【翻訳】マジック界の悪童 ピーター・シゲティ とは一体何者だったのか?/Peter Szigeti: Untold Legends Of The Million Dollar Magic【SCG】
2016年10月22日 翻訳 コメント (4)はじめに。
この記事はかつて悪童として各地のプロツアーで名をはせたプロプレイヤー、ピーター・シゲティ(Peter Szigeti)に関する記事を訳したものだ。もっとも彼の活躍(?)シーンは主に2000~2005年にかけてであり、かつ彼は2010年に「2049年までの出場停止処分」を受けているため、最近のプレイヤーはまず知らないと思う。
まず、彼の主な戦績を紹介してみる。なおソースは MTG Wiki による。
・グランプリ・アナハイム 03 (第4位)
・グランプリ・トリノ 01 (チーム戦、優勝)
・グランプリ・モントリオール 01 (第7位)
そんな彼が紹介されていたり登場したりしている記事は今もネットに多く残されている。その多くは対戦記事ではなく彼の対戦外における「活躍シーン」に関するものだ。見つけられたものを以下に紹介してみる。
■ 2002年04月 ゲリー・ワイズへのインタビュー記事
http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/jpfeature/jp20020403b,,ja
上記の記事でインタビュアーが「最近 Peter Szigeti と Chiris Benafelからだいぶ攻撃を受けたね。彼らがこういう風にするのは何でだと思う?」とゲリー・ワイズに問いかけており、ゲリーはこれに対して「Peter Szigetiはマジック界のヒール(悪党)になりたがっている奴さ」と返している。
■ 2002年05月 プロツアー・ニースの大会レポート(英語)
http://archive.wizards.com/default.asp?x=sideboard/ptnice02/szigeti
上記の記事は彼を紹介している公式記事で、公式にも関わらず、記事のタイトルが「Public Enemy Number One(嫌われてるプレイヤー第1位)」というところから彼の印象と扱いが分かってもらえるのではないかと思われる。
■ 2002年05月 マスターズ・ニースの対戦記事
http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/mastersnice02/jpgwfm2
日本のプロプレイヤー、岡本尋とピーター・シゲティの対戦記事。ここでの紹介は「"PTR" こと Peter Szigeti。Gary Wise のコラムなどでもお馴染みの彼は、プロプレイヤー集団「Magic Colony」の一員であり、来日経験もあるツアー常連のアメリカ人プレイヤーだ。恰幅の良いスキンヘッドと、一目で忘れられなくなる風貌も印象的だろう」と比較的抑え目な表現。
■ 2002年11月 プロツアー・ボストンの各種エピソード
http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/jpstrategy/20021121a
上記の記事ではイベント取材で書けないようなエピソードを紹介しており、その中にピーター・シゲティが、日本勢と起こした騒動「深夜の出禁事件」について書かれている(リンク先のエピソード集の最後)。
事件の概要は「表彰式で賞金を表すのに使われた巨大小切手のオブジェを www.shop-fireball.com が持ち帰ろうとしたところ、それをピーター・シゲティが横からかっぱらって振り回し始め、持ち主に返すようにというウィザーズスタッフの指示にも従わなかったため、深夜にも関わらず会場から追い出された」というもの。なんじゃそりゃ。
■ 2003年06月 プロツアー横浜の Wise Word
http://www.wizards.com/default.asp?x=sideboard/jpfeature/20030606a
ゲリー・ワイズというプロプレイヤーがかつて公式サイトに連載していた「Wise Word」という記事がある。上記はプロツアー横浜でピーター・シゲティがゲームロスを受けたマッチとその内容(ラストターンにとどめの火力をトップデッキできた喜びのあまり大騒ぎをしてしまいジャッジにゲームロスを食らった)について書かれている。
ちなみにゲームロスの名目は「非紳士的行為」。ここで彼の姿が一旦ネットの場では見られなくなり、次の登場は2010年の以下の記事となる。
■ 2010年02月 公式サイトの出場停止処分の連絡(英語)
http://www.gatheringmagic.com/peter-szigeti-banned-2049/
URLから一目瞭然だが、Peter Szigeti が2010年に、生涯出場停止処分(Lifetime Ban)の処分を受けたことを通知する記事。処分の理由として「すでに多くの失格や出場停止を受けていたピーター・シゲティだが、グランプリ・オークランドで他のプレイヤーと物理的接触を含む口論に陥ったことが最後の一押しとなった」としている。
彼が亡くなったのはそれから約1年半後、2011年08月のことらしい。ソースは以下の Geordie Tait によるツイッターのつぶやき。
https://twitter.com/Geordie_Tait/status/108054051194814465
今回訳した以下の記事は2005年に書かれたものなので、生涯出場停止処分を受けるよりも、そして亡くなるよりも前のものだ。
【翻訳】マジック界の悪童 ピーター・シゲティ とは一体何者だったのか?/Untold Legends Of The Million Dollar Magic The Gathering Pro Tour【SCG】
ジェフ・カニンガム
2005年09月30日
元記事:http://www.starcitygames.com/magic/misc/10521_Jeff_Cunninghams_Untold_Legends_Of_The_Million_Dollar_Magic_The_Gathering_Pro_Tour.html
これから始めるこの「マジック・プロツアー界の知られざる伝説(Untold Legends of the Million Dollar Magic The Gathering Pro Tour)」シリーズの最初を飾るのは、たった3文字で誰もが「ああ、あいつか」と気づく、そんな人物だ。
P と T と R。
だから通称 P.T.R.。誤解されている気もするし、良くも悪くも知られ過ぎているとも言えるその人物が今日の主役。
そう、今から話すのは、IRC(註1)では reteP と名乗り、AIM(註2)では Bugjuicewanted と名乗っていたピーター・シゲティの物語だ。
(註1) IRC
IRCは Internet Relay Chat の略で、チャットシステムのプロトコルの名前だが、これを実装したソフト自体もそう呼ばれる(多分そっちの使われ方が主流)。今もユーザはいるだろうけど個人的に日本では1990年代から2000年代にかけて流行った印象がある。
(註2) AIM
AIMは AOL Instant Messenger の略で、AOLが提供するインスタントメッセージサービス。主にアメリカを中心に使われており、個人的には日本でそこまで流行った印象がない。
朝起きて靴下を履こうと150㎝の体で片足立ちしているときはただのPete、スラックスを履いているときはPTR、学校ではPeter、署名するときはPedro。でも僕の中の彼は常にPetelitaだった。
彼はマジック界における悪ガキと呼ばれていた。しかし具体的にどういう意味でだろう。
ふむ、彼はトーナメント会場に拡声器を持ってきたことがある。なるほどね。それと、彼は上下ひとつなぎのジャンプスーツを着てきたことがある。うんうん、なるほど。他には?
彼は何人ものマジックプレイヤーを育てあげた。かの有名な Derek Starleaf、Rory Draxler、Gary Talim そして Max McGuffin らだ。彼らを不良の道へ進むのを食い止めた人物でもある……短期的にはね。長期的にはより深い闇へと誘ったと言えるかもしれない。
さて、ピーターが闇の力を求めたのか、もしくは闇の力がピーターに近づいたのか。ピーター・シゲティとは一体何者なのか……ピーター・シゲティとは一体何者なのか?
ピーター・シゲティにいつどこで初めて会ったのか、まったく思い出せない。それどころか、どの大会で会ったのかも思い出せない。ただ「俺たちもう友達だよな?」と言われたのは多分JSS(註3)だったと思う。
(註3) JSS
JSSは Junior Super Series の略で、1997年から2007年にかけて開催されていた大会。16歳以下のプレイヤーのみ参加可能で、大学の奨学金を得ることができた。
それはさておき、彼について覚えている一番古い記憶は2000年のプロツアーロサンゼルスでのことだ。シカゴの予選を通過したことで出場権を得た僕は彼の家に泊めてもらえることになってた。当時の僕は16歳で、両親の元を離れての初めての一人旅だった。
言ってみれば処女だった。つまり、まあ、そういうことだ。
うげっ。
そんなわけで、まだ子供だった僕は甘やかされることに慣れていた。
いつだって両親のどっちかが傍にいて何をすべきか教えてくれたし、食べ物や飲み物を持ってきてくれたし、夜更かししないように見張っててくれた。
だけどピーターと一緒に過ごした時間は、まさにそれとは正反対の「プロツアーの過ごし方へようこそ」だった(実のところウィザーズ社が売り込みをかけているあのド派手なプレイヤーラウンジとやってることはほぼ同じだ)
大会の初日は会場に遅くまでいた。具体的には午前2時か3時まで。そのあいだピーターはマネードラフトをしていた。僕もJSSでマネードラフトは知っていたけど、あそこまで一心不乱にひたすらドラフトをし続けるのは初めて見た。
ピーターの家に帰れたときは疲れ果ててた。でも次の日は渋滞を避けるために早起きをする必要があって、結局、2日目の成績は4-3だった。睡眠不足を言い訳にするつもりはないよ。でも原因の1つであった可能性は否定できない。
プロツアー2日目で脱落した瞬間に思ったことは、とにかくどこか静かな場所で寝かせてくれ、だったかな。あとは自分に対する怒りとか、まあ、そんな感じだ。
ピーターに「早く帰れないかな」と聞いたら「今日も一晩中マネードラフトするから無理」と言われた。そんなこんなで、まともな睡眠がとれたのはトップ8が終わったあとだった、というわけさ……
この睡眠不足な2日間で慣れ親しむこととなったあれやこれやがその後も長いこと僕にとっての「プロツアー」となった。
床にぶちまけられた大量のカードたち。勝ち抜いて上位テーブルへと進む奴らと、負けて下位のテーブルへ(もしくは物理的にテーブルの下へ)落ちていく奴ら。
もらった忠告は「絶対に大会で寝るんじゃない」で、それを守らなかった奴らのうちの何人かは、頭から水をぶっかけられるか、顔にフェルトペンで髭を描かれてた。
中にはテーブルに突っ伏して寝てるプレイヤーを相手に進められた試合すらあったらしい。寝てるところを揺り起こされて「おい、お前の番だ。いい加減にしろよ、ジャッジ呼ぶぞ」と言われたそいつは頷いて、手札を見て、ターンエンドする、という具合だ。
日中から深夜までマネードラフトが途切れることなく続き、かすむ視界でデッキがぼやけ、フィーチャーマッチが次々と行われ……そのころ僕は寝不足のあまり肌に虫が這いまわる感触で辟易としていたというわけだ。
僕の想像していたプロツアーとはまったく違ったが、まあ大体はこんな感じだ。特に2日目に進めなかったプレイヤーにとってのプロツアーはね。ほんと、疲労困憊で、時間の無駄で、なんもかんもが退廃的でチープで……でも頭から終わりまでひたすらに楽しくて面白い。それがプロツアーだったんだ。
ピーターは、僕のJSSからプロツアーへの道筋を現実のものとしてくれた。ピーターは、僕にプロツアーを、そうさ、本当のプロツアーを見せてくれた。ピーターはプロのライフスタイルとはなんぞやを教えてくれた。
と、まあ見ての通り、入口から強烈だったし、とても魅力的なライフスタイルには見えなかったろうから、たぶん君は「なんでそんな奴と友達になったんだよ!?」って思うかもしれない。
残念ながら、良くも悪くも世間に広まってる「PTR」の印象どおり、上にあげた内容じゃ彼の悪評に対する反論にはならないだろうね。でも良くも悪くもまっすぐな人物だということは伝わったと思う。そしてそれこそが彼の魅力なんだ。
ピーターは今も昔も……というか、生まれながらにして演出の巧みな奴だった。彼の家に泊まったとき、部屋には子供のころから溜め込んだとおぼしきWWF(註4)グッズが大量にあることに気付いた。
(註4) WWF
World Wrestling Federation の略称でプロレス団体。ただ略称が以前から存在していた世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature)とかぶったため、変更を余儀なくされて、今現在は WWE(World Wrestling Entertainment)に名称が変更されている。
つまりピーターには素晴らしい演技をもつだけの下積みがあったわけだ。
また彼には鋭いだけでなく創造性にも富んだユーモアのセンスがあった。こういった要素が複雑に絡みあって「マジック界における悪ガキ」が作られたというわけさ。
しかしそれはすべてが演じられたものだったんだろうか? 本当のピーターとは切り離された、仮面の1枚に過ぎなかったんだろうか?
僕はそうは思わない。
何もかもは彼のドラマティックそのものな感性が膨れ上がることでから悪意なく発せられた彼本人だと思っている。ときに少年の心をもち、良くも悪くも論理的で、いつも笑いの絶えない彼のキャラクターそのものが発現したものだと思っている。
だからこそ僕らは友人になれたんだ。
そう、僕らの感性には似通ったところがあった。毎年のようにインビテーショナル出場のために自分に投票して欲しい、と周囲に懇願して回るのも同じ。そして結局かすりすらしないところも同じ(これに関して僕は今も変わらず)
僕がいまだかつてもっとも面白いと思った記事は、ピーターの書いたカイル・ローズへのインタビュー記事(註5)だし、それ以外でも彼の書いた記事(たとえば彼自身の2002年全米選手権の大会レポート(註6)やゲデス・クーパーと企てた一件(註7)についてなど)はどれもこれも傑作だ。ちなみに彼の記事の一部はMTG PlanetとBrainburstで見ることができる。
(註5) カイル・ローズへのインタビュー記事
原文では以下のURLへリンクが張られている。The Only Game In Town というゲームサイトの「Ask the Second Rate Pros(二流のプロたちに聞いてみた)」というタイトルのコラム。若干ケンカを売ってるっぽい質問もあったり、真面目に答えてたり、ふざけた答えがあったり、結構面白い。
http://web.archive.org/web/20030810105055/www.togit.com/reports/PTR_July03Week2.html
(註6) 2002年全弁選手権の大会レポート
原文では以下のURLへリンクが張られている。上記と同じサイトの「US Nationals Preview(全米選手権プレビュー)」というタイトルのコラム。
http://web.archive.org/web/20030621020505/www.togit.com/reports/PTR_June03Week3.html
(註7) ゲデス・クーパーと企てた一件
原文では「Geddes Cooper Fiasco」。なお対象の記事は見つけられなかったらしく「見つけられたら読んでみて」とだけ付記されている。個人的に探してみたが、それと思しき記事は見つけられなかった。ただ「The Geddes Cooper Incident」について触れている記事はあった。
http://www.starcitygames.com/article/3226_It-Takes-a-Corporation-to-Raise-a-Villain--Wizards-and-Peter-Szigeti.html
ところでマジックを通じて育まれた友情だけど、これは普通の友人関係と比べるとちょっと特別なものとなる。
ほんのときどきしか会わない限られた友人たちと短い日程のあいだ、ずっと丸一日中を一緒に過ごすんだ。だからその関係はすごい濃密なものになる。
それが大会参加のたび、つまり大体2ヶ月に1回くらいの割合で起きる。そう、数か月に1回だ。だからもし何回か大会に出るのをさぼるとあっという間に半年以上が過ぎて、途端にその友人とのコンタクトの取り方がわからなくなる。
僕とピーターとの関係もまさにこれで、ロサンゼルスの次の大会、バルセロナ(註8)のあと電車の駅で別れたのを最後に彼とは会っていない。
(註8) ロサンゼルスの次の大会、バルセロナ
おそらくロサンゼルスは「2001年02月 プロツアー・ロサンゼルス」で、バルセロナは「2001年05月 プロツアー・バルセロナ」のことと思われる。
当時、ピーターはグレッグ・ローズベリーと親交を持ち始めた頃だった。
グレッグはインターネットポルノで荒稼ぎをしていた男で、ワシントン州ワナッチーにある自宅を Magic Colony (註8)に開放していた。個人的には、このグレッグがどうしてマジック連中とつるむようになったのかがいまだに良く分からない。彼はそれほどマジックに興味がある男じゃなかったからだ。
(註8) Magic Colony
2001年に Chris Benafel、Greg Rosebury そして Ryan Fuller といったメンバーによって創設されたプロプレイヤーの集団。前述の3人以外の主なメンバーとしては Ken Ho、Brett Shears、Jeff Cunningham、Brian Hegstad、Peter Szigeti、Jeff Fung、Terry Tsang など。戦績としては2002年のプロツアー大阪で Ken Ho が優勝したほか、グランプリ・タンパのトップ16に5人を送り込んだりしている。
参考:http://magic.tcgplayer.com/db/article.asp?ID=2751
ある時期から突然、グレッグはマジック仲間の航空券代を気前よく支払うようになって、加えてそんな友人たちのために豪華な五つ星ホテルを予約するようにもなって、要するに百ドル紙幣を惜しみなくばらまき始めた。彼は奇行の持ち主で、感情の振れ幅が激しい男でもあった。
そんな彼からの影響やら大量の金が浪費される環境やらがピーターを闇落ちさせたんじゃないかな、というのが僕の個人的な読みだ。
頭のおかしい連中と閉じられた世界にいるという環境に居続けるってだけでも色々と十分すぎる影響だけど、グランプリを回り続けるという生活も原因の一つかもしれない。僕自身、そんな生活を続けていた中で、何かしら黒い負の何かが自分の中に溜まっていくのを感じていたからだ。
第一に、空の旅は退屈だ。第二に、不規則な時間に寝起きするのは健康に悪い。人間は決まった時間に寝起きするようにデザインされた生物だからね。
第三に、身の丈にあってない。普通、大学卒業してすぐのガキはバックパッカーとしてオーストラリアへ行ってモペッドで移動するくらいがちょうどいいんだ。
さてグランプリを飛び回る生活ときたら? 世界各地の街を飛び回るホテル生活だ。2日間かけてすることといったら、ひたすらカードゲーム。そして飛行機で家に帰る。
パリへ、シンガポールへ、デトロイトへ、シカゴへ、もう1回デトロイトへ? さらに家に帰ってからまたカードゲーム。また次の大会。そして大会。
地元にいたってろくなことにはならない。
同じ場所、同じ人間との付き合い。マネードラフトだって惰性でプレイしてれば、お金だってカードだって、さらには勝敗だってどうでもよくなってくる。そうなると、どうしてこんなクソなゲームを遊んでるんだ、って思い始める。
何もかもが嫌になる。
もちろん誰もが必ずしもそうなると言いたいわけじゃないし、そうならなきゃいけないわけもない。だけど様々な大会に参加し続けて、同時にとんでもない移動を続けていればどうなることか。
それが自分のコントロールできる範囲であればいいけど、そうでなかったとしたら碌な結果にならないだろうし、まあ、実際そういうことだったんじゃないかな。
そんなこんなで、色々と生活リズムとかが狂ってしまった結果、マジックに対する興味が薄れていったんだろうな、と思う。それは分かる。ただ、彼の性格や感性までが変わってしまったのが同じ理由によるものなのかどうか? 正直なところ自信がない。
PTRの派手なパフォーマンスの数々はあまりに多すぎて思い出すのも大変だ。ゲリー・ワイズがグレイビートレインから振り落とされそうだからという理由で開かれたパーティの話、Your Move Game ならぬ Our Move Game の話、それら以外にも彼が色んな相手に対して起こしてきた揉め事の数々が話題になるたび、僕は単純に面白がっていたし、それほど実際にはひどいことにはなってなかったからだ。
ただ、まあ小さな事案まであげていけば、ときには僕もイラッとこないこともなかったけどね。誰だって怒るときはあるさ。大体からしてあからさまに他人に罵詈雑言を吐きつつその場を丸く収めることができるなんてそうそうできる芸当じゃない。
ピーターは自分の仲間に対してすらちょっと横暴な振る舞いを見せることがよくあったし、人の悪口も簡単に垂れ流すし。
人にそういう奴だと思われていると、周囲の人間もやっぱり取り繕った物言いをすることになる。そんなこんなで、世間一般の「PTR」に対して抱く印象が結果として彼にとって不利な状況を生んだんじゃないかな。個人的な意見だけどね。
プロのボディビルダーは休みの日だってトレーニングを怠ったりはしない。PTRもそうだ。大会とか公の場に出ていないときだって彼は威圧的だった。
機嫌がいいときは分け隔てのない、素晴らしく面白いキャラだけど、誰にだってあるように、彼にだって虫の居所が悪いときはあって、そんなときは周囲に甚大な被害が出る。
ちなみにあまり親しくない人から見るとどっちの状態もあまり変わらなく見えるらしく、そこから生じる誤解のせいでPTRは人間のクズと決めてかかられてしまって……不利な状況に陥るんだ。
さっきも書いたように彼にとって一番のダメージだったのは長距離の移動だったんだと思う。ただそれはマジックに関わり続けるための必要経費でもある。
PTRはポイントが必要だったからね。その先に炎が燃え盛る地獄の口が開いてることが分かってても彼は止まることができなかった。
そして燃え尽きた。
判断力の欠如が見え始めた最初の兆候として挙げられるのはプロツアー横浜で起きた「焼けつく肉体」事件だろう。
事件の概要はこうだ。勝利を決める《焼けつく肉体/Searing Flesh》をトップデッキしたPTRは、まず仲間にそのドローを見せつけ、さらに面食らってる日本人プレイヤー相手にそれを唱える前にカードで尻を拭く動作をおこなった。これが非紳士的行為とジャッジに判断されたPTRはゲームロスを食らい、800ドルをふいにした。
そうだよ。ひどい悪意があったわけじゃない。ただいずれにせよ、個人的にこの出来事を知ったときに思ったのは、彼が自身のコントロールを失い始めていたんじゃないか、ってことだ。
さて、物語の終わりは2002年のプロツアーサンディエゴのすぐあとに訪れた。PTRはフィーチャーマッチ用の掲示板にマーベル社のホームページアドレスを落書きしているところを目撃され、出場停止処分を食らった。まるでそうしてもらいたがっていたかのように。
その行為に正当性があったかどうかはさておき、少なくとも最善の行動ではなかっただろう。いずれにせよPTRは行き着くところまで行き着いてしまったんだ。
PTRは、違ったアプローチさえしていれば、ウィザーズ社とプロツアーにとってもこれ以上ない最高の存在となりえたんじゃないか、と僕は今でも思ってる。
どんな物語だって悪役なしには面白さが半減する……ああ、念のため。イカサマ師の話じゃないよ。純粋な悪役(villain)の話さ。
そうでなくとも、何かを喧伝するのに向いてる彼の資質を生かす良い方法が何かあったんじゃないかな。例えば、そうだな、給料を出して雇うとか……いや、これはさすがに正直なところも僕自身どうかと思うけど、ほら、1つの案としてね。
とはいえ、彼をコントロールできる人なんているわけない、ってのも事実だ。結局は、悲しいかな、この結末以外あり得なかったのかもしれないね。
僕にとってピーター・シゲティとはマジックにおけるダークヒーローだ。プロツアーで重要な、そして必要な役割を担っていたけど、それを認めてくれる人はいなかった。
ある意味彼は自分の役割をあまりにも上手く演じ過ぎていたのかもしれない。彼の悪童っぷりが気に食わなかった人たちは彼が残した貢献を、進んで忘却の彼方へと追いやった。
もちろん彼が書き残したいくつかの戦略記事や多くの大会レポートも一読の価値があるものだ。しかし何よりも彼の功績としてあげたいのは、プロツアーに活力をもたらしたことだ。
彼はマジックそのものだ。スマートで洗練されていて、それでいてどこか尖ったところがあり、そして何よりエネルギーに満ち溢れている。
だけどもう終わりだ。これが彼の白鳥の歌だ……それとも疫病吐きの歌か。
親愛なる
(余談)
原文ではこのあとに、ピーター・シゲティが2001年に書いたグランプリ・トリノの大会レポートが掲載されているが、割愛。
コメント
なんにせよ、あの頃からは、ひどく遠くへ来たものだな、という気がします。
余談ですが、この記事は文中の各種大会(グランプリやプロツアー)が何年のどれを指しているのかを調べるのが一番の苦労でした。結局「マーベルの公式サイトのURLを落書きしてサスペンション食らった大会」がどれなのか未だに分かってません。
>上で挙がっていない中ではTed Knutsonのこの記事がよかったです
そっちがあがっていないのは、訳そうかどうか迷っているからです(笑)。そっちもそっちで面白いのですが、時系列的にまずジェフ・カニンガムの記事が先なので訳してみた次第です。
>あのカイ・ブッディの Team Fireball と
誤読だと思います。ここで言及されているFireballは日本勢のwww.shop-fireball.comでは。