【翻訳】ヴィンテージを流行らせるために出来ること、そして出来ないこと/Playing to Type 1【DailyMTG】
Mark Rosewater
2002年07月15日
元記事:https://magic.wizards.com/en/articles/archive/making-magic/playing-type-1-2002-07-15

 先月のコラムでは皆から送られてきたメールに対して私から色々と回答させてもらった。さてその中で、開発部がタイプ1(註)を今後どう扱うつもりなのかについて知りたい、というメールを取り上げた。
(註) タイプ1
 使えるカードが最近発売されてまだ手に入りやすいセットに限定されるスタンダードというフォーマットに対して、過去からの全てのセットとカードが使用可能というフォーマットがタイプ1(例外的にいくつか禁止カードはある)。

 これに対しネットのタイプ1好きのコミュニティからは非常に大きな反響があった。それはあまりに大きかったので、こうして1つの記事にするに十分なトピックに思われたんだ。

 今日の記事の目的は大きく分けて2つだ。

 1つ目として、皆からもらった質問のうち、開発部がタイプ1をどうしたいと考えているかという問いに答えたいと思う。次に、タイプ1を遊んでいるプレイヤーたちから挙げられた現状の課題を1つずつこの記事で皆と共有し、それにどう対処すべきかをオープンに議論したいと考えている。
(訳注) 原文ではこの箇所に「Jon Finkel plays Type 1 at the Syndey Magic Invitational.(シドニーのインビテーショナルでタイプ1をプレイする John Finkel)」と書いてある。おそらく元々の掲載時には写真が貼られていたと思われる。

 さて、先に進む前に前もって伝えておくことがある。私自身はもう何年もタイプ1をプレイしていない。つまり私はタイプ1のメタゲームをほとんど把握していない。

 つい最近の全米選手権で、私はタイプ1の現状のメタゲームについてプロプレイヤーに話を聞く機会があった(気になる人もいるかもしれないから付記しておくとそのプレイヤーとは Pat Chapin だ。タイプ1というフォーマットに詳しいプレイヤーの1人と考えて間違いないだろうね)

 前回の記事で私が述べたタイプ1に関する言葉はこのときの話をソースとしている。勘違いさせたようで申し訳ない。

 今日は、現状のメタゲームを把握しているつもりだ、などとは絶対に言わないことを約束しよう。知ったかぶりで書いたりすれば大量の批判にさらされることは確実だからね。


ときには昔の話をしようか

 タイプ1に関する懸念点について話をしようとするのであれば、まずはこのフォーマットの歴史について学んでおく必要がある。

 用意がいいことに、ここにある時間逆行装置の目盛りはすでに1994年の前半にセットしてある。なんで1994年の前半なのかって? なぜならそれこそがタイプ1の生まれたときだからさ。

 1994年以前のマジックにはデッキ構築に関する公式ルールが存在しなかった……え? そんなことないって? ごめんごめん、説明が間違っていたね。

 確かに製品にルールブックが付属しており、そこには「公式ルール」が記載されていた。しかしそのルールにはデッキに同じカードを何枚まで入れてよいかという制限はなかったし、デッキ枚数は40枚以上であるべし、ということになっていた。

 その後、1993年の終わりごろに「Duelist Convocation」という組織が作られた(興味のある人のために付記しておくと、この組織こそが現在のDCIの前身だ。そう、DCIの「DC」はこれが由来だ。ちなみにDCIの「I」は「International」の頭文字から来ている)

 1994年の冬に Duelist Convocation が起こした活動の1つが、デッキ構築に関する公式ルールの発表だ。

 当時、熱心なマジックプレイヤーたちは独自にルールを作りそれを共有して遊んでいたが、それらは地域によって異なるもので統一はされていなかった。

 統一された構築済みフォーマットのデッキ構築ルールを初めて制定したのが Duelist Convocation だった。

 デッキの最少枚数は60枚と定められ、同一カードはデッキに4枚までと定められた。そして最初の制限カードリスト(訳注:デッキに1枚までしか入れられないカード)が発表された。

 当時はまだ禁止カードは存在しなかった。こうして初めての構築済みフォーマットが生まれた(ちなみに限定構築フォーマットであるシールド戦やブースタードラフトという遊び方は、非公式ではあったが多くのイベントでウィザーズオブザコースト社の社員によってすでに紹介されていた)

 ただ生まれた当時、このフォーマットの名前はタイプ1ではなかった。マジック構築(Magic Constructed)と呼ばれていた。もしくは縮めて、単に Magic と呼ばれていた。最初の1年間はそれで何の問題もなかった。

 しかし1年後の1995年の冬、ある非常に重要な出来事が起きた。ウィザーズオブザコースト社は、タイプ2と呼ばれる新たなフォーマットを発表したんだ(現在のスタンダードだね)。

 好きなカードを使えるのではなく、特定のセットに限定されたカード群の中からデッキを構築しなくてはいけなくなったんだ。それに伴い、すでに存在していたフォーマットはタイプ1と呼ばれるようになった。

 一夜にしてマジックの世界は2つに分かたれた。それに対する大半のプレイヤーたちの反応はいかばかりであっただろうか?

 私たちにはとても受け入れられなかったね。自分で持っているカードを使えないだなんて、なんでウィザーズにそんなことを決められなければいけないのか、とね(念のため。当時の私は普通のプレイヤー側の立場だ……ウィザーズの社員ではなくね)

 しかしウィザーズは方針を曲げなかった。そこで私たちプレイヤーもそれに従おうと努力した。正しく言えば、私たちプレイヤーの一部もそれに従おうと努力した。

 その他のプレイヤーたちはタイプ1で遊び続けた。それでどうなったか? いや、これがそれなりに上手く回ったんだ。確かにそれまでとは変わってしまったが、これはこれで面白かった。

 開発部がカードパワーの調整を学び始めたことで、タイプ2は多少大人しめなゲーム展開となった。それも悪くない、と思う一派もいた。

 ところが、こんなのは私たちの愛するマジックではない、と思う一派もこれまたいたわけだ。こうしてマジックの歴史における最初のプレイヤー間の分裂が始まった。

 そして時間が流れ、新たなフォーマットが次々と生じていった。

 タイプ1とタイプ2の隔たりがあまりに大きくなり過ぎたことで、それらを埋めるためのタイプ1.5(ほぼタイプ1だが、タイプ1の制限カードが禁止カードとして扱われるフォーマット)が作られた。新たな分裂だ。

 しかしタイプ1とタイプ2の隔たりはさらに広がり、そこに中間的なフォーマットを作る余地が生じた。こうして生まれたフォーマットがエクステンデッドだ。

 また新たな分裂だ。

 それと並行してリミテッド(開封したカードプールでそのままプレイするシールド、開封したカードプールから各プレイヤーが1枚ずつピックしていくドラフト)の世界にも変化があった。新たなプロツアーの誕生に伴い、それらも公式フォーマットに加わったのだ。

 さらなる分裂だ。

 1997年のプロツアーパリで登場したのは、これまたまったく新しいフォーマットであるブロック限定構築……というわけで、こうしてマジックプレイヤーという地図の境界線は1本また1本と増えていったんだ。

 かつて1つのゲームだったはずのマジックは今や8つとなっていた(タイプ1、タイプ1.5、エクステンデッド、スタンダード(タイプ2)、ブロック構築、シールド、ブースタードラフト、ロチェスタードラフト)。ちなみに私はまだチーム戦について触れていない。

 時計の針を現在に戻そう。

 タイプ1は今なお滅びずに存続しているが、当時の隆盛は見る影もない。今はただ、少ないながらも敬虔な信徒を従えるのみだ。


一難去ってまた一難

 最初に約束したとおり、私はこの記事でタイプ1のプレイヤーたちから送られてきた質問に答えたいと考えている。

 念のため付け加えておこう。この記事において私が説明したいのは主に2つだ。

 私たちが下してきた様々な決定がなぜなされてきたのかその背景を明らかにすること、そして、状況を改善するための対話を持つに際してどういった制限が課せられているのかを説明することだ。

 それでは君たちからの質問を取り上げていこう。


「なぜタイプ1の大会がほとんど開かれないのですか? また、規模の大きいタイプ1の大会がほとんど開かれないのはなぜですか?」

 初めに強調したいのは、この問題は開発部側の問題というよりどちらかといえば公式大会(Organized Play)の問題だということだ。しかしその上で、私の出来る限りの回答をしたいと思う。

 法人としてのウィザーズオブザコースト社がマジックのプロモーションに割けるリソースは限られている。

 おっと、説明が前後してしまうが、ここで私が用いる「タイプ1」という言葉が何を指すのかを明確にしておこう。

 私がここで取り上げているタイプ1は「公式大会のフォーマットとしてのタイプ1」だ。

 多くのプレイヤーにとって、タイプ1とは非公式のカジュアルなマジックを指す。タイプ1の禁止カードや制限カードを参照しつつも例外的に使用を認めたり、どんな古いカードでも(《サリッド/Thallid》でも《黒き剣のダッコン/Dakkon Blackblade》でも)使って良かったりする、そんなフォーマットを指してタイプ1と呼ぶ。もちろんそういうマジックを素晴らしいと思うし、そういうフォーマットでのプレイを私自身も楽しんだりしている。

 しかし公式な意味でのタイプ1とそれに対するサポートの話となると、公式大会に関するものになる。そこに顔を出すのは並外れたパワーを持つカードたちだけだ。このことをまず頭に入れておいて欲しい。

 さて、数あるフォーマットの中でどのフォーマットに注力するか、どこに多くリソースを割くか、それらを決定する際に特に注視する点は2つだ。1つは【人気度(Popularity)】、もう1つは【入手し易さ(Accessibility)】だ。


【人気度(Popularity)】

 1つ目は人気度(Popularity)だ。いざというときに意思決定を最も大きく左右するのは「プレイヤーたちは何をプレイしたいんだろうか」だからだ。

 もし「このフォーマットで遊びたい!」という君たちの声があれば、私たちもそれに応えるべく動くということだ。結局のところ、私たちは君たちに、つまりはプレイヤー全体にゲームを楽しんで欲しいと考えており、タイプ1(およびタイプ1.5)の話には、この1つ目の点が大きく作用してくる。

 正直に言おう。私たちの集めたデータによるとタイプ1はそれほど人気のあるフォーマットではない。

 私たちは毎年いくつの認定大会が開かれているかの記録をつけている。大会は大きく3つのカテゴリに分けて集計される。① 構築(スタンダード、エクステンデッド、ブロック構築)、② リミテッド(シールド、ロチェスタードラフト、ブースタードラフト)、そして ③ ヴィンテージ(タイプ1、タイプ1.5)の3つだ。

 以下が、過去5年間の大会数だ(なお数字は1000単位で丸めてある)

  年度 *1997 *1998 *1999 *2000 *2001
     ─────────────────────
   ① 11000 20000 20000 33000 47000
   ② *9000 19000 24000 31000 42000
   ③ *4000 *3000 *2000 *3000 *3000
  (訳注:各所に挟まっている * は桁数をそろえるためのもの)

 それぞれ①~③が各年度でどれだけの割合を占めているかを年度順に並べていくと「① 構築:46%、48%、43%、49%、51%」、「② リミテッド:38%、45%、52%、47%、46%」、「③ ヴィンテージ:17%、7%、4%、4%、3%」となる。

 ヴィンテージの大会数は占める割合が他に比べて小さいというだけでなく、その占める割合自体も年度を経るにつれて徐々に小さくなっているのが分かると思う(公平性の観点から付け加えておくと、このフォーマットに対する私たちからのサポートの少なさもまた減少要因の1つではあるが)

 そしてこの人気度という因子はタイプ1が抱える最も大きな障害であり……同時にタイプ1にとってのチャンスでもある。アンタップ状態のヴィンテージプレイヤー諸君。もしいるなら、ぜひ私たちに対して行動を起こして欲しい。

 地元の大会運営者に「タイプ1やタイプ1.5の認定大会を開いて欲しい」と頼むんだ。非公式のプレイでいくらタイプ1を遊んでもらっても私たちには響かない。
タイプ1の大会数のデータが増加を示せば、私たちにもこのフォーマットに確かなポテンシャルがあることが伝わるだろう。

 どう遊んでいるか、を伝えてくれることには意味がある。しかし、実際に遊んでいることを伝えてくれるのにはそれ以上の意味があるんだ。


【入手し易さ(Accessibility)】

 2つ目は入手し易さ(Accessibility)、つまりそのフォーマットを始めるのがどれだけ容易かだ。ゲームを始めるのに必要なものとしては大きく分けて4つある。時間、対戦相手と対戦場所、お金、そしてカードだ。

 最初の2つに関して言えば、タイプ1のハードルは比較的低い。1ゲームにかかる時間はそれほど長くないし、対戦相手も1人で済む。

 しかし3つ目と4つ目のハードルはかなり高い。

 おそらくカードの金額でいえば全てのフォーマットの中で最も高額と言えるだろう(念のため。戦略的に重要なカードの話をしている)。カード1枚で数百ドルかかることすら珍しくない。

 さらにそれらのカードは刷られた枚数自体も限られており、手に入る地域も限られている。つまり多くのプレイヤーにとって手に入れること自体が不可能に近いということだ。
(訳注) 原文ではこの箇所に「According to the latest issue of InQuest, the median value for these three cards combined is a whopping $950.00 US.(InQuestという雑誌の最新の記事によると、これらカード3枚の合計額の中央値はなんと950ドルだそうだ。)」と書いてある。おそらく元々の掲載時には高額なカードが3枚紹介されていたと思われる。

 毎年のマジックインビテーショナルの大会で、私はタイプ1相当のフォーマットで大会を開催している。つまり古いカードでも一律全て使用可能なフォーマットだ(もっと今年のインビテーショナルでは開催できないだろう。今年はマジックオンライン上で開かれるからね)。

 開催するたびに多くのプレイヤーから聞かされる不満は、これらのカードがいかに手に入れづらいかということだ。インビテーショナルに参加しているのはプロプレイヤーたちだ。つまり普通のプレイヤーよりもカードに触れる機会が多く、つぎ込む予算も大きいプレイヤーたちだ。

 そのプレイヤーたちが問題と感じているということは、一般のプレイヤーたちにとってはさらに困難に違いない。

 証拠とするにはいまいち具体性に欠けるかもしれないが、いずれにせよタイプ1が気軽に飛び込めるフォーマットではないことを示してはいる。俗にいう「敷居が高い」というやつだ。

 大きいものとしてこれら2つの理由(お金とカード)により、タイプ1というフォーマットを全世界的なイベント(全世界から参加者を募るような規模の大会で、という意味)で採用することは難しい。

 つまり、タイプ1の「プロツアー」は言うに及ばず、タイプ1の「グランプリ」の開催すら現実的ではないということだ。

 大規模なタイプ1の大会が絶対に開けないと言っているわけではない。しかし、かなりの数のヴィンテージプレイヤーたちがいることを示せる地域でなければ実現は難しいだろう。

 まとめると、タイプ1の大会が開かれない理由は、マジックプレイヤー全体(public as a whole)として見た場合にタイプ1を求めているという証拠(evidence)が得られないためだ。

 逆に言えば、もし求めているのであれば、ぜひそれを見える形でデータとして示して欲しい。タイプ1の認定大会がもっとプレイされることで、私たちもタイプ1により注意を払うようになる。

 とはいえ、プロツアーとグランプリに限っていえば、入手しづらさに加えて高額すぎるという現状がある限り、国際的な大会のフォーマットにタイプ1が用いられる可能性は低いと言わざるを得ない。

 しかし、これまた言い換えれば、プロツアーやグランプリ以外の形式にこそタイプ1の可能性があるということだ。そしてそれらの形式の大会をいかに現在タイプ1が多く遊ばれている地域で開催できるかがカギだ。


「なぜカードを再版しないのですか? なぜプロキシ(代用カード)は許可されないのですか?」

 前述にあげたように、タイプ1の普及の難しさの1つは値段にある、という説明に対して返ってくる反応は主に4つだ。1つ目としては私たちに同意してくれる声だ。まあこれに関して説明はいらないだろう。

 2つ目として、タイプ1はプレイするのにそれほど高額ではない、という声だ。しかしこれは事実ではない。主要なタイプ1のデッキリストをかき集め、雑誌で紹介されているシングルカード価格でデッキの総額を算出し、デッキ当たりの総額を示してもいいが、結果はすでに分かりきっている。

 この記事で私は君たちに正直でありたい。だから君たちもまた正直に答えて欲しい。タイプ1は高額なフォーマットか否か。もしあるプレイヤーが、よし明日からタイプ1を遊ぼう、と思ったときに貯金箱を叩き割る必要があるのかどうか。ある。これは事実だ。

 3つ目として、この問題はウィザーズ社が作った「一部のカードに関しては絶対に再版しないというルール(再版ポリシー)」を破棄すればそれで解決する、という声だ。タイプ1で必須とされる高額カードを再版すれば済む話だと。

 これはなかなかデリケートな問題だ。だからこそ、結論から言おう。

 再版ポリシーがなぜ存在するか。それは非常に重要な理由からだ。

 マジックはカードゲームであると同時にトレーディングカードでもある。ウィザーズオブザコースト社は、カードゲームとしてだけではなくトレーディングカードでもあるという約束事のもとでマジックを市場に売っている。多くの人々がすでに何千ドルとこのゲームに投資してくれているのは、私たちがポリシーを守ると信じているからだ。

 私のが「Making Magic」という記事を書いているのは、マジックというゲームは様々な人たちのために存在していることを知ってもらうためでもある。これは私の記事の重要なテーマの1つだ。

 その「様々な人たち」の中には、所持しているカードの価値を非常に重要視しているグループもいる(ちなみに割合として見たときに全体の中で決して少なくはない)。

 私たちはこのグループの人たちにも責任がある。その責任において、特定のカードの再版はできない。これは交渉によってどうにかなる話ではない。

 ただそれはそれとして再版可能な古いカードも多くある。トーメントとジャッジメントを見てもらえば分かるように、開発部も絶版となった古いカードを世に戻そうと努力している。

 開発部もまたマジックというゲームが大好きだからだ。

 開発部にはマジックが発売された当時から遊んでるプレイヤーもたくさんいる。中には世に出る前からマジックをプレイしているメンバーすらいる。つまり私たちもまた過去のマジックを今のプレイヤーたちと共有したいと思ってはいる。

 しかし、それでもなお越えてはならない一線が確かにある。

 そして金額的なハードルに対してよくある4つ目の反応として、プロキシ(代用カード)さえ認めてくれれば解決する、というプレイヤーたちの声がある。

 回答はシンプルだ。

 マジックは以下の2つのために存在している。

 その1。マジックは偉大なるゲームだ。個人的には最高のゲームだ。そして開発部は純粋なゲーム好きの集団としてもそれを存続させる義務がある。

 その2。マジックはウィザーズ社およびその親会社ハスブロの製品であり収益源だ。この2つ目をなくして1つ目は意味をなさない。

 もし私たちがプロキシを認めたら、行きつく先は望まぬ終着点だ。多大なる混乱が待っているだろう。シングルカード市場への影響もある(この分野も私たちは気にかけているよ。ただ今日は掘り下げるのはやめておこう)

 しかし何より問題なのは、プレイヤーの購買量がただちに減少することだ。それは私たちにとって望ましい事態ではないし、長期的な視野にたてば、君たちにとっても望ましい事態ではない。

 収入が減るということは、ゲームにつぎ込める予算が減るということであり、大会の開催や公式サイトに費やせるお金が減るということだ。私はいつも「ゲーム会社」の「ゲーム」の部分についてばかり語っているが、実際のところ「会社」の部分も同じくらい重要だ。

 まとめると、タイプ1のカードを再版すること、およびプロキシを認めること、これら2つはいずれもウィザーズ社の特定の面を直撃する。

 私は今日の記事でオープンに議論したい、と書いた。他の分野については議論の場を設けることが出来る。しかしこれら2つについては無理だ。再版とプロキシに関しては議論の余地がない。


「なぜあなた方はリチャード・ガーフィールドが思い描いた未来から遠ざかろうとしているのですか?」

 私はこれに類する苦言を本当に何度となく聞いてきたので、手っ取り早く解決することにした。答えを知っているであろう人物に直接聞いてきたよ。

 「リチャード、開発部は君の思い描いた方向から外れていってるかい?」
 「いいや?」

 マジックは常に進化を続けるゲームとしてデザインされた、未踏の地を歩み続けるゲームだ。他の伝統的なゲームと一線を画する点は、変幻し続けるメタゲームがプレイヤーに新たなる適応を求め続ける点だ。今日、君が学んだ戦術は、明日には役に立たないかもしれない。

 この揺らぎがゲームを常に目新しいものにしてくれる。だがそれは同時に、マジックは過去の常識を置き去りにし続けるようデザインされたゲームであることを示している。

 問題は、プレイヤーが変化を好まないことだ。人間は習慣の生き物であり、根本的に変化を避ける生き物でもある。

 絶え間ない変化を続けるゲームにおいては、特定のプレイヤーが好む側面から遠ざかる瞬間があることは避けられず、またそのことに傷つくプレイヤーがいることも避けられない。

 開発部では広く知られている格言の1つに「プレイヤーは常に最初に遊んだセットを好む」がある。最初に触れたセットは必ずそのプレイヤーにとって特別なセットだ。

 マジックの魔法に初めて触れた瞬間だからね。

 そして多くのタイプ1プレイヤーにとって、それはアルファ版だ。

 私の考えでは、タイプ1プレイヤーは誤った認識からアルファ版を優れたものだと信じているように思われる。

 リチャード・ガーフィールドはデザイナーとして素晴らしい決断をいくつも下し、何枚もの素晴らしいカードが生まれた。それは事実だ。アルファ版には多くのパワーカードが含まれている。それも事実だ。しかしそれを持ってしてアルファ版は素晴らしいのか? 

 いいや、そうではない。アルファ版の素晴らしい点は個々のカードにあるのではない。リチャード・ガーフィールドがそこで表現した全体像そのものが素晴らしいんだ。

 個々のカードごとにリチャードが選択した何かではない。ゲーム全体の持つ柔軟性、それによってデザイナーたちが常に異なる選択をし続けることができるという点なんだ。

 アルファ版が持つ美しさとはこのゲームの持つ哲学そのものだ。アルファ版と(もしくはレジェンド、リバイズドなどなど君の好きなセットと)イマイチ違うから、という理由で昨今のセットを拒絶すること、それ自体がリチャード・ガーフィールドの思い描いた未来から外れることだ。

 マジックは生き物だ。今まさに目の前で成長を続ける子供だ。去年までの赤ん坊の姿と見た目が違うからという理由で突き放すべきじゃない。


 私はデザイナーとして過去から学ぶことを強いられている。過去の成功を、そして過去の失敗をだ。その上で、異端者となじられる覚悟で言うが、アルファ版は決して完璧ではない。欠点だっていくつもある。

 これを最初に認めたのはリチャード・ガーフィールド自身だ。

 当初のルールにはチーズみたいに大量の穴がある。フレイバーとまったく沿っていないカードもある。過去に存在したどのセットよりもカードパワーはアンバランスだ。じゃあこれらの欠点が理由でアルファ版は駄作と言えるのか? もちろんそんなことはない。

 アメリカ合衆国憲法だって素晴らしい文書だが完全ではない。

 今では多くの人が、奴隷だからという理由でその人が他の人の60%の価値しかないなどとは思わないし、裕福な地主の白人男性しか選挙権を持つべきでないなどとは思わない。しかしそれでもなお、偉大なる理想を示そうとした合衆国憲法が色あせることはないんだ。

 そもそもリチャード・ガーフィールドが当初想定していたプレイ環境から現実が大きく乖離してしまった、ということは記しておくべきだろうね。

 当初の想定では、プレイヤー1人当たりブースター15個くらいしか購入しないだろうと考えられていたし、カードのトレードも身内のグループ内でしか行われないだろうと思われていた。

 もしこの想定が正しかったなら、《Ancestral Recall》や《Mox Sapphire》といったカードも問題のあるカードとはみなされなかっただろう。

 勘違いしないで欲しいが、私はアルファ版を愛している。私が最初に触れたセットであり、最高のセットを決めるなら常に上位に来るにふさわしいセットだ。しかし完璧ではない。完璧だと信じるがゆえにそれが最高だと考えているならば目を覚ますべきだ。

 ただ同時に1つ言っておこう。もし私がタイムマシンでアルファ版が生まれた時代に戻り、カードを好きに変更できる権利を得たとしよう。どうするか? 何一つ変更しないだろうね。

 なぜか?

 なぜならアルファ版はマジックというゲームが生まれた瞬間にあるべき姿だったからだ。まとまりがなく、混沌としていて、たまらなく楽しいセットだった。当時のマジックに関する思い出は最高に楽しいものばかりだ。

 しかし現在のマジックは1993年のマジックではない。マジックのプレイヤーたちは知識を付けた。マジックというゲームをずっと深く理解している。

 カードの組み合わせから何を得られるかを解読するのにかかる時間はずっと短くなった。マジックというゲームがどう機能するかにおいて公式大会の影響は無視できなくなった。バランスを欠いたセットで楽しめる環境ではなくなった。

 アルファ版がもし今そのまま発売されたとしても、プレイヤーたちがそれを楽しむことはとても難しいだろうね。

 在りし日からの変化を嘆くタイプ1プレイヤーは、今やマジックは9年前のマジックとは違うゲームなのだということを理解すべきだ。そしてそれは悪いことじゃない。幼かった子供は成熟し、それによってまた新たな面を見せてくれているのだからね。

 それに私は決して在りし日のマジックを忘れろと言っているわけじゃない。マジックの歴史はマジックを構成する重要な側面の1つだ。

 このゲームの最も熱心な歴史研究家の1人として(そしてトリビア好きの1人として)、ゲームの素晴らしい歴史をまだそれを知らぬプレイヤーたちに共有していきたいと思っている。

 ただそれはあくまで思い出話としてあるべきものなんだ。

 タイプ1の楽しさは、過去を現在とつなぐことができる点にある。子供の成長の過程を順繰りに懐かしく思い出すことができる。しかし子供は成長し、変わっていく。その変化を否定することは、その子自身を否定することにほかならない。


「なぜタイプ1向けのカードをデザインしないんですか?」

 この質問に対する回答は、私がタイプ1のメタゲームを追わない理由と深く関係している。タイプ1のメタゲームに影響を与えるために私がデザインの分野で出来ることはほとんどない。何しろ新たなセットがリリースされるごとにタイプ1のパワーレベルは上がっていくんだ。
(訳注) 原文ではこの箇所に「Competitive Type 1 matches resemble rogues galleries of the most powerful cards in the game’s history.(公認大会で結果を残すタイプ1デッキのリストと過去に存在したぶっ壊れカードのリストの2つに大した違いはない。)」と書いてある。おそらく元々の掲載時にはタイプ1のパワーカードが紹介されていたものと思われる。

 これが何を意味するかというと、セットがリリースされるごとに「タイプ1に影響を与えつつスタンダードのバランスを崩さないようなカードをデザインすること」はより難しくなっていくということだ。

 デザインすることが不可能とは言ってない。しかし私が割けるリソースにも限りがあり、何に注力するべきかは選ばなければいけないんだ。

 例えばスタンダードのメタゲームに関する情報は、ゲームの舵をどちらに向けるべきかの助けになる。特定のブロック構築環境を精査して得られる情報は、未来のブロックのデザインに大きな影響を与えるものだ。

 繰り返すが、タイプ1と親和性を持てるように私のデザイン力を高めることもできなくはない。ただそれには君たちの助けが必要だ。

 単刀直入に言おう。

 現在のタイプ1に欠けているものが何か? 現在のタイプ1をかき回してくれそうな、かつ現実的に作成可能なカードとはどのような感じなのか? 君たちの考えをメールで教えて欲しい。

 おっと念のために書いておこう。決して「こういうカードはどうですか」という個々のカードの意見を求めているわけではない。タイプ1により良い影響を与えるために私が掘り下げるべきエリアが知りたいんだ。

 タイプ1の未来に君の足跡を残したくはないか? 今がそのときだよ。



 タイプ1という環境は1つの記事で扱うにはあまりに大きすぎるネタだったが、全力は尽くした。君たちも記事を読む前よりはタイプ1を変えるために何が出来るかが見えてきたんじゃないかな。改善する余地のある事柄、そして議論の余地のない事柄を君たちに示せたつもりだ。

 それにもちろん私のメールボックスの門戸は常に開かれている。タイプ1に関することで(もしくは関しないことでも)何か伝えたいことがあればいつでもメールを送ってくれ。常々言っているように、すべてに返信することはできないが、必ずや全てのメールに目を通すことを約束しよう。


 最後は2つの前向きな話題で締めたいと思う。1つ目として、タイプ1に関する記事が少なすぎるという皆からの意見については私も同意だ。どうすれば公式サイトにタイプ1関連の記事を増やしていけるのかを考えたい。

 2つ目として、以前からウィザーズ主催によるタイプ1の選手権(Type 1 Championship)を年1回で開催してみてはどうか、という議論があった。これがどれだけのプレイヤーの興味を引けるのか、皆からアンケートをとりたい。ぜひ回答してくれ(註)。


 さて、今週はここまでだ。来週は私の好きなクリーチャータイプについて語ろうと思う。ヒントは《樫の力/Might of oaks》に何のイラストを描いて欲しいかの指示を出したのが私だということだ(註)。楽しみにしていてくれ。

 それまで、君の初手に《Black Lotus》が来るよう祈ってるよ。

(註) アンケート
 次週のコラムの冒頭でアンケート結果が紹介されていた。アンケート結果に関連する箇所だけ以下に紹介しておく。

Squirrel of My Dreams
原文URL:http://magic.wizards.com/en/articles/archive/making-magic/squirrel-my-dreams-2002-07-22

 さて面白おかしいリスの世界に飛び込む前に、先週の話題の続きだ。まず最初にアンケート結果をお見せしよう。先週、タイプ1選手権(Type 1 Championship)に興味があるかどうかを聞いてみたが、結果は圧倒的な「はい」だった。

   問い:タイプ1選手権を開催すべきか?

     はい  3,428票 75.6%
     いいえ 1,106票 24.4%

     計:4,534票

 公式大会の運営はタイプ1選手権の開催を約束してくれた。会場は来年のオリジンコンベンションとなる予定だ。
 さらに、運営は今年のシドニーでの世界選手権でタイプ1のサイドイベントを開催することも約束してくれた。しかも今年に限らず今後のプロツアーでもタイプ1のサイドイベントが開催されるそうだ。
 さらにさらに、公式サイトのSideboardもタイプ1の競技マジックに関する記事を定期的に掲載してくれると約束してくれた。タイプ1の記事を楽しみにしていてくれ。

 また、先週以降、タイプ1を憂慮するメールを大量にもらった。多くの投稿が(もちろん約束通り全てに目を通してるよ)、このフォーマットに対するプレイヤーたちの熱狂を強く訴えかけてきていた。
 それに加えて、タイプ1のためにどんなデザインの余地が残されているかについてたくさんの良いアイデアをもらえた。いくつかについてはさっそく次のセットであるベーコン(2003年の秋に発売予定のセットの仮名)に使えないか検討中だ。

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