェシカだった。固い笑顔を浮かべつつ、ためらいがちに部屋に入ってくると、リョーマの座るベッドに少し離れて腰掛けた。
「いやー、なんだネ。ドワーフってのは、ホント、石頭で困るさネ」
無理やり声を出しているのが丸分かりだった。リョーマはその気遣いが苦しかったが、同じく無理やり笑みを浮かべて言葉を返した。
「気にしてないよ。むしろジェシカたちが優し過ぎるんだよ」
「そんなことないサ。だってリョーマはアタシを助けてくれたんだヨ」
「最初だけだよ。あとはカルガンとジェシカだけでも何とかなったさ」
「そんなことないさネ!」
自嘲気味なリョーマの言葉に潜むトゲに気づかず、ジェシカはリョーマに向き直った。顔を上げないままのリョーマにジェシカは拳をぐっと胸元に作った。
「全部リョーマのおかげだヨ! 大丈夫、次の戦闘でもきっとリョーマの作戦が役に立つサ! そしたらあのリンデルの石頭も……」
「僕の知識なんて頼りにするなよ!」
不意に叫んだリョーマの言葉にびくっとジェシカが身をすくませる。目を見開くジェシカに関を切ったように流れ出すリョーマの言葉が降りかかる。
「いい加減にしてくれ! 君たちは戦士なんだろ! 僕みたいな素人を頼りにするなんて恥知らずもいいところだよ、自分の力でなんとかしろよ!」
「リョーマ?」
「僕に出来ることなんて何もない! いてもいなくても何も変わらないよ!」
叫び終わるとリョーマは頭を抱えた。自分の言葉に押しつぶされそうだった。ジェシカはそんなリョーマに伸ばしかけた手を引っ込めた。静かに立ち上がり部屋を後にする。
見張り台からカルガンの「来たぞ!」という怒鳴り声が響いたのはそれからわずか1時間後のことだった。
「カルガン、敵は」
見張り台に飛び込んできたリンデルは、空一面を覆う灰色の雲をにらみつけているカルガンに尋ねた。それに対し、顔をしかめながらカルガンが髭をごしごしと手の甲でこすりながら敵の名を答える。
「おそらくドラゴンパピーじゃ。背中の鱗には色々と使い道があるんじゃが、そこだけ上手いこと傷つけずに倒すのは至難の業じゃな……そもそもその余裕が今のワシらにあるかどうか。オークどもとは比べもんにならんわ」
「竜の鱗……そうか、竜鱗甲(ドラゴンスケイル)か……!」
さすがのリンデルも目の色が変わる。
竜鱗甲(ドラゴンスケイル)。その軽さと固さはドワーフの鍛え得る最高の金属である魔法白銀(マジックミスリル)に相当し、さらには竜の吐く炎の息吹にも焦げ跡すらつかないにも関わらず、正しい知識さえあれば比較的加工も容易というその幻の素材は、武器防具を身につけるものなら誰しもが夢見るお宝だった。
高ぶる気持ちの一方で、しかしリンデルの戦士としての心は冷静に彼我の戦力差を比べた。予想されるドラゴンパピーの強さの上限と下限、自分たちの白兵戦の攻撃力と樽爆弾の威力の期待値を思い浮かべたリンデルの表情が目の前に広がる空のように曇る。
「手を抜く余裕どころか、そもそもの勝ち目が問題か……3人だと厳しい戦いになるな」
「石頭は算数にも不向きだネ? アンタを入れて4人だヨ」
リンデルが振り向くと入口にはいつの間にか見張り台に到着していたジェシカの姿があった。愛用の戦斧を両手に構えている。そのジェシカの言葉にさすがのリンデルも顔色を変えた。
「まさか貴様はあの人間に竜撃砲を任せるつもりか? 後ろから撃たれたらひとたまりもないぞ!?」
「撃たれなかったら疑惑も晴れようってもんサ」
平然と返すジェシカにカルガンが豪快に笑った。
「うわっはっは! そりゃそうじゃ! ワシは乗ったぞ」
正面から迎え撃つべくカルガンが階下へと姿を消す。信じられないとばかりに首を振るリンデルも後を追う。もっともリンデルは最後に見たリョーマの様子から、この戦闘に顔を出す気力は残っていないだろうという考えがあったのだが。
1人残ったジェシカは、まっすぐ2人を追わずに2階の廊下を別方向へと走った。
「リョーマ! 先に行ってるヨ!」
部屋で眠るでもなくベッドに倒れ込んでいたリョーマを外から呼ぶ声がした。返事がないのを気にする風もなく、ジェシカが叫ぶ。
「大丈夫だよ、リョーマ……2人なら絶対に勝てるサ!」
その言葉を最後に足音が遠ざかる。少し茫然としたあと、不意にリョーマは起き上がった。ジェシカの最後の言葉、あれはリョーマが出会ったときにジェシカにかけた言葉だった。
3人のドワーフは正門から表へ出た。ドラゴンパピーはまだ育ち切っていない未熟な翼を休ませるように、曇り空から地面へと降り立った。しかしその直後、空気を震わせた咆哮は、まぎれもなくドラゴンのそれだった。
「アンタだけ竜撃砲に行ってもいいんだヨ?」
「馬鹿言うな。連携攻撃(ユニゾンアタック)なしで勝てる相手か」
「退き際だけは見誤らぬよう気をつけるんじゃぞ」
そう2人に声をかけたカルガンの頭に、一度引いて体勢を整え直すのも大事だ、と彼を説得したリョーマの言葉がよみがえり、思わず頬が緩んだそのとき、ドラゴンパピーが強く地面を蹴りつけ突進をしてきた!!
ドラゴンパピーの強さは16点で、ちょうどのダメージで倒すことができれば城塞の強化に利用可能な経験値が多めに手に入る……(コロコロ)……っと、サイコロ4個の出目は【1】【2】【4】【6】。このままではどう組み合わせても樽2個以上使わないと16点に届かない。
ここから【2】を振り直した場合を考える。
振り直した出目が【1】のときはユニゾンアタックを使うことで16点ダメージ、振り直した出目が【3】か【5】のときは樽爆弾を1個使うことで16点ダメージ、振り直した出目が【6】のときはユニゾンアタックを使うことで16点ダメージ。樽1個以下の消費で16点になる確率が一番高いのはこれのはず
……(コロコロ)……よし、【1】きた!
【1】と【1】をユニゾンに設置、【4】を竜撃砲に設置(【6】は未使用)、これでダメージの合計はちょうど16点!
突出したリンデルが目立つ槍斧で敵の注意を引きつけたあと、わざと大きく退いた。振りまわされる形となったドラゴンパピーに向かって、少し遅らせて振るわれるカルガンの斧、さらに再度飛び込んできたリンデルが全く同じタイミングでドラゴンパピーの死角から長大な槍斧を叩きこんだ。
とどめの一撃とばかりにジェシカの巨大な戦斧がドラゴンパピーの背中めがけて振り下ろされそうになったそのとき、何かに気づいたリンデルが叫ぶ。
「外せ! ジェシカ!」
ジェシカが突然の指示にかろうじて刃をそらす。最大の破壊力を持って振り下ろされた斧が深々と地面に突き刺さり、ドラゴンパピーがその衝撃に大きくのけぞる。露わになったその鱗のない白くやわらかい腹に、砦から飛来した砲撃が着弾した。
カルガンが見上げた見張り台には、気力を使い果たした様子で砲台の上に身を預けるリョーマの姿があった。ふむ、と満足げな溜息をもらしつつ、ジェシカの姿を探したカルガンだったが、その相手はすでに地面に突き刺さった斧もそのままに砦へと走っていた。
「リョーマ!」
砲台に身を預けて休んでいたリョーマにいつものようにジェシカが抱きついた。別れ際にジェシカに向かって浴びせた言葉のきまりの悪さに声を出せずにいるリョーマをジェシカが見上げた。
「リョーマ、約束して」
いつになく、まっすぐで真剣な目がリョーマを見ていた。
「いてもいなくても同じだなんて、もう二度と言わないで。2人なら絶対に勝てる、って言ってくれたあの言葉、アタシは一生忘れない。たった1人だったアタシを、たった2人にしてくれたアンタを役立たずなんて誰にも言わせない」
そこまで言って突然恥ずかしくなったらしいジェシカは耳まで赤くすると隠すように顔をリョーマの胸に押し付けた。どうしていいか分からず、両手を宙に浮かせたまま、リョーマは空を見上げた。そして笑顔を浮かべた。
さっきまで曇っていた空の合間にまぶしい青空が見えたからだ。
そして、ほぼ無傷で手に入った竜の鱗に上機嫌のリンデルがしつこいほどにリョーマの砲撃をほめちぎり、その背中を力任せに叩き、逃げ回るリョーマをリンデルが追いまわすのを、ジェシカとカルガンが大笑いしながら見物することになるのは、これから少しあとのことだ。
(第3話へ続く)
《ドワーフの城塞攻防記》 第3話:分岐する未来
http://regiant.diarynote.jp/201412070750474204/
《ドワーフの城塞攻防記》 第1話:リョーマとジェシカ
2014年11月8日 ドワーフの城塞 ゲームマーケットで買って来たポストカード1枚しかコンポーネントがない(!)1人用ゲーム「ドワーフの城塞」が面白いので、紹介がてら短編を書き出してみたら思いのほか長くなってしまった、というのが事の次第。
I Was Game:『ドワーフの城塞』
http://c3ba95dc5fb36b51a14310b783.doorkeeper.jp/events/16376
1回目に遊んだときは普通にクリアに成功。もちろん、ちゃんとポストカードに直接書きこんだ。結果は、確か420点くらいだったはず。やはり500点を狙うとなると1敗も許されないらしい。それを踏まえた上での2回目をプレイしながら書いているのが以下。
《ドワーフの城塞攻防記》 第1話:リョーマとジェシカ
岩山の壁面から削り出したかのようなその城塞は、東の辺境に広がる妖魔の国と西のドワーフの国とを隔てる竜骨山脈(りゅうこつさんみゃく)の中腹にあった。巨大な角石をドワーフの精緻な技術で隙間なく積み上げたそれは、岩壁に背中をつけて座り込んだ頑健で無口なドワーフそのものを思わせる威圧感をもって山脈のすそ野を睥睨していた。
城塞の壁面の中ほどは見張り台となっており、そこに設置された砲台は砦へ登ってくる荒い山道へと向けられている。その方角は東の辺境、ドワーフたちと敵対する妖魔の国のある方角でもある。
その砲台の後ろでは、常伏高校の学生服に身を包んだリョーマが緊張に身を固くしていた。晴れた秋の青空の下に見えるのは、ふもとに広がるうっそうと茂った森とそこから砦に向かって伸びる山道、そしてその道を上がってくるゴブリンたちだった。子供ほどの背丈しかないとはいえ、灰色の肌と短い角を持つ異形の小鬼は、見ると聞くとでは大違いだった。
「本当に来たよ……まあ、やるしかないんだけど」
自分に言い聞かせるようにそう呟く。怖がっている場合でないことはよく分かっていた。リョーマは少なくとも堅牢な城塞の中にいられたが、唯一の仲間であるドワーフはたった1人で正門から白兵戦を挑む手はずになっているのだ。リョーマは重苦しさを振り払おうと、そのただ1人の仲間のドワーフであるジェシカのことを、そして彼女と出会った瞬間を思い出していた。
「ここで何をしてるのさネ」
飾り気のない石造りの部屋に備え付けられたベッドの1つで目を覚ましたリョーマは、状況を把握する暇もないうちに部屋の入口から入ってきた小柄な人影に声をかけられた。
「誰?」
「それはこっちのセリフさネ」
呆れたように片手を腰に当ててリョーマを眺める相手は、リョーマの胸元くらいの背丈の小柄な、しかし頑丈そうな体つきの女の子だった。落ち着き具合や声からすると、背は低いが年の頃はリョーマと同じくらいのように思われた。固そうな髪の毛を2つの短いお下げにギュッと束ねている。大きな目は怪訝そうにリョーマに向けられたおり、どこか幼さを感じさせる大きな口はへの字を描いていた。
しかし何よりリョーマの目を引いたのは、その顔でも髪でもなく、また彼女が身に付けていた簡素な革の鎧でもなかった。腰に当てていないほうの片手で軽々と肩に担いでいる巨大な戦斧から目が離せなかった。雨戸が開かれた窓から差し込む日光が刃に跳ね返る。
「斧だ」
「どうしたのサ。まさか初めて斧を見たわけでもあるまいし」
初めてだよ、とリョーマは思った。何しろ、東京生まれの東京育ち、ほんの数カ月前に市立の高校に入学したばかりの都会っ子だ。そして、ついさっきまでその高校のボードゲーム部の部室にいたはずなのだ。そうだ、とリョーマは必死に記憶を掘り起こした。
(部室で先輩がゲームマーケットで入手したとかなんとか言ってた「ドワーフの城塞」が置いてあったんだ。ルールを一通り読んで、裏面のデータをチェックしてたんだよな。それで……なんか気が遠くなって……どうしたんだっけ、高いところから落ちるような……いや、吸い込まれるような変な感じが……)
「誰だか知らないけど運がなかったネ」
リョーマの思考を中断させたのは少女の声だった。
「もうすぐここにゴブリンどもがやってくるってのにこの砦に残ってるのはアタシ1人だし、残ってる樽は3つきりだし、竜撃砲も調整が終わってなくて通常弾しか撃てやしない」
リョーマはポストカードを思い出す。ざっと目を通した裏面の情報を必死に脳裏に思い浮かべた。なおも自嘲気味に続けられている相手の言葉をさえぎった。
「まったくサ、こんな状態で勝ち目なんて……」
「……半々だ」
確信満ちたリョーマの言葉に少女が目を丸くする。
「え?」
「君1人なら勝ち目は半々だ」
「随分とアタシの腕を買ってるみたいだけど、相手できるゴブリンは良くて6匹までサ」
「ビール樽は3つあるって言ってたよね。今からでも樽爆弾を作れば間に合うはずだ」
「ああ、そっか! え、でもなんでアンタが樽爆弾のことを知ってるのサ!?」
鉱山を掘り進めることを生きがいとしているドワーフたちは人間より爆薬の扱いも長けており、おのずと銃器や大砲といった火器技術の発達も進むこととなった。その中でも樽のビールにドワーフ秘伝の薬を混ぜて作成される樽爆弾は、秘中の秘とされていた。
「なんでもいい、もうすぐ来るんだろ、準備をしよう。僕が竜撃砲を受け持つよ」
「竜撃砲も知ってるの!?」
「使い方は知らないから教えてもらう必要があるけど」
1人なら勝利の確率は半々。それもビール樽を消費しつくしてのこと。しかし2人なら勝利は約束されたようなものだ。あとはいかに樽の消費を抑えられるか。
「なんか妙に自信あるみたいだけど」
「大丈夫、2人なら絶対に勝てる」
自分でも不思議なんだけど、と少女が苦笑した。
「なんかアンタを見てたらいけそうな気がしてきたヨ」
大きな口でニカッと笑う。
「アタシの名前はジェシカ」
「僕はリョーマ」
がっしりと手を握る。痛いほど強く握ってきたその手が、明るい声とは裏腹に少し震えているのをリョーマは感じた。そして2人は大慌てで準備を始めた。すでにふもとの敵の野営地から煙が上がっており、敵が動き出したのは分かっていた。遭遇までに予想される時間を考えると、竜撃砲の使い方を習うにもぎりぎりだった。
それがほんの数時間前のことだった。
リョーマは我に返った。ゴブリンがやってくる。まだ遠い。弾は1発も無駄にできない。リョーマは、自分のにわか仕込みの腕前ではよほど引きつけないと当たらない、ということが分かっていた。息苦しいほどの緊張の中、近づいてくるゴブリンたちが少しずつ大きく見える。
ジェシカが正面の門を飛び出すのと同時にリョーマは竜撃砲をゴブリンへ向けた!!
ジェシカが身長と変わらぬほどもある巨大な戦斧を振り回し、あっという間に5匹のゴブリンを叩き斬る。リョーマはジェシカを援護することを第一に考え、慎重すぎるほどに狙いを定めた竜撃砲を2匹のゴブリンに命中させた。生き残ったゴブリンたちは死傷者を抱えて後退していく。
「勝った?」
リョーマは逃げていく敵を見ても確信が持てずにいた。砲台にもたれかかる。膝に力が入らない。自分でも驚くほどに緊張していたらしい、と気づく。そんなリョーマの元へとジェシカが一気に城塞を駆けあがってきた。
「リョーマ!」
膝をついているリョーマにジェシカが思い切り抱きついた。ただでさえ女の子に抱きつかれたのは初めての経験だったし、かがんでいるせいで背の高さがほぼ変わらず、顔の位置が近い。しかし、その直後、ジェシカが自慢の腕力で力いっぱいリョーマを抱きしめたせいで、余計な考えは全部吹っ飛んだ。
「痛い痛い痛い!」
その言葉を聞いてか聞かずか、ジェシカは腕を離し目の前のリョーマに笑いかけた。
「なんとかなるもんだネ! ほんと、びっくりだヨ!」
「まあ、次はコボルドたちが来るはずだから喜んでばかりもいられないんだけど……」
あらためて脅威が去ったわけではないことに気づいてしまったリョーマの力無い呟きにジェシカが眉をしかめて吐き捨てるように言った。
「あの銀腐らせどもが来るんだって!? そいつは勘弁ならんネ!」
「銀腐らせ?」
「そうさ! あの汚らわしい役立たずどもときたら!」
憤慨するジェシカの話を整理したところ、どうやらコボルドは触れた銀を腐らせてしまうらしい。山から産出される宝石や鉱石を愛するドワーフたちにとっては、決して許せない相手とのことだ。
「許してやる義理はないさネ」
「でも準備はどうしようか。振り直しか重複配置を伸ばしながら、白兵戦の威力を上げるのも手かな。人数を増やすのが鉄板だとも思うんだけど」
一度見たきりのポストカードのデータを必死に思いだしながら作戦を立てるリョーマの言葉の意味がジェシカにはよく分からなかったが、分からないながらも素直に思ったことを口に出す。
「今からでも頼めば1人くらいなら応援に来てくれると思うヨ。まだ踏みとどまってることを伝えればネ。それに樽爆弾の改良ならアタシでも出来るさネ」
「ジェシカの匠の技もあるし、樽爆弾を使わなくても1人増えれば負ける確率は216分の1か。そうしよう。樽爆弾に回すチェックは無いからそっちは諦めないとだけど」
「よく分からないけど、うん、リョーマの言うとおりでいいヨ」
なんかリョーマの言葉聞いてると力が湧いてくるさネ、とジェシカが浮かべた笑顔に、逆に勇気づけられるリョーマだった。
ジェシカが伝書鳩を送った数日後、1人のドワーフが砦に訪れた。日に良く焼けたその髭面のドワーフはカルガンと名乗った。カルガンは人間がドワーフの城砦にいることよりも、残りのビール樽が3つしかないから飲む分に回す余裕はない、という報告に顔をしかめた。
数日後の夜、コボルドの集団が砦を目指してやってきた。見張りに立っていたカルガンがリョーマとジェシカを呼んだ。空には月明かりしかない夜道は暗闇に溶けており、リョーマにはどこにコボルドがいるのかさっぱり分からなかった。
「これだから人間ときたら」
呆れた様子のカルガンに対し、ジェシカがどこか申し訳なさそうに説明をする。
「アタシたちは鉱山生活が長いからネ。暗闇でも目が利くのサ」
正面からうって出るというカルガンに念のためビール樽を2つ渡す。ジェシカはカルガンのあとに続き、リョーマはまた竜撃砲の係を受け持った。幸い、夜は砦の正面にかがり火を焚いている。リョーマのためでもあるし、妖魔たちは火が苦手ということもある。
近づいてきたコボルドたちがかがり火に照らされる。それを合図に2人のドワーフは雄叫びとともに正門から飛び出し、その2人の叫びに呼応するようにコボルドたちが襲いかかってきた!!
多少数が多いとはいえ、コボルドの強さはゴブリンと大差がない。さらに人数の増強もあったことで3人はあっさりとコボルドの撃退に成功した。ドワーフたちが白兵戦で6匹のコボルドを軽々と蹴散らす間に、リョーマが竜撃砲で逃げまどう2匹のコボルドを仕留めた。大勢が決した時点でコボルドたちは死傷者を抱えて去っていった。
先日の戦いよりは余裕があったとはいえ初めての夜間戦闘に疲れを隠せず、床に座り込んで砲台にもたれかかるリョーマに、またしても駆けあがってきたジェシカが飛びつく。
「すごいヨ、リョーマ! お見事だヨ!」
すぐ近くにあるジェシカの顔にドキドキしていたリョーマは、遅れて上がってきたカルガンの「大勝、大勝。これでビールを数樽かっくらえたら最高なんじゃがなあ」という悔しそうな呟きを聞いて慌てた。
「だ、ダメだよ! 樽爆弾の分もギリギリの数しかないんだ!」
「はあ……分かっとるわい。ドワーフより冗談を解さぬヤツなぞ初めて見たわ」
呆れた様子のカルガンにジェシカが笑った。つられてリョーマも笑う。次の襲撃に備えないといけないことは分かっていたが、その一瞬だけはジェシカの笑顔に救われていた。
「次は確かオークが来るはずだけど、どうしようか」
砦の1階にある広間で、3人は干し肉と茹でた芋の簡単な食事をとりながら次の戦闘に向けて作戦会議を行っていた。リョーマの倍のペースで次々と食料と水を流し込んでいく2人のドワーフが、心配そうなリョーマの言葉に平然と頷いた。
「まあコボルドどもがやられたとなりゃ、オークが出張ってくるじゃろなあ」
「コボルドなんて所詮はオークの使いっぱしりだもんネ」
カルガンの言葉にジェシカがうんうんと同意する。単純にゲームのデータで次に来る敵を予想していたリョーマは2人の言葉を興味深そうに聞いていた。
その後、3人で話し合った結果、もう1人援軍を頼むための伝書鳩を飛ばすことになった。ただ4人目となると頼んですぐに来るというわけにはいかないだろう、というのがカルガンの意見だった。しかし、その上でしつこく依頼するしかないだろう、とも。
依頼の文面作成や伝書鳩の準備以外の時間は訓練に当てられた。カルガンとジェシカが2人で白兵戦などの連携攻撃の練習をする中、リョーマが1つの提案を出した。
これまでは楽勝だったが次からは敵も向こうみずに突き進んでくるばかりではないだろう。だから押すだけではなく引くことも肝要だ、というのがリョーマの案だったが、カルガンは、オークごときに遅れはとらない、と不満そうだった。
「オークごときに対策なんぞドワーフの恥じゃわい」
「でも最初の攻撃がダメだったら、一度引いて体勢を整え直すのも大事だよ」
「戦う前から負けることを考えるのは臆病者の考え方じゃて」
渋い顔をするカルガンの後ろで、黙って戦斧を磨きながら話を聞いていたジェシカが、斧を傍らに置くと静かに口をはさんだ。
「リョーマが言うんだったらアタシはそれでいいヨ」
「なんじゃいなんじゃい、人間の肩なんぞ持ちよってからに」
さらに顔をしかめるカルガンだったが、まあええわ、と首をごきりと鳴らしてから顎鬚をごしごしとしごいた。次の日から、ドワーフたちは連携攻撃の練習と同時に、互いをかばいながら砦まで後退する訓練も始めた。
そしてオークたちがやってきた。
それまでの無秩序なゴブリンやコボルドとは違い、多少なりとも戦列を整えながら近づいてくるオークたちを見たリョーマは、ここまでの準備と作戦は果たして正しかったのだろうか、と一抹の不安を覚えた。
そんな彼の不安をよそにオークたちは構えた武器を振り上げ砦へと押し寄せる。そして正門から斧を構えたカルガンとジェシカがそれを迎え撃つべく飛び出した!!
「なんじゃい、歯ごたえのない」
散り散りになって山のふもとへと逃げていくオークたちを拍子抜けした様子で眺めていたカルガンが呟いた。傍らにいたジェシカはすでに砦へと走り去り、城塞の階段を駆け上がり始めていた。
「リョーマ!」
竜撃砲の出番もないほどの圧勝だったため、初めて立ったままジェシカを出迎えるリョーマにジェシカが飛びつく。避ける間もなく、背後の砲台とジェシカの頭突きに胴体を挟まれたリョーマが、苦悶のうめきをもらす。
「楽勝だったネ! リョーマ!」
「……」
「リョーマ、大丈夫? 顔が青いヨ? なんか悪いもんでも食べたの?」
「……い、いや、大丈夫だけど……なんか楽勝過ぎて僕の出番なかったね」
申し訳なさそうに顔を曇らせるリョーマをジェシカが不思議そうに見上げた。
「みんなが無事ならそれが一番だヨ?」
それもそうだ、と妙な気の遣い方をしてしまったことを反省するリョーマにジェシカがいつもの笑みを向けた。そこへ上がってきたカルガンが、飯にしよう、と2人に声をかけた。
新たなドワーフが砦を訪れたのはオークを撃退した2日後のことだった。
(第2話へ続く)
I Was Game:『ドワーフの城塞』
http://c3ba95dc5fb36b51a14310b783.doorkeeper.jp/events/16376
1回目に遊んだときは普通にクリアに成功。もちろん、ちゃんとポストカードに直接書きこんだ。結果は、確か420点くらいだったはず。やはり500点を狙うとなると1敗も許されないらしい。それを踏まえた上での2回目をプレイしながら書いているのが以下。
《ドワーフの城塞攻防記》 第1話:リョーマとジェシカ
岩山の壁面から削り出したかのようなその城塞は、東の辺境に広がる妖魔の国と西のドワーフの国とを隔てる竜骨山脈(りゅうこつさんみゃく)の中腹にあった。巨大な角石をドワーフの精緻な技術で隙間なく積み上げたそれは、岩壁に背中をつけて座り込んだ頑健で無口なドワーフそのものを思わせる威圧感をもって山脈のすそ野を睥睨していた。
城塞の壁面の中ほどは見張り台となっており、そこに設置された砲台は砦へ登ってくる荒い山道へと向けられている。その方角は東の辺境、ドワーフたちと敵対する妖魔の国のある方角でもある。
その砲台の後ろでは、常伏高校の学生服に身を包んだリョーマが緊張に身を固くしていた。晴れた秋の青空の下に見えるのは、ふもとに広がるうっそうと茂った森とそこから砦に向かって伸びる山道、そしてその道を上がってくるゴブリンたちだった。子供ほどの背丈しかないとはいえ、灰色の肌と短い角を持つ異形の小鬼は、見ると聞くとでは大違いだった。
「本当に来たよ……まあ、やるしかないんだけど」
自分に言い聞かせるようにそう呟く。怖がっている場合でないことはよく分かっていた。リョーマは少なくとも堅牢な城塞の中にいられたが、唯一の仲間であるドワーフはたった1人で正門から白兵戦を挑む手はずになっているのだ。リョーマは重苦しさを振り払おうと、そのただ1人の仲間のドワーフであるジェシカのことを、そして彼女と出会った瞬間を思い出していた。
「ここで何をしてるのさネ」
飾り気のない石造りの部屋に備え付けられたベッドの1つで目を覚ましたリョーマは、状況を把握する暇もないうちに部屋の入口から入ってきた小柄な人影に声をかけられた。
「誰?」
「それはこっちのセリフさネ」
呆れたように片手を腰に当ててリョーマを眺める相手は、リョーマの胸元くらいの背丈の小柄な、しかし頑丈そうな体つきの女の子だった。落ち着き具合や声からすると、背は低いが年の頃はリョーマと同じくらいのように思われた。固そうな髪の毛を2つの短いお下げにギュッと束ねている。大きな目は怪訝そうにリョーマに向けられたおり、どこか幼さを感じさせる大きな口はへの字を描いていた。
しかし何よりリョーマの目を引いたのは、その顔でも髪でもなく、また彼女が身に付けていた簡素な革の鎧でもなかった。腰に当てていないほうの片手で軽々と肩に担いでいる巨大な戦斧から目が離せなかった。雨戸が開かれた窓から差し込む日光が刃に跳ね返る。
「斧だ」
「どうしたのサ。まさか初めて斧を見たわけでもあるまいし」
初めてだよ、とリョーマは思った。何しろ、東京生まれの東京育ち、ほんの数カ月前に市立の高校に入学したばかりの都会っ子だ。そして、ついさっきまでその高校のボードゲーム部の部室にいたはずなのだ。そうだ、とリョーマは必死に記憶を掘り起こした。
(部室で先輩がゲームマーケットで入手したとかなんとか言ってた「ドワーフの城塞」が置いてあったんだ。ルールを一通り読んで、裏面のデータをチェックしてたんだよな。それで……なんか気が遠くなって……どうしたんだっけ、高いところから落ちるような……いや、吸い込まれるような変な感じが……)
「誰だか知らないけど運がなかったネ」
リョーマの思考を中断させたのは少女の声だった。
「もうすぐここにゴブリンどもがやってくるってのにこの砦に残ってるのはアタシ1人だし、残ってる樽は3つきりだし、竜撃砲も調整が終わってなくて通常弾しか撃てやしない」
リョーマはポストカードを思い出す。ざっと目を通した裏面の情報を必死に脳裏に思い浮かべた。なおも自嘲気味に続けられている相手の言葉をさえぎった。
「まったくサ、こんな状態で勝ち目なんて……」
「……半々だ」
確信満ちたリョーマの言葉に少女が目を丸くする。
「え?」
「君1人なら勝ち目は半々だ」
「随分とアタシの腕を買ってるみたいだけど、相手できるゴブリンは良くて6匹までサ」
「ビール樽は3つあるって言ってたよね。今からでも樽爆弾を作れば間に合うはずだ」
「ああ、そっか! え、でもなんでアンタが樽爆弾のことを知ってるのサ!?」
鉱山を掘り進めることを生きがいとしているドワーフたちは人間より爆薬の扱いも長けており、おのずと銃器や大砲といった火器技術の発達も進むこととなった。その中でも樽のビールにドワーフ秘伝の薬を混ぜて作成される樽爆弾は、秘中の秘とされていた。
「なんでもいい、もうすぐ来るんだろ、準備をしよう。僕が竜撃砲を受け持つよ」
「竜撃砲も知ってるの!?」
「使い方は知らないから教えてもらう必要があるけど」
1人なら勝利の確率は半々。それもビール樽を消費しつくしてのこと。しかし2人なら勝利は約束されたようなものだ。あとはいかに樽の消費を抑えられるか。
「なんか妙に自信あるみたいだけど」
「大丈夫、2人なら絶対に勝てる」
自分でも不思議なんだけど、と少女が苦笑した。
「なんかアンタを見てたらいけそうな気がしてきたヨ」
大きな口でニカッと笑う。
「アタシの名前はジェシカ」
「僕はリョーマ」
がっしりと手を握る。痛いほど強く握ってきたその手が、明るい声とは裏腹に少し震えているのをリョーマは感じた。そして2人は大慌てで準備を始めた。すでにふもとの敵の野営地から煙が上がっており、敵が動き出したのは分かっていた。遭遇までに予想される時間を考えると、竜撃砲の使い方を習うにもぎりぎりだった。
それがほんの数時間前のことだった。
リョーマは我に返った。ゴブリンがやってくる。まだ遠い。弾は1発も無駄にできない。リョーマは、自分のにわか仕込みの腕前ではよほど引きつけないと当たらない、ということが分かっていた。息苦しいほどの緊張の中、近づいてくるゴブリンたちが少しずつ大きく見える。
ジェシカが正面の門を飛び出すのと同時にリョーマは竜撃砲をゴブリンへ向けた!!
サイコロの出目は【2】【5】。
【5】を白兵戦に、【2】を竜撃砲に設置。
ダメージの合計はちょうど【7】となる。
ジェシカが身長と変わらぬほどもある巨大な戦斧を振り回し、あっという間に5匹のゴブリンを叩き斬る。リョーマはジェシカを援護することを第一に考え、慎重すぎるほどに狙いを定めた竜撃砲を2匹のゴブリンに命中させた。生き残ったゴブリンたちは死傷者を抱えて後退していく。
「勝った?」
リョーマは逃げていく敵を見ても確信が持てずにいた。砲台にもたれかかる。膝に力が入らない。自分でも驚くほどに緊張していたらしい、と気づく。そんなリョーマの元へとジェシカが一気に城塞を駆けあがってきた。
「リョーマ!」
膝をついているリョーマにジェシカが思い切り抱きついた。ただでさえ女の子に抱きつかれたのは初めての経験だったし、かがんでいるせいで背の高さがほぼ変わらず、顔の位置が近い。しかし、その直後、ジェシカが自慢の腕力で力いっぱいリョーマを抱きしめたせいで、余計な考えは全部吹っ飛んだ。
「痛い痛い痛い!」
その言葉を聞いてか聞かずか、ジェシカは腕を離し目の前のリョーマに笑いかけた。
「なんとかなるもんだネ! ほんと、びっくりだヨ!」
「まあ、次はコボルドたちが来るはずだから喜んでばかりもいられないんだけど……」
あらためて脅威が去ったわけではないことに気づいてしまったリョーマの力無い呟きにジェシカが眉をしかめて吐き捨てるように言った。
「あの銀腐らせどもが来るんだって!? そいつは勘弁ならんネ!」
「銀腐らせ?」
「そうさ! あの汚らわしい役立たずどもときたら!」
憤慨するジェシカの話を整理したところ、どうやらコボルドは触れた銀を腐らせてしまうらしい。山から産出される宝石や鉱石を愛するドワーフたちにとっては、決して許せない相手とのことだ。
「許してやる義理はないさネ」
「でも準備はどうしようか。振り直しか重複配置を伸ばしながら、白兵戦の威力を上げるのも手かな。人数を増やすのが鉄板だとも思うんだけど」
一度見たきりのポストカードのデータを必死に思いだしながら作戦を立てるリョーマの言葉の意味がジェシカにはよく分からなかったが、分からないながらも素直に思ったことを口に出す。
「今からでも頼めば1人くらいなら応援に来てくれると思うヨ。まだ踏みとどまってることを伝えればネ。それに樽爆弾の改良ならアタシでも出来るさネ」
「ジェシカの匠の技もあるし、樽爆弾を使わなくても1人増えれば負ける確率は216分の1か。そうしよう。樽爆弾に回すチェックは無いからそっちは諦めないとだけど」
「よく分からないけど、うん、リョーマの言うとおりでいいヨ」
なんかリョーマの言葉聞いてると力が湧いてくるさネ、とジェシカが浮かべた笑顔に、逆に勇気づけられるリョーマだった。
ジェシカが伝書鳩を送った数日後、1人のドワーフが砦に訪れた。日に良く焼けたその髭面のドワーフはカルガンと名乗った。カルガンは人間がドワーフの城砦にいることよりも、残りのビール樽が3つしかないから飲む分に回す余裕はない、という報告に顔をしかめた。
数日後の夜、コボルドの集団が砦を目指してやってきた。見張りに立っていたカルガンがリョーマとジェシカを呼んだ。空には月明かりしかない夜道は暗闇に溶けており、リョーマにはどこにコボルドがいるのかさっぱり分からなかった。
「これだから人間ときたら」
呆れた様子のカルガンに対し、ジェシカがどこか申し訳なさそうに説明をする。
「アタシたちは鉱山生活が長いからネ。暗闇でも目が利くのサ」
正面からうって出るというカルガンに念のためビール樽を2つ渡す。ジェシカはカルガンのあとに続き、リョーマはまた竜撃砲の係を受け持った。幸い、夜は砦の正面にかがり火を焚いている。リョーマのためでもあるし、妖魔たちは火が苦手ということもある。
近づいてきたコボルドたちがかがり火に照らされる。それを合図に2人のドワーフは雄叫びとともに正門から飛び出し、その2人の叫びに呼応するようにコボルドたちが襲いかかってきた!!
サイコロの出目は【2】【4】【6】。
【6】を白兵戦に、【2】を竜撃砲に設置(【4】は未使用)。
ダメージの合計はちょうど【8】となる。
多少数が多いとはいえ、コボルドの強さはゴブリンと大差がない。さらに人数の増強もあったことで3人はあっさりとコボルドの撃退に成功した。ドワーフたちが白兵戦で6匹のコボルドを軽々と蹴散らす間に、リョーマが竜撃砲で逃げまどう2匹のコボルドを仕留めた。大勢が決した時点でコボルドたちは死傷者を抱えて去っていった。
先日の戦いよりは余裕があったとはいえ初めての夜間戦闘に疲れを隠せず、床に座り込んで砲台にもたれかかるリョーマに、またしても駆けあがってきたジェシカが飛びつく。
「すごいヨ、リョーマ! お見事だヨ!」
すぐ近くにあるジェシカの顔にドキドキしていたリョーマは、遅れて上がってきたカルガンの「大勝、大勝。これでビールを数樽かっくらえたら最高なんじゃがなあ」という悔しそうな呟きを聞いて慌てた。
「だ、ダメだよ! 樽爆弾の分もギリギリの数しかないんだ!」
「はあ……分かっとるわい。ドワーフより冗談を解さぬヤツなぞ初めて見たわ」
呆れた様子のカルガンにジェシカが笑った。つられてリョーマも笑う。次の襲撃に備えないといけないことは分かっていたが、その一瞬だけはジェシカの笑顔に救われていた。
「次は確かオークが来るはずだけど、どうしようか」
砦の1階にある広間で、3人は干し肉と茹でた芋の簡単な食事をとりながら次の戦闘に向けて作戦会議を行っていた。リョーマの倍のペースで次々と食料と水を流し込んでいく2人のドワーフが、心配そうなリョーマの言葉に平然と頷いた。
「まあコボルドどもがやられたとなりゃ、オークが出張ってくるじゃろなあ」
「コボルドなんて所詮はオークの使いっぱしりだもんネ」
カルガンの言葉にジェシカがうんうんと同意する。単純にゲームのデータで次に来る敵を予想していたリョーマは2人の言葉を興味深そうに聞いていた。
その後、3人で話し合った結果、もう1人援軍を頼むための伝書鳩を飛ばすことになった。ただ4人目となると頼んですぐに来るというわけにはいかないだろう、というのがカルガンの意見だった。しかし、その上でしつこく依頼するしかないだろう、とも。
依頼の文面作成や伝書鳩の準備以外の時間は訓練に当てられた。カルガンとジェシカが2人で白兵戦などの連携攻撃の練習をする中、リョーマが1つの提案を出した。
これまでは楽勝だったが次からは敵も向こうみずに突き進んでくるばかりではないだろう。だから押すだけではなく引くことも肝要だ、というのがリョーマの案だったが、カルガンは、オークごときに遅れはとらない、と不満そうだった。
「オークごときに対策なんぞドワーフの恥じゃわい」
「でも最初の攻撃がダメだったら、一度引いて体勢を整え直すのも大事だよ」
「戦う前から負けることを考えるのは臆病者の考え方じゃて」
渋い顔をするカルガンの後ろで、黙って戦斧を磨きながら話を聞いていたジェシカが、斧を傍らに置くと静かに口をはさんだ。
「リョーマが言うんだったらアタシはそれでいいヨ」
「なんじゃいなんじゃい、人間の肩なんぞ持ちよってからに」
さらに顔をしかめるカルガンだったが、まあええわ、と首をごきりと鳴らしてから顎鬚をごしごしとしごいた。次の日から、ドワーフたちは連携攻撃の練習と同時に、互いをかばいながら砦まで後退する訓練も始めた。
そしてオークたちがやってきた。
それまでの無秩序なゴブリンやコボルドとは違い、多少なりとも戦列を整えながら近づいてくるオークたちを見たリョーマは、ここまでの準備と作戦は果たして正しかったのだろうか、と一抹の不安を覚えた。
そんな彼の不安をよそにオークたちは構えた武器を振り上げ砦へと押し寄せる。そして正門から斧を構えたカルガンとジェシカがそれを迎え撃つべく飛び出した!!
サイコロの出目は【4】【4】【6】。
【4】と【6】を白兵戦に設置(【4】は未使用)。
ダメージの合計はちょうど【10】となる。
「なんじゃい、歯ごたえのない」
散り散りになって山のふもとへと逃げていくオークたちを拍子抜けした様子で眺めていたカルガンが呟いた。傍らにいたジェシカはすでに砦へと走り去り、城塞の階段を駆け上がり始めていた。
「リョーマ!」
竜撃砲の出番もないほどの圧勝だったため、初めて立ったままジェシカを出迎えるリョーマにジェシカが飛びつく。避ける間もなく、背後の砲台とジェシカの頭突きに胴体を挟まれたリョーマが、苦悶のうめきをもらす。
「楽勝だったネ! リョーマ!」
「……」
「リョーマ、大丈夫? 顔が青いヨ? なんか悪いもんでも食べたの?」
「……い、いや、大丈夫だけど……なんか楽勝過ぎて僕の出番なかったね」
申し訳なさそうに顔を曇らせるリョーマをジェシカが不思議そうに見上げた。
「みんなが無事ならそれが一番だヨ?」
それもそうだ、と妙な気の遣い方をしてしまったことを反省するリョーマにジェシカがいつもの笑みを向けた。そこへ上がってきたカルガンが、飯にしよう、と2人に声をかけた。
新たなドワーフが砦を訪れたのはオークを撃退した2日後のことだった。
(第2話へ続く)
《ドワーフの城塞攻防記》 第2話:竜鱗甲と勝利の確率
http://regiant.diarynote.jp/201412050218092594/