《ヴォーパルス戦記譚》 第2回:100年のレシピ
2012年7月28日 ヴォーパルス コメント (2) 「ヴォーパルスを1人プレイしてみてそこから浮かび上がった物語を文字に書き起こしてみよう」という誰が得するのか謎な企画の第2回目。その他、詳しいことは以下の第1回目を参照のこと。
《ヴォーパルス戦記譚》 第1回:虚飾の王の物語
http://regiant.diarynote.jp/201206102238015544/
《ヴォーパルス戦記譚》 第2回:100年のレシピ
ここは街道沿いの宿屋。遠路を旅する行商人たちが持ちよった噂話を互いに披露する場でもある。そしてもっぱらの話題は、やはりどうしても同じところに行きつくのだった。
「ついに皇帝陛下が崩御されたか。もう何年も病床にあられたが」
「100年の戦乱か。まさか俺たちの代に始まるとはなあ」
「今この瞬間に領主を務められている方々がこれからの100年を争われるのか」
宿屋の食事どころで交わされる噂話の大半は、大なり小なり変わらぬ内容のものばかりだったが、とあるテーブルの一画に陣取る行商人たちだけは少し違った。戦乱の始まりとあらたな商売の種をどこか興奮したように語る周囲の熱気とは裏腹に、どこか沈みがちな空気をまとっているのは、この領地に住まう行商人たちであった。彼らは、この地の領主を知るものたちだった。
「ついに皇帝陛下が崩御されたか。いつ亡くなるかは時間の問題とは言われていたが」
「まさか私たちの代に……いや、今のこのときに亡くなられるとは」
「先代の領主様も決して争いごとに長けた方ではなかったが、それでもな」
皆が思い浮かべているのは間違いなく同じ人物ではあったが、それでもなお、口に出して確かめてしまうのは現実が眼前に迫るようでためらわれた。しかしついに1人が勢いよく手持ちのジョッキの中身を喉に流し込み吐き捨てるように呟いた。
「それでもあの胃袋から先に生まれたような姫様よりかはマシだったろうよ」
その言葉に周囲も次々に不安げな言葉を連ねる。
「御幼少のころは食いしん坊なところも愛嬌ですんだが……」
「皇帝陛下の病状をお聞きになられても何を心配するでもなく、各地の珍味と銘酒の書物を集められていたそうな」
「いやいや、それだけでなく各地の名だたる料理人を漏れなく調べるよう命令が下ったとも聞いたぞ」
「今このときも隣国の名産品を買いあさっているくらいだしな」
「お前のとこの貨物も食料か。うちもだ。前線の兵たちが戦いもせずに集めた食料ばかり」
バンッ!
ジョッキを叩きつける音にテーブルが静まり返る。最初の口火を切った男が、集まった仲間の行商人たちの視線の先でにやりと笑った。
「姫様が100年の定めにつかれることが決まったとき、なんと言ったか知ってるか?」
皆をじらすように沈黙を楽しんでから男は笑った。
「100年後の珍味が食せるとな、だそうだ!」
話した男は、笑いが起きることを期待したようだったが、それに対してそのテーブルの行商人たちは沈黙の中、顔を見合わせるばかりだった。周囲のテーブルの喧騒がやけに大きく耳をうつ。そんな中、空気に耐えかねたように1人がカウンターへと席を移す。グラスを磨いていたバーカウンターの店員がちらりと男を見た。
「何を飲みますか」
「強けりゃなんでもいいよ」
投げやりにそう答える男に店員が酒を渡しながら話しかけた。
「前線からのお帰りですか」
「そうだよ……いや、前線っていうかなんていうか……ありゃあ……」
敵対領地と接する前線には食料豊富な森と平原が広がっている。今までこの地帯は国境の緩衝地域として不可侵の盟約が結ばれていた。しかし今回の皇帝の崩御で100年の戦乱は始まり、全ての休戦協定と盟約は力を失った。次の支配者が決まるまで、それらは失われたままになるだろう。
男は、前線へ向かうときの領主側からの依頼を思い出す。国境沿いに点々としている陣地を回って、兵士たちが集めている食料と木材を回収してくるように、という1つ目の依頼には特に疑問を覚えることはなかった。しかし、その次に依頼された内容は、思わず聞き間違えたのかと問い返してしまった。
「は? 置いてくるんですか?」
「そう言ったはずだ。ここにある隣国から仕入れてきた珍味を前線に置いてくること」
領主側から派遣されてきた男は部屋に積まれている木箱を指し示した。
「いや、まあ向かうときはほとんど荷物なんてないも同然ですから構いませんけど……」
「依頼を受ける気がないなら構わんぞ。行商人はお前だけではないからな」
領主の配下の不機嫌な様子に、それ以上の質問はためらわれた。仕事は仕事と割り切り依頼を受け、すでに一部では隣国との衝突が始まっていると言われている前線へとおっかなびっくり仲間と馬車を進めた。そこで男が見たのは予想とは違う風景だった。
そこで繰り広げられていたのは戦争ではなく狩りだった。皮肉めいた意味ではなく本当の意味での狩猟だった。兵士とは名ばかりの狩人たち。そして森に住まう亜種族である森の子供たち。彼らは日がな一日、ウサギや鹿といった獲物を追いかけたり、木々を切り倒して木材に加工したりしていた。
依頼通り、各地の珍味が納められた木箱を渡して、かわりに燻製肉や森の果実、それと木材が受け取られて、空いた荷台へと積み込まれた。出発する前の晩、狩人や森の子供たちとたき火を囲んで簡単な宴を開いてもらったのを商人は思いだした。そのときに初めて領主からの奇妙な依頼の理由も知った。
たき火の中でパチパチと薪がはぜる音がする。酒も回り始めて、商人たちと狩人たちのあいだにも少し気安い雰囲気が生まれつつあった。
「どうせだ、少し、俺たちにもあの珍味とやらをご相伴にあずからせてくれよ」
「いやいや、申し訳ないがそれはできないよ」
なんだ随分とケチくさい奴らだな、という思いが表情に出てしまったらしい。相手の狩人は複雑な笑みを浮かべてこう言った。
「我々も手をつけることは許されていないんだからな」
「は? なんだって?」
「なんですか、聞いてないですか?」
ここで今まで黙っていた森の子供たちが会話に入ってきた。
彼らは一見すると人間の子供のようにしか見えず、そのため人間たちは彼らを「森の子供」と呼んでいる。しかしそれは外見だけの話で実際はれっきとした大人だ。猛獣から隠れ潜む森の生活に適用するため、必要以上の肉体の成長を閉じてしまった種族。そのかわり、猫のような夜目と犬のような嗅覚を生まれながらにして持っている。
彼らの世界には貨幣は存在しないが、人間との交流の際に必要な金貨を稼ぐために、ときの領主に雇われて働くこともある。それでも人前に姿を現すことは珍しく、行商人の男も実際に言葉を交わすのは初めてだった。
「私たち、食べること、あれを許されてないです。私たち違います」
「何が違うって?」
行商人が森の子供たちの癖のある言葉遣いに困惑していると、狩人があとを続けた。
「俺たちのためのものじゃないんだよ、あれは」
「嘘つけ、じゃあ誰が食べるんだよ」
「敵さ。隣国の兵士たちだよ」
予想どおり当惑している行商人の様子に苦笑しつつ、狩人は説明を続けた。
「まあ、なんだ。見ての通り、俺たちも森の子供たちも戦闘に長けているわけじゃない。隣国の正規の兵士たちが来たらひとたまりもないんだ。だから基本的には敵の姿を見かけたら逃げていいと言われてる。それでも捕まりそうになったら、あれを差し出して許しを請えとさ」
夜の暗闇の中、少し先に白く浮かんでいる天幕を振り返る。そこには行商人たちが運んできた例の木箱が納められているはずだった。
「山岳地帯から攻め入ってきた兵どもには海の幸、平野から攻め入ってきた兵どもには山の幸を気前よく振舞ってしまえ、だそうだ。久しく戦争もなかったし、慣れてない相手方も無駄な戦闘で命を落としたくはない。今のところ、戦死者は出ていないよ。ああ、もちろん狩りで命を落とした奴は別だがね」
結局いつもとやってることは変わらないよな、と狩人は周囲の仲間たちや森の子供たちとうなずいていた。行商人はたき火に照らされる彼らを眺めて、100年の戦乱とはこんなものなのか、聞いていた話と随分と違うものだな、と合点がいかないながらも理解した気になっていた。
その後、彼を含めた行商人たちによって前線から領主のおひざもとまで運ばれた食料と木材を用いて、盛大な祝宴が開かれた。領主によって近隣の領地へも派手に招待状をばらまかれ、珍しい料理と若い女性の領主を目当てに集まった人々で祝宴は大盛況のうちに幕を閉じた。
招かれた隣国の領民と領主たちは、少女と見まがうような若い女領主が能天気に口元を汚しながら料理を頬張る姿に微笑みつつも、内心は嘲笑い、この国も長くはないと共通した感想を抱いた。
照りつける太陽の下、酒場のテラス席で老人はジョッキをかたむけていた。港から潮の香りがただよってくる。老後に住む場所としてこの港町を選んだのは間違いではなかった、と行商人だった老人は辺りを見渡した。
食材と材木を領地の右へ左へと運んでいるうちに、他の領地へはほとんど出向くこともなく、25年はあっという間に過ぎた。そんな中、伝聞で知らされる各地の激しい戦争の噂は、不思議と平和なこの領内ではいまいち実感をともなわないものだった。そしてコツコツと貯め込んだ金で引退を決意し、仕事も道具もすべて息子夫婦に引き継いだ行商人と妻が老後の住処に選んだのは、領主の住まう中央から流れる川が海へと辿り着く港町だった。
今日も多くの人と荷物が賑やかに行き交っている。敵国も同盟国も問わず、各地から集められ運ばれてくる珍味佳肴は、その一部をまた別の地へと売りつけるべく船に積まれ、また一部はこの領地で消費されるべく陸路で運ばれる。それらを目当てに訪れる旅行者が祝宴に落とす外貨でこの国は今日も潤っていた。
しかし最近、見慣れない人と荷物が街中を行き来し始めていた。ぼんやりとそれを眺めていた老人は、手の空いているバイトの少年を手招きした。
「最近、なんやら重たげな荷物が港に運ばれているようだな」
「ああ、あれですか。姫様がまた何か新しいことに興味をもたれたそうですよ」
どこか呆れたようなそしてどこか嬉しげな様子は、この領地に住まうものが自分達の領主を語るときに共通して見られる特徴だった。行商人だった男も例外ではなく相手の言葉に孫のいたずらを聞かされたときのような笑みを浮かべた。
「腹がくちくなったら、次の道楽かね。いったい何を始められたのやら」
「しばらく前ですけど、何やら各地の不思議な話がたくさん書き記された書物を手に入れられたらしいです。異国の奇妙な動物や世にも珍しい品々。それらが本当なのかどうか、冒険家を雇って調べに行かせたとか」
「何か見つかったのかね」
「さあ? 冒険家はまだ帰って来てはいないそうですけど、書物に書かれていた火にくべても燃えない毛皮とか、瑠璃や宝石がたわわに実る大樹とか、そういったものを手に入れるべく港では交易船を仕立てているそうです」
なるほどうちの姫様らしい話だ、と老人は微笑んだ。
「まあ、ほら話でもなんでも、姫様の好奇心が満たされればそれでいいさな。飯は美味いし、姫様は綺麗で、我が領地に憂いなしだ」
同意を求めるように老人は少年にチップを手渡しつつ、空のジョッキも押しやってもう1杯とビールを注文した。笑顔でチップと注文を受け取ったボーイは忙しくなってきた酒場の中へ戻っていった。
ほとんど早朝とも言える深夜まで目まぐるしく働き、ようやく仕事を終えた少年はあとに残る同僚への挨拶もそこそこに、次の仕事のために港へと急いだ。細い路地をいくつも曲がり、木箱の陰に目立たぬよう備え付けられた木戸を音も無く通り抜ける。港でも特に人気のない地域にある倉庫の裏に回り、開閉式の小窓のついた頑丈そうな扉を奇妙なリズムで叩く。小窓が開き、感情のない目が少年を見降ろした。抑揚のない声でその相手が問う。
「人と化け物の共通点は?」
「どちらも飢えれば死ぬ」
小窓が閉じ、扉が開く。軽い足取りで中へと足を踏み入れた少年は、扉のすぐ裏側にいた覆面の男に手を振るとさらに奥へと急いだ。到着した小部屋には窓はなく、数少ないランプに照らされた室内には年恰好もよく分からぬ何人かの人影がテーブルを囲んでいた。少年が空いている最後の椅子に腰を下ろすと、テーブルの端から低く抑えた声が上がる。
「そろったかの。では始めよう」
「じゃ、僕からでいいですか? 酒場での仕事は滞りなく進んでますよ。お客さんたちはみんな、港で行き交ってる船は食べ物を運んでるか姫様の為にありもしない珍しい品々を探しに出かけてると思ってます。いや、思わせてます、かな」
「商店街も同じく。船着場に並べられているのが密輸船だと勘づいてる者はおりません。冒険家が雇われたのも、おとぎ話のたぐいを確かめるためだったと信じてますね。ああ、そうそう、そしてほら話を持ち帰ってきて姫様がそれで満足しているとも」
「はっ。それはいい。うむ、それでいい」
初めに言葉を発した人物が低く笑ったが、それを特に気にしたものはいなかった。その後も報告は続き、今後の指示が割り振られたところで、参加者は影に溶け込むように1人また1人と部屋から退出していった。後に残ったのはテーブルの端に座っていた小柄な人影。
そこへ後ろの扉から実直そうな白髪の老人が現れた。体にぴったりとあったスーツは派手さはないが明らかに値の張る品だった。彼は手にした書類の束をテーブルに置き、手早くそれらをいくつかの山に取り分ける。
そのあいだに、前に座っている人物は目立たぬよう喉に巻いていた布を外した。声色を変えるために喉を圧迫していたそれを煩わしげにテーブル中央へ放り、声を通すべく小さい咳払いを繰り返す。
ようやく人心地ついたところで手元の暗さに気づき、後ろの老人に部屋の明かりを動かさせた。ランプに照らし出されたのは、少女と呼ぶには大きいが成人には至っていない、そんな女だった。彼女は取り分けられた書類の束の1つを手に取った。
「食料は順調に売れているようだな」
「はい。代価の鉱石も滞りなく届いておりますし、各地から届く名産珍味もご指示のとおりに」
「これまでの投資が実を結んだか。景気よくばらまいてきたからの。ほうぼうの奴らの舌も肥えてきた頃合いじゃて。山には海の幸、平野には山の幸。知らぬ快楽を教えてやった甲斐があったというもの」
「姫様の狙い通りですな」
「分かりきったことよ。人も化け物も食わねば死ぬのだ」
そう呟きつつ別の書類の束を手に取った彼女が顔を上げた。
「ああ、そうだ、化け物と言えば」
「はい。アレの捕獲はすでに完了しております」
「では、他国の軍どもに、我が領内で好き勝手してもらった礼をしなくてはなるまいな」
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数日後、波止場の輸送船から小屋ほどもある巨大な箱が厳重に鎖で封印されたまま降ろされ、領主の元へと運ばれていった。遠い海で捕獲された巨大な珍獣が姫様に献上されたとか、並走する馬車の中には姫様ご本人がいらっしゃったとか、好き勝手な噂が流れたが、結局は、七色に輝く果実の生る果樹をその根を張る大地ごと姫様が所望なされたらしい、というところに落ち着いた。酒場で、商店街で、工房で、そうに違いないと訳知り顔で述べる者たちがいたことは言うまでもない。
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前線から呼び出された狩人は応接間で待たされながら、初めて招き入れられた領主の館があまりに聞いていた噂と異なることに驚きを禁じ得なかった。そこには、贅沢の粋を極めた華美な装飾がほどこされ、異国の奇妙な調度品の数々がところせましと並べられ、毎夜のように豪奢な饗宴が催されているはずだった。
しかし長いこと馬車で揺られた先に辿り着いたそこは、確かに大きな館ではあったが周囲の伝統ある家々と同じ作りに地味で古めかしく、調度品の数々は同じ領内の名のある絵師と工芸家の作品が並んでいるようだった。
「すまぬ、待たせたな」
そこへ奥の扉から若い女性と白髪の紳士が入ってきた。女性は優美なドレスなどではなく、動きやすそうな袖の短い作業着を身につけており、そのたくさんのポケットからはペンやら定規やらが突き出している。
この館で働く女中の1人だろう、やはり姫様ご本人に直接お会いできるなどということはないか、と狩人が一人で合点していた。そのため、相手が領主本人であることを名乗ったときには仰天した。
「お目にかかれるとは思っていませんでした……ありがたき幸せです」
「言うな。お前たちに苦労をかけていることは重々承知の上だ。前線はもう戦乱初期の手探りだった頃とは変わってしまったはずだ。安寧の中で生まれた、奪うことと殺すことへのためらいを他国の兵士どもはすでに乗り越えた頃合だ」
確かにその言葉は正しかった。戦乱当初の不慣れな攻めは度重なる他国との戦闘の中で研ぎ澄まされ、最近ではただ逃げ切ることすら困難な日々が続いていた。それは、1つの時代の節目が終わり、また1つ時代が進んだことを感じさせた。
「お前たちの中にも犠牲者が出始めている。次の一手が遅れた。私の不手際だ。すまない」
深々と頭を下げる領主に狩人は慌てた。
「もったいないお言葉です。頭を上げてください」
「ああ、下げて救えるならいくらでも下げるこの頭だが、その通りだな。使ってなんぼのものだ。ようやく探していたものが手に入った。ところでつかぬことを聞くが、前線にはまだ食料は足りているか?」
いきなり転換した話題に少々とまどいつつも狩人は、前からの指示にあったとおり前線の狩人たちは食料をきちんと蓄えていること、また後衛に回った森の子供たちから送られてくる食料もあることを報告した。その言葉に領主は満足そうにうなずく。
「よろしい。私の言いつけは守られているようだな。ではこれからお前のあらたな部下となるものを紹介しよう。ついてこい。この部屋で引き合わせるには少々図体がでかすぎる奴でな」
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数台の馬車で牽引される小屋ほどもある木箱は厳重に鎖で封印されたまま、がちゃがちゃと街道を運ばれている。そのすぐ後ろを走る荷馬車の上を荷物と一緒に座りながら、視界を占めるそのまがまがしいまでに巨大な箱を緊張の面持ちで狩人は眺めていた。姫様ご自身からの指示は、起きているあいだずっと脳裏を離れない。
「前線についたあとのお前の仕事は1つ」とバルコニーから中庭に横たわる巨大なワームを見下ろしつつ、恐怖と驚愕に身を凍らせている狩人へ姫が告げる。「ゆめゆめ食料を絶やさぬことだ。後衛からも存分に供給するが、お前たちの仕事は戦うことではない。いいか。餌を絶やさぬことだ。肝によく銘じておけ。さもなくばその肝ごと喰われるぞ」
しかし恐怖に動けなくなりそうな狩人の心に、ふっと加わる暖かさもまた彼の姫様の残した言葉だった。応接間で去り際に彼を呼びとめた領主は、少しためらったあと苦笑まじりに彼に頼みごとを残した。
「驚いただろうな。もっと可愛らしい姫君の噂を聞かされているはずだ。美味い料理に舌鼓を打ち、珍しいものを集めることに目がない、そんな女らしい姫の噂をな」
「いえ、ああ、確かに驚きはしました。こんな聡明な方だとは存じあげませんでした。しかし、安心しました。この領地に生まれついたことを誇りに思います」
「うむ。それなんだがな。内緒にしてはくれんか。こんな女っ気のない領主のことは皆は知らんでいい。出来れば、口元に食べ残しをつけたままの姫に会ったと……噂にたがわぬ食いしん坊で可愛らしい姫様だったと皆に伝えてくれ」
ここでいたずらっぽく微笑んだ彼女の笑みが浮かぶ。
「私も女なんでな」
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書斎で本の山に埋もれながら調べ物をしていた領主はふと顔を上げて壁のはるか向こうにあるはずの前線を見やり、誰にともなく呟いた。
「上手くいったかの」
「どうでございましょうな。十分な食料を与えたワームは訓練された騎士団を2つ合わせたより強いと申しますが、そこまでの食料を供給できるかは怪しいかもしれませぬ」
真剣な顔でそう述べる背後の執事に、彼女は呆れた顔で振り返った。
「そっちではない。最後の口止めだ。まだ本性を喧伝するには時期尚早。外見だけなら娘ほども離れているからには情に訴えてみるのが得策と考えたが、はてさて上手い事、乗ってくれたかどうか」
「私は直接会われることに反対したはずです。初めて前線へ狩人と森の子供を送り込んだときのように、指示を伝えるだけなら直接お出になる必要はありませんでした」
彼女に面と向かって意見できる唯一の臣下である執事が冷然と告げる。
「大体からしてバルコニーとはいえ近すぎるくらいです。その身は姫様1人のものでないということをいつになったら分かってくださるのか。確かに十分な食料を与えてはありますが万が一ということも」
いつものように長々と終わることなく続きそうなお小言をさえぎるべく振りむいた彼女の顔には、滅多に見られない寂しげな笑みが浮かんでいた。
「直接会いたかったんだ」
何かをこらえるように視線を外す。
「私のために死んでくれと頼んだ相手の顔を見ておきたかったんだ」
執事は慰めるでも淡々と事実を述べた。彼は自分の仕事を心得ていた。
「死ぬと決まったわけではありますまい。前線では重傷者は出ておりますが、まだ死人はでていないとの報告を受けております」
「だが時間の問題だろう。次の一手だ。早急に打たねばなるまい」
真剣な顔で、机の上にある冒険家の残した記録書をにらむ。彼女の命に従い、冒険家が世界の各地を調査して回った旅の報告書だ。まだ手のつけられていない鉱脈の眠る鉱山、人里離れた辺境の生物や植物。とにかくこの戦乱を乗り切る助けとなる情報であればなんでも欲しかった。それが冒険家1人の命と引き換えになるとしても。
旅の時計職人から手に入れた不思議な力を持つ懐中時計。前の戦乱でも1人の冒険家の命を絞り取ったという奇聞を伝えたとき、目の前の冒険家は臆するどころか目を輝かせていた。数十年経っても変わらぬ同じ顔で帰還した冒険家は、遠い地で彼が体験したあらゆる事柄を嬉々として語った。
最後に報告書と懐中時計を手渡した彼は、時間を早回しするように急速に老い、その場で骨と皮となって息絶えた。人ならざる時間を過ごした者のその末路は、まるで100年の定めを負う者の行く末を暗示するかのようだった。心臓が凍るような冷たさを覚えた。
暗い考えを振り払い、あらためて冒険家の報告書に目を通す。内政は上手く回している自信があった。しかし戦況は激化の一途をたどっている。戦乱はすでにその年限の半ばを過ぎ、どの領主も兵力の充実させるべくやっきになっていた。
前線へ送り出したワームが今はよく持ちこたえているが、老齢化する狩人たちをいつまでも前線にいさせるわけにはいかない。またひそかに敵兵力の妨害工作を支援してもらっていた冒険家もすでにいない。長年の計画はまだなんとか軌道から外れずにいるが、それもいつまでもつか。
「さて、どうしたものかな」
こういうとき、後ろに立って話を聞いてくれた執事の老人はもう何年も前に棺の中に納められていた。わずかな隠居生活はどれほど楽しめたのか。退こうとするたびに引き止め、最後は命令ではなく懇願になった。いつかは1人になると分かっていたつもりだった。
大きく息をつく。人を呼んだ。やってきたのは今の執事である働き盛りの若者で、彼は先代の執事の孫だった。外見だけならば彼女よりも年上に見える。しかし、わずかながらの引き継ぎの期間では何も知らぬも同然で、とても頼る気にはなれなかった。
「何か暖かい飲み物を持って来てくれ」
「分かりました。そういえば珍しい珈琲豆が手に入りました。疲れもとれるそうです。さっそくお持ちいたしましょう」
「待て」
とげのある声に相手は身を固くする。しかし気を遣う余裕は彼女にはもうなかった。
「よく回りを見ろ。紙の山だ。色のついた飲み物は避けろと何度も言ったはずだ。お前の祖父は一度言えば理解したぞ。同じくらい使えるようになれとはいわん。しかし三度は言わせるな」
下がってよい、と手を振って追い払う。しかしいつもと違い、相手は下がらなかった。いらつきを隠して、何か言いたいことがあれば言え、と寛容なところを見せることにした。執事を任されている男は背筋を伸ばし、彼女の目をまっすぐに見た。こいつの目を正面から見たのはこれが初めてかもしれんな、とふと彼女は思った。
「よろしいでしょうか」
「早く言え」
「では」
咳払いをし、手を後ろに回す。その仕草は彼の祖父にそっくりだった。
「まったく姫様は確かに回りは見えておりますが、ご自身のことはからきしですな!」
いきなりたしなめるような口調で怒鳴りつけられた。思わぬ展開にきょとんと目を丸くしている彼女を尻目に、顔を真っ赤にした新米の執事は勢いだけで言葉を続ける。
「はっきり申し上げますが、こんな紙の束がいくら無事であったとしても、姫様ご自身が倒れられては銅貨1枚の価値もありはしません! 私のお役目は姫様をお守り申し上げることであります! ですからお疲れの様子に姫様にふさわしい飲み物を、と考えました」
ふっと息をつく。
「私が頼りにならないことは分かります。でも1人だとは思わないでください。私だけでなく、部屋の掃除をする小間使いたちも、毎食の献立に頭を悩ませている料理人たちも、みな、姫様をお慕い申し上げております。最後まで不敬な振舞い、誠に申し訳ありません」
今までありがとうございました、と深々と礼をする。思い残すことはないといった様子に、彼女は出会った頃の先代の執事が重なって見えた。彼女が外見通りの年齢だった頃、料理人の皿を一口もつけずに引っくり返し、小間使いの服に火を放ち、傍若無人に振舞うことを当然としていた、そんな彼女の頬を一打ちした若い頃の彼の祖父が生き写しとなって見えた。
「処分は追ってご指示ください。自室の荷物をまとめたいと思います」
「待て。私がそんな気長に見えるか。今ここで処分を申しつけてやる」
足を止めて硬い表情で振り返った執事に歩み寄り、紙の束を押しつけた。
「まったくあの冒険家め、この島の隅から隅まで見て回りおって、とても1人では目を通しきれぬ。猫の手も借りたいところだ。お前も手伝え。面白そうな話があったらあとで教えてくれればそれでいい」
「姫様」
「それとさっき言っていた珍しい珈琲とやらも持ってこい。まずかったら顔にひっかけてやるから覚悟しておけ」
ただいまお持ちいたします!、と晴れ晴れした顔で駆け出す執事の足取りに、沈滞していた部屋の重苦しい空気がくるくるとかき回され、くすんでいた何かが晴れたようだった。
その晴れた先に見えたのは、彼女が今このとき守るべき人たちの姿、そして100年の定めに従って領主となることが決まったときに先代の執事に宣言した「この国のあるべき姿」を思い出した。なぜ忘れていたのか。なぜ見失っていたのか。
「まったく。一休みするか」
そう呟き、席に戻る。ふと目に入ったのは、さっき執事に手渡した束の下に眠っていた報告書だった。報告の中でも伝承というより神話と呼ぶにふさわしいような、あまりに絵空事じみた内容が多い箇所だったので後回しにしていた。
よりによってこれを奴に渡してしまったか、と少し申し訳なさを覚えた彼女の目が、残った報告書の一番上をそれとはなしに追った。ぼんやりと座り込んだ彼女の頭に内容が染み込むにつれて、目が見開かれる。慌てて報告書を手に取り、目を通す。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「飲み物をお持ちしました」
お盆にカップと角砂糖を乗せて入ってきた執事を振りかえった領主の顔には、ここ最近ついぞ見られなかった、まるで年相応のいたずらげな笑みが浮かんでいた。それは彼が初めて見る彼女の笑みでもあった。
「こいつだ!」
執事が高鳴る気持ちを顔に出さぬよう必死になだめていることなど露とも知らず、彼女は手にした報告書を勢いよく叩いた。
「こいつを探してこい!」
そこに伝承文とともに描かれていたのは小さな山ほどもある巨大な猪に似た生き物の絵。その下には「ベヒモス」という短い名が小さく記されていた。
国境間近の大草原を丸ごと使って、古今東西で見たことも聞いたこともないほどの大祝宴が開催されるとの知らせが、近隣の領地のみならず島中を駆け巡った。大道芸人や音楽家はこぞって仕事道具を荷馬車に積み上げて、料理人たちは研ぎ澄ませた包丁を手にし、子供たちは毎日のように祭りまであと何日かと親に尋ねて困らせた。
各地の領地へと招待状がばらまかれ、出来たばかりの城下町では祝宴の何週間も前からその準備に誰も彼もがてんてこ舞いだった。狩人と森の子供たちは獲物を求めて森を駆け巡り、料理人は積み上げられた最高の食材を前に嬉しい悲鳴を上げ、農民たちは自慢の野菜をこれでもかとカゴに放り込んでいた。
そしてその日がきた。
戦乱の終わらぬ呪われた極寒の島の片隅で、まるでそこだけ春がきたかのようなお祭り騒ぎが勃発していた。晴天の下、いくつもの巨大な天幕が張られ、途切れることなく料理が運び出される。この日の為に集められた食材は次々と料理に変えられ、集まった人々の胃袋に収まっていく。
竹馬を仕込んだズボンをはいたピエロが頭上から子供たちに飴玉を撒き散らし、大道芸人たちは火の球をお手玉しつつ切れ味鋭い刀を飲み込み、行商人たちの並べたガラクタが飛ぶように売れて行く。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
料理人たちは次から次へと運びこまれる食材を鍋に放り込み、鉄板で焼き、皿に盛り付け、コマネズミのように走り回って料理を配る給仕たちに早く運べと怒鳴りつけていた。そんな中、悲鳴のような報告が入ってくる。
「料理長! そろそろ肉がなくなりそうです!」
「まだまだ客はあふれてますぜ!」
「何、まだまだオードブルよ。メインディッシュは……」
顔を青くする料理人たちの真ん中で、丸太のような腕でフライパンを磨いている巨漢の料理長はしかし平然としている。そこへ駈け込んで来たのは、一番若い下働きだった。
「料理長! きました、きましたよ! 到着しましたあ!」
「来たか! よし、お前ら! 何をぐずぐずしてやがる、こっからが本番だ!」
天幕の外に飛び出す料理長を追って外に出た人々が見たのは、何十匹という荷馬に引かれる館の敷地のような台座。そしてそこに大人の胴体ほどもある太さの綱でくくりつけられる巨大な猪のような生き物。
「へへ、まさか生きてベヒモスの肉に包丁を入れられようとはな」
料理長が不敵な笑みを浮かべて呟いた言葉に、傍らの料理人が顔色を変える。
「まさか、こいつがあれの!?」
「そうよ、息あるときは国1つの軍隊に匹敵し、死んだあとは国1つの胃袋を満たす。こいつを知らねえ料理人はいねえが、こいつを料理できた料理人は数えるほどだ。よし、お前ら! 並べ!」
国中から集められた料理人たちが一糸乱れなくベヒモスの巨体を前に並ぶ。料理長の号令の元、無言で頭を下げる。大歓声の中、ほんの一時の静寂。しかしそれが終わると同時に、怒号のような指示が飛び交い、弾かれたように持ち場へと散っていった。彼らの祭りはこれからだった。
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祝宴の片隅、舞台となっている平原と森が接するところに狩人たちと森の子供たちがのんびりとたき火を中心に腰を下ろしていた。祝宴が今まさに最高潮に達している人々の盛り上がりをまるで人ごとのようにおだやかに眺めている。
「これでもまだ戦乱は終わってないってんだからな」
形ばかりの戦の準備として傍らに置いてある弓矢をちらりと見やりつつ、狩人は手にした酒を喉に流し込んだ。たき火の脇、地面に突き刺した串の先では肉がいい匂いをあげて焦げている。それを1本引き抜いて口に運んでいるのは隣国の兵士だった。
「うん、焼けてるな」
「おい、杯が空だぞ」
「おおっと、すまねえな。今度来るときは、うちの地酒を持ってくるさ」
「そうしてくれ。そんときはもう少し上手く忍んでくることさな」
斥候として1人で忍んできたこの兵士を樹上から発見した森の子供たちは、うむを言わせずそのまま酒盛りへと連れ込んだ。さらに様子をうかがいに後を追って来た敵兵士の仲間たちは、狩人たちの差し出した焼肉に懐柔された。
「そろそろ野菜も食いたくなってきたな」
「お前らも少しは動けよ。あっち行って農民たちから野菜もらって来い」
「仕方ねえなあ」
敵兵士たちは重たい腰を上げて伸びをし、肉ばかり食う客たちを叱りつけている農民のほうへ向かった。太陽はまだまだ晴天高くのぼっている最中だった。
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切り分けられたベヒモスの肉が次々と焼かれ、行列を作って待つ人々へと振舞われる。長い行列の先頭で肉を受け取った人たちは、まったく新しい味に傍らの人々と嬉しい感想を交換するのに夢中になっていた。
そんな行列の中、人を探して歩く男性がいた。髪の毛には白いものが混じりはじめ、絶えない気苦労がしわとなって顔に刻みこまれている。太陽と人々の熱気の中でも正装を崩さない彼の額には大粒の汗が光っていた。
「まったくどこにいらっしゃるのやら」
その肩を叩く者がいた。振り向くと行列に並ぶ見知らぬ男性だった。
「何か?」
「いえ、お探しのお子さんはあの女の子ですか? さっきからあなたを呼んでいるようなので」
彼の指す方を見ると、長い行列の中に見知った顔が大きく手を振っていた。ずっと変わらない、出会った頃のままの顔が満面の笑みを浮かべていた。人の群れを謝りつつかき分け、ようやく辿り着く。
「姫様! すでに食事はご用意させて頂いておりますとあれほど!」
「お前は何も分かっておらん! 並ばずして何が美味いものか!」
真顔で叱りつけてくる相手にため息をつく。
「姫様を探して右往左往する人々の身にもなってください」
「だからお前に言い残しておいただろう、行列に並んでくると」
「そして私は、それはなりません、と答えたはずです」
ふくれている相手にそう返したあと、ふと周囲のざわめきが変化していることに気付いた。見回すと、行列に並んでいる人たちのみならず、群衆が全員が2人を見つめている。
「まさかあれ、姫様じゃないか」
「おお、うちの食いしん坊な姫様じゃ」
「なんで並んでるんだよ、前に通して差し上げろ」
抵抗するいとまもなく、2人はまるで神輿のように担ぎあげられ、前へ前へと運ばれてしまった。一番美味いところを出せと群衆に怒鳴られ、お前らに言われんでも分かっとるわ、と叫び返す料理長の見事な包丁さばきで見事に切り分けられた肉が料理人たちによって手際よく焼き上げられる。
いくつも並べられた大きなテーブルの1つの中央で、領民たちに囲まれて肉を頬張る彼の主を、執事は隣で見つめていた。気がつけば、見た目は親と娘ほども離れてしまった。それでも忘れられず、捨てきれない気持ちを胸に、今も妻をめとれずにいる。
「うん? どうした」
まるで気持ちを見透かされたような相手の言葉に内心は動揺するも、長い年月の中でそれを表情に出さない程度には自分を鍛えていた。
「口元を汚したまま食事をなさらないでください。嫁の貰い手がなくなりますよ」
「ははは、そうかもしれんな。そのときはお前にもらってもらうか」
「な、何をおっしゃいますか」
くすくすと笑いながら肉を頬張っていた相手が、ふと穏やかな目で彼を見た。
「よく似てきたな。まるで生き写しよ」
「祖父のことですか」
「よく叱られたものだ。昔も祝宴を開いて、口元を汚してな」
「そうですか。姫様もよく似ておられますよ。私が出会ったころの姫様に生き写しです」
真顔でそう告げる執事の言葉に、破顔一笑した。
「あはははは! 違いない!」
ひとしきり笑ったあと、休むようにもたれかかった。そして呟く。
「お前たちだけだ。人として接してくれた。まったく」
100年の定めの中、同じ時を過ごせるのは殺しあう運命にある他の領主だけ。決して相容れぬ立場の彼らとて、戦乱が終わるときに定めは力を失い、全ての敗者には100年の年月が押し寄せる。時の流れにまた戻り、生き残れるのはただ1人だけ。
「ありがとう」
祭りにざわめく喧騒の中では、誰にも聞きとれないような小さな声だった。しかし。
「もったいないお言葉にございます」
「当然だ。大事にしろ」
「さしでがましいようですが1つだけお許しください。姫に涙は似合いません」
「は。ぬかしよる」
ふと、領主になったその日の朝のことを思い出す。領内を見下ろす窓に立ち、背負うことになった土地と人が上る朝日に照らされるのを視界に収めたときのこと。
「目指す国は見えておりますか」
傍らに立つ当時の執事に、きっぱりと答えた。
「決まっておる。私の領地では誰も殺させぬ。100年のあいだ、誰も飢えさせぬ。殺し合いなどあほうどもに任せておくさ。皆にたらふく食わせてやる。ああ、そのためにも稼がねばなるまい」
どこかで朝の支度が始まったらしい。卵の焼けるいい匂いがしてきた。
「目指すのは、そうだな。100年のレシピよ」
《ヴォーパルス戦記譚》 第1回:虚飾の王の物語
http://regiant.diarynote.jp/201206102238015544/
はじめに
これだけは説明しておかないと分かりづらすぎるかもしれない、ということで《食料》という資源と、《ワーム》と《ベヒモス》というユニットについてだけ軽く触れておく。
ヴォーパルスというゲームには《木材》《食料》《鉱石》の3種類の資源が登場する。これらは建物やユニットから産出され、主に建物を作るのに使われる(今回登場するユニットの中で《狩人》《森の子供たち》《農民》が《食料》を産出する能力を持っている)。
資源は建物を作る材料以外にも、建物やユニットの効果で収入や勝利点に変わったり、ユニットを強化する条件になったりもする。その一例が《ワーム》や《ベヒモス》。この2つのユニットは《食料》の産出量に比例して攻撃力が高まるという能力を持っている。
また《ベヒモス》は設置したターンは高い攻撃力を誇るけど、設置後に1ターン経過する(=ゲーム内で25年が経過する)と「戦闘力が0になり、かわりに《食料》を産出する」という特殊な能力を持っている。
《ヴォーパルス戦記譚》 第2回:100年のレシピ
<1ターン目>
1-1 《狩人》
1-2 《行商》
1-3 《森の子供たち》
1-4 《農民》
1-5 《労働者》
・前衛 《狩人》、《森の子供たち》
・後衛 《行商》、《労働者》
・合計兵力 3点(0勝換算)
・建築 《祝宴》LV2
・残金5、キープカード《農民》
ここは街道沿いの宿屋。遠路を旅する行商人たちが持ちよった噂話を互いに披露する場でもある。そしてもっぱらの話題は、やはりどうしても同じところに行きつくのだった。
「ついに皇帝陛下が崩御されたか。もう何年も病床にあられたが」
「100年の戦乱か。まさか俺たちの代に始まるとはなあ」
「今この瞬間に領主を務められている方々がこれからの100年を争われるのか」
宿屋の食事どころで交わされる噂話の大半は、大なり小なり変わらぬ内容のものばかりだったが、とあるテーブルの一画に陣取る行商人たちだけは少し違った。戦乱の始まりとあらたな商売の種をどこか興奮したように語る周囲の熱気とは裏腹に、どこか沈みがちな空気をまとっているのは、この領地に住まう行商人たちであった。彼らは、この地の領主を知るものたちだった。
「ついに皇帝陛下が崩御されたか。いつ亡くなるかは時間の問題とは言われていたが」
「まさか私たちの代に……いや、今のこのときに亡くなられるとは」
「先代の領主様も決して争いごとに長けた方ではなかったが、それでもな」
皆が思い浮かべているのは間違いなく同じ人物ではあったが、それでもなお、口に出して確かめてしまうのは現実が眼前に迫るようでためらわれた。しかしついに1人が勢いよく手持ちのジョッキの中身を喉に流し込み吐き捨てるように呟いた。
「それでもあの胃袋から先に生まれたような姫様よりかはマシだったろうよ」
その言葉に周囲も次々に不安げな言葉を連ねる。
「御幼少のころは食いしん坊なところも愛嬌ですんだが……」
「皇帝陛下の病状をお聞きになられても何を心配するでもなく、各地の珍味と銘酒の書物を集められていたそうな」
「いやいや、それだけでなく各地の名だたる料理人を漏れなく調べるよう命令が下ったとも聞いたぞ」
「今このときも隣国の名産品を買いあさっているくらいだしな」
「お前のとこの貨物も食料か。うちもだ。前線の兵たちが戦いもせずに集めた食料ばかり」
バンッ!
ジョッキを叩きつける音にテーブルが静まり返る。最初の口火を切った男が、集まった仲間の行商人たちの視線の先でにやりと笑った。
「姫様が100年の定めにつかれることが決まったとき、なんと言ったか知ってるか?」
皆をじらすように沈黙を楽しんでから男は笑った。
「100年後の珍味が食せるとな、だそうだ!」
話した男は、笑いが起きることを期待したようだったが、それに対してそのテーブルの行商人たちは沈黙の中、顔を見合わせるばかりだった。周囲のテーブルの喧騒がやけに大きく耳をうつ。そんな中、空気に耐えかねたように1人がカウンターへと席を移す。グラスを磨いていたバーカウンターの店員がちらりと男を見た。
「何を飲みますか」
「強けりゃなんでもいいよ」
投げやりにそう答える男に店員が酒を渡しながら話しかけた。
「前線からのお帰りですか」
「そうだよ……いや、前線っていうかなんていうか……ありゃあ……」
敵対領地と接する前線には食料豊富な森と平原が広がっている。今までこの地帯は国境の緩衝地域として不可侵の盟約が結ばれていた。しかし今回の皇帝の崩御で100年の戦乱は始まり、全ての休戦協定と盟約は力を失った。次の支配者が決まるまで、それらは失われたままになるだろう。
男は、前線へ向かうときの領主側からの依頼を思い出す。国境沿いに点々としている陣地を回って、兵士たちが集めている食料と木材を回収してくるように、という1つ目の依頼には特に疑問を覚えることはなかった。しかし、その次に依頼された内容は、思わず聞き間違えたのかと問い返してしまった。
「は? 置いてくるんですか?」
「そう言ったはずだ。ここにある隣国から仕入れてきた珍味を前線に置いてくること」
領主側から派遣されてきた男は部屋に積まれている木箱を指し示した。
「いや、まあ向かうときはほとんど荷物なんてないも同然ですから構いませんけど……」
「依頼を受ける気がないなら構わんぞ。行商人はお前だけではないからな」
領主の配下の不機嫌な様子に、それ以上の質問はためらわれた。仕事は仕事と割り切り依頼を受け、すでに一部では隣国との衝突が始まっていると言われている前線へとおっかなびっくり仲間と馬車を進めた。そこで男が見たのは予想とは違う風景だった。
そこで繰り広げられていたのは戦争ではなく狩りだった。皮肉めいた意味ではなく本当の意味での狩猟だった。兵士とは名ばかりの狩人たち。そして森に住まう亜種族である森の子供たち。彼らは日がな一日、ウサギや鹿といった獲物を追いかけたり、木々を切り倒して木材に加工したりしていた。
依頼通り、各地の珍味が納められた木箱を渡して、かわりに燻製肉や森の果実、それと木材が受け取られて、空いた荷台へと積み込まれた。出発する前の晩、狩人や森の子供たちとたき火を囲んで簡単な宴を開いてもらったのを商人は思いだした。そのときに初めて領主からの奇妙な依頼の理由も知った。
たき火の中でパチパチと薪がはぜる音がする。酒も回り始めて、商人たちと狩人たちのあいだにも少し気安い雰囲気が生まれつつあった。
「どうせだ、少し、俺たちにもあの珍味とやらをご相伴にあずからせてくれよ」
「いやいや、申し訳ないがそれはできないよ」
なんだ随分とケチくさい奴らだな、という思いが表情に出てしまったらしい。相手の狩人は複雑な笑みを浮かべてこう言った。
「我々も手をつけることは許されていないんだからな」
「は? なんだって?」
「なんですか、聞いてないですか?」
ここで今まで黙っていた森の子供たちが会話に入ってきた。
彼らは一見すると人間の子供のようにしか見えず、そのため人間たちは彼らを「森の子供」と呼んでいる。しかしそれは外見だけの話で実際はれっきとした大人だ。猛獣から隠れ潜む森の生活に適用するため、必要以上の肉体の成長を閉じてしまった種族。そのかわり、猫のような夜目と犬のような嗅覚を生まれながらにして持っている。
彼らの世界には貨幣は存在しないが、人間との交流の際に必要な金貨を稼ぐために、ときの領主に雇われて働くこともある。それでも人前に姿を現すことは珍しく、行商人の男も実際に言葉を交わすのは初めてだった。
「私たち、食べること、あれを許されてないです。私たち違います」
「何が違うって?」
行商人が森の子供たちの癖のある言葉遣いに困惑していると、狩人があとを続けた。
「俺たちのためのものじゃないんだよ、あれは」
「嘘つけ、じゃあ誰が食べるんだよ」
「敵さ。隣国の兵士たちだよ」
予想どおり当惑している行商人の様子に苦笑しつつ、狩人は説明を続けた。
「まあ、なんだ。見ての通り、俺たちも森の子供たちも戦闘に長けているわけじゃない。隣国の正規の兵士たちが来たらひとたまりもないんだ。だから基本的には敵の姿を見かけたら逃げていいと言われてる。それでも捕まりそうになったら、あれを差し出して許しを請えとさ」
夜の暗闇の中、少し先に白く浮かんでいる天幕を振り返る。そこには行商人たちが運んできた例の木箱が納められているはずだった。
「山岳地帯から攻め入ってきた兵どもには海の幸、平野から攻め入ってきた兵どもには山の幸を気前よく振舞ってしまえ、だそうだ。久しく戦争もなかったし、慣れてない相手方も無駄な戦闘で命を落としたくはない。今のところ、戦死者は出ていないよ。ああ、もちろん狩りで命を落とした奴は別だがね」
結局いつもとやってることは変わらないよな、と狩人は周囲の仲間たちや森の子供たちとうなずいていた。行商人はたき火に照らされる彼らを眺めて、100年の戦乱とはこんなものなのか、聞いていた話と随分と違うものだな、と合点がいかないながらも理解した気になっていた。
その後、彼を含めた行商人たちによって前線から領主のおひざもとまで運ばれた食料と木材を用いて、盛大な祝宴が開かれた。領主によって近隣の領地へも派手に招待状をばらまかれ、珍しい料理と若い女性の領主を目当てに集まった人々で祝宴は大盛況のうちに幕を閉じた。
招かれた隣国の領民と領主たちは、少女と見まがうような若い女領主が能天気に口元を汚しながら料理を頬張る姿に微笑みつつも、内心は嘲笑い、この国も長くはないと共通した感想を抱いた。
<2ターン目>
2-1 《ワーム》
2-2 《時計職人》
2-3 《癒し手》
2-4 《射手》
2-5 《冒険家》
・前衛 《狩人》、《ワーム》、《冒険家》
・後衛 《森の子供たち》、《時計職人》
・合計兵力 10点(1勝換算)
・建築 《祝宴》LV2、《密輸船》LV2
・《時計職人》の対象は《冒険家》。
・残金は3でキープカードは《農民》を選択。
照りつける太陽の下、酒場のテラス席で老人はジョッキをかたむけていた。港から潮の香りがただよってくる。老後に住む場所としてこの港町を選んだのは間違いではなかった、と行商人だった老人は辺りを見渡した。
食材と材木を領地の右へ左へと運んでいるうちに、他の領地へはほとんど出向くこともなく、25年はあっという間に過ぎた。そんな中、伝聞で知らされる各地の激しい戦争の噂は、不思議と平和なこの領内ではいまいち実感をともなわないものだった。そしてコツコツと貯め込んだ金で引退を決意し、仕事も道具もすべて息子夫婦に引き継いだ行商人と妻が老後の住処に選んだのは、領主の住まう中央から流れる川が海へと辿り着く港町だった。
今日も多くの人と荷物が賑やかに行き交っている。敵国も同盟国も問わず、各地から集められ運ばれてくる珍味佳肴は、その一部をまた別の地へと売りつけるべく船に積まれ、また一部はこの領地で消費されるべく陸路で運ばれる。それらを目当てに訪れる旅行者が祝宴に落とす外貨でこの国は今日も潤っていた。
しかし最近、見慣れない人と荷物が街中を行き来し始めていた。ぼんやりとそれを眺めていた老人は、手の空いているバイトの少年を手招きした。
「最近、なんやら重たげな荷物が港に運ばれているようだな」
「ああ、あれですか。姫様がまた何か新しいことに興味をもたれたそうですよ」
どこか呆れたようなそしてどこか嬉しげな様子は、この領地に住まうものが自分達の領主を語るときに共通して見られる特徴だった。行商人だった男も例外ではなく相手の言葉に孫のいたずらを聞かされたときのような笑みを浮かべた。
「腹がくちくなったら、次の道楽かね。いったい何を始められたのやら」
「しばらく前ですけど、何やら各地の不思議な話がたくさん書き記された書物を手に入れられたらしいです。異国の奇妙な動物や世にも珍しい品々。それらが本当なのかどうか、冒険家を雇って調べに行かせたとか」
「何か見つかったのかね」
「さあ? 冒険家はまだ帰って来てはいないそうですけど、書物に書かれていた火にくべても燃えない毛皮とか、瑠璃や宝石がたわわに実る大樹とか、そういったものを手に入れるべく港では交易船を仕立てているそうです」
なるほどうちの姫様らしい話だ、と老人は微笑んだ。
「まあ、ほら話でもなんでも、姫様の好奇心が満たされればそれでいいさな。飯は美味いし、姫様は綺麗で、我が領地に憂いなしだ」
同意を求めるように老人は少年にチップを手渡しつつ、空のジョッキも押しやってもう1杯とビールを注文した。笑顔でチップと注文を受け取ったボーイは忙しくなってきた酒場の中へ戻っていった。
ほとんど早朝とも言える深夜まで目まぐるしく働き、ようやく仕事を終えた少年はあとに残る同僚への挨拶もそこそこに、次の仕事のために港へと急いだ。細い路地をいくつも曲がり、木箱の陰に目立たぬよう備え付けられた木戸を音も無く通り抜ける。港でも特に人気のない地域にある倉庫の裏に回り、開閉式の小窓のついた頑丈そうな扉を奇妙なリズムで叩く。小窓が開き、感情のない目が少年を見降ろした。抑揚のない声でその相手が問う。
「人と化け物の共通点は?」
「どちらも飢えれば死ぬ」
小窓が閉じ、扉が開く。軽い足取りで中へと足を踏み入れた少年は、扉のすぐ裏側にいた覆面の男に手を振るとさらに奥へと急いだ。到着した小部屋には窓はなく、数少ないランプに照らされた室内には年恰好もよく分からぬ何人かの人影がテーブルを囲んでいた。少年が空いている最後の椅子に腰を下ろすと、テーブルの端から低く抑えた声が上がる。
「そろったかの。では始めよう」
「じゃ、僕からでいいですか? 酒場での仕事は滞りなく進んでますよ。お客さんたちはみんな、港で行き交ってる船は食べ物を運んでるか姫様の為にありもしない珍しい品々を探しに出かけてると思ってます。いや、思わせてます、かな」
「商店街も同じく。船着場に並べられているのが密輸船だと勘づいてる者はおりません。冒険家が雇われたのも、おとぎ話のたぐいを確かめるためだったと信じてますね。ああ、そうそう、そしてほら話を持ち帰ってきて姫様がそれで満足しているとも」
「はっ。それはいい。うむ、それでいい」
初めに言葉を発した人物が低く笑ったが、それを特に気にしたものはいなかった。その後も報告は続き、今後の指示が割り振られたところで、参加者は影に溶け込むように1人また1人と部屋から退出していった。後に残ったのはテーブルの端に座っていた小柄な人影。
そこへ後ろの扉から実直そうな白髪の老人が現れた。体にぴったりとあったスーツは派手さはないが明らかに値の張る品だった。彼は手にした書類の束をテーブルに置き、手早くそれらをいくつかの山に取り分ける。
そのあいだに、前に座っている人物は目立たぬよう喉に巻いていた布を外した。声色を変えるために喉を圧迫していたそれを煩わしげにテーブル中央へ放り、声を通すべく小さい咳払いを繰り返す。
ようやく人心地ついたところで手元の暗さに気づき、後ろの老人に部屋の明かりを動かさせた。ランプに照らし出されたのは、少女と呼ぶには大きいが成人には至っていない、そんな女だった。彼女は取り分けられた書類の束の1つを手に取った。
「食料は順調に売れているようだな」
「はい。代価の鉱石も滞りなく届いておりますし、各地から届く名産珍味もご指示のとおりに」
「これまでの投資が実を結んだか。景気よくばらまいてきたからの。ほうぼうの奴らの舌も肥えてきた頃合いじゃて。山には海の幸、平野には山の幸。知らぬ快楽を教えてやった甲斐があったというもの」
「姫様の狙い通りですな」
「分かりきったことよ。人も化け物も食わねば死ぬのだ」
そう呟きつつ別の書類の束を手に取った彼女が顔を上げた。
「ああ、そうだ、化け物と言えば」
「はい。アレの捕獲はすでに完了しております」
「では、他国の軍どもに、我が領内で好き勝手してもらった礼をしなくてはなるまいな」
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
数日後、波止場の輸送船から小屋ほどもある巨大な箱が厳重に鎖で封印されたまま降ろされ、領主の元へと運ばれていった。遠い海で捕獲された巨大な珍獣が姫様に献上されたとか、並走する馬車の中には姫様ご本人がいらっしゃったとか、好き勝手な噂が流れたが、結局は、七色に輝く果実の生る果樹をその根を張る大地ごと姫様が所望なされたらしい、というところに落ち着いた。酒場で、商店街で、工房で、そうに違いないと訳知り顔で述べる者たちがいたことは言うまでもない。
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前線から呼び出された狩人は応接間で待たされながら、初めて招き入れられた領主の館があまりに聞いていた噂と異なることに驚きを禁じ得なかった。そこには、贅沢の粋を極めた華美な装飾がほどこされ、異国の奇妙な調度品の数々がところせましと並べられ、毎夜のように豪奢な饗宴が催されているはずだった。
しかし長いこと馬車で揺られた先に辿り着いたそこは、確かに大きな館ではあったが周囲の伝統ある家々と同じ作りに地味で古めかしく、調度品の数々は同じ領内の名のある絵師と工芸家の作品が並んでいるようだった。
「すまぬ、待たせたな」
そこへ奥の扉から若い女性と白髪の紳士が入ってきた。女性は優美なドレスなどではなく、動きやすそうな袖の短い作業着を身につけており、そのたくさんのポケットからはペンやら定規やらが突き出している。
この館で働く女中の1人だろう、やはり姫様ご本人に直接お会いできるなどということはないか、と狩人が一人で合点していた。そのため、相手が領主本人であることを名乗ったときには仰天した。
「お目にかかれるとは思っていませんでした……ありがたき幸せです」
「言うな。お前たちに苦労をかけていることは重々承知の上だ。前線はもう戦乱初期の手探りだった頃とは変わってしまったはずだ。安寧の中で生まれた、奪うことと殺すことへのためらいを他国の兵士どもはすでに乗り越えた頃合だ」
確かにその言葉は正しかった。戦乱当初の不慣れな攻めは度重なる他国との戦闘の中で研ぎ澄まされ、最近ではただ逃げ切ることすら困難な日々が続いていた。それは、1つの時代の節目が終わり、また1つ時代が進んだことを感じさせた。
「お前たちの中にも犠牲者が出始めている。次の一手が遅れた。私の不手際だ。すまない」
深々と頭を下げる領主に狩人は慌てた。
「もったいないお言葉です。頭を上げてください」
「ああ、下げて救えるならいくらでも下げるこの頭だが、その通りだな。使ってなんぼのものだ。ようやく探していたものが手に入った。ところでつかぬことを聞くが、前線にはまだ食料は足りているか?」
いきなり転換した話題に少々とまどいつつも狩人は、前からの指示にあったとおり前線の狩人たちは食料をきちんと蓄えていること、また後衛に回った森の子供たちから送られてくる食料もあることを報告した。その言葉に領主は満足そうにうなずく。
「よろしい。私の言いつけは守られているようだな。ではこれからお前のあらたな部下となるものを紹介しよう。ついてこい。この部屋で引き合わせるには少々図体がでかすぎる奴でな」
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数台の馬車で牽引される小屋ほどもある木箱は厳重に鎖で封印されたまま、がちゃがちゃと街道を運ばれている。そのすぐ後ろを走る荷馬車の上を荷物と一緒に座りながら、視界を占めるそのまがまがしいまでに巨大な箱を緊張の面持ちで狩人は眺めていた。姫様ご自身からの指示は、起きているあいだずっと脳裏を離れない。
「前線についたあとのお前の仕事は1つ」とバルコニーから中庭に横たわる巨大なワームを見下ろしつつ、恐怖と驚愕に身を凍らせている狩人へ姫が告げる。「ゆめゆめ食料を絶やさぬことだ。後衛からも存分に供給するが、お前たちの仕事は戦うことではない。いいか。餌を絶やさぬことだ。肝によく銘じておけ。さもなくばその肝ごと喰われるぞ」
しかし恐怖に動けなくなりそうな狩人の心に、ふっと加わる暖かさもまた彼の姫様の残した言葉だった。応接間で去り際に彼を呼びとめた領主は、少しためらったあと苦笑まじりに彼に頼みごとを残した。
「驚いただろうな。もっと可愛らしい姫君の噂を聞かされているはずだ。美味い料理に舌鼓を打ち、珍しいものを集めることに目がない、そんな女らしい姫の噂をな」
「いえ、ああ、確かに驚きはしました。こんな聡明な方だとは存じあげませんでした。しかし、安心しました。この領地に生まれついたことを誇りに思います」
「うむ。それなんだがな。内緒にしてはくれんか。こんな女っ気のない領主のことは皆は知らんでいい。出来れば、口元に食べ残しをつけたままの姫に会ったと……噂にたがわぬ食いしん坊で可愛らしい姫様だったと皆に伝えてくれ」
ここでいたずらっぽく微笑んだ彼女の笑みが浮かぶ。
「私も女なんでな」
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
書斎で本の山に埋もれながら調べ物をしていた領主はふと顔を上げて壁のはるか向こうにあるはずの前線を見やり、誰にともなく呟いた。
「上手くいったかの」
「どうでございましょうな。十分な食料を与えたワームは訓練された騎士団を2つ合わせたより強いと申しますが、そこまでの食料を供給できるかは怪しいかもしれませぬ」
真剣な顔でそう述べる背後の執事に、彼女は呆れた顔で振り返った。
「そっちではない。最後の口止めだ。まだ本性を喧伝するには時期尚早。外見だけなら娘ほども離れているからには情に訴えてみるのが得策と考えたが、はてさて上手い事、乗ってくれたかどうか」
「私は直接会われることに反対したはずです。初めて前線へ狩人と森の子供を送り込んだときのように、指示を伝えるだけなら直接お出になる必要はありませんでした」
彼女に面と向かって意見できる唯一の臣下である執事が冷然と告げる。
「大体からしてバルコニーとはいえ近すぎるくらいです。その身は姫様1人のものでないということをいつになったら分かってくださるのか。確かに十分な食料を与えてはありますが万が一ということも」
いつものように長々と終わることなく続きそうなお小言をさえぎるべく振りむいた彼女の顔には、滅多に見られない寂しげな笑みが浮かんでいた。
「直接会いたかったんだ」
何かをこらえるように視線を外す。
「私のために死んでくれと頼んだ相手の顔を見ておきたかったんだ」
執事は慰めるでも淡々と事実を述べた。彼は自分の仕事を心得ていた。
「死ぬと決まったわけではありますまい。前線では重傷者は出ておりますが、まだ死人はでていないとの報告を受けております」
「だが時間の問題だろう。次の一手だ。早急に打たねばなるまい」
<3ターン目>
3-1 《ベヒモス》
3-2 《トロール》
3-3 《森の子供たち》
3-4 《ケット・シー》
3-5 《癒し手》
・前衛 《ワーム》、《ベヒモス》、《ケット・シー》
・後衛 《森の子供たち》、《農民》
・合計兵力 15点(2勝換算)
・建築 《祝宴》LV2、《密輸船》LV2、《城下町》LV1
・残金0、キープカード《トロール》
真剣な顔で、机の上にある冒険家の残した記録書をにらむ。彼女の命に従い、冒険家が世界の各地を調査して回った旅の報告書だ。まだ手のつけられていない鉱脈の眠る鉱山、人里離れた辺境の生物や植物。とにかくこの戦乱を乗り切る助けとなる情報であればなんでも欲しかった。それが冒険家1人の命と引き換えになるとしても。
旅の時計職人から手に入れた不思議な力を持つ懐中時計。前の戦乱でも1人の冒険家の命を絞り取ったという奇聞を伝えたとき、目の前の冒険家は臆するどころか目を輝かせていた。数十年経っても変わらぬ同じ顔で帰還した冒険家は、遠い地で彼が体験したあらゆる事柄を嬉々として語った。
最後に報告書と懐中時計を手渡した彼は、時間を早回しするように急速に老い、その場で骨と皮となって息絶えた。人ならざる時間を過ごした者のその末路は、まるで100年の定めを負う者の行く末を暗示するかのようだった。心臓が凍るような冷たさを覚えた。
暗い考えを振り払い、あらためて冒険家の報告書に目を通す。内政は上手く回している自信があった。しかし戦況は激化の一途をたどっている。戦乱はすでにその年限の半ばを過ぎ、どの領主も兵力の充実させるべくやっきになっていた。
前線へ送り出したワームが今はよく持ちこたえているが、老齢化する狩人たちをいつまでも前線にいさせるわけにはいかない。またひそかに敵兵力の妨害工作を支援してもらっていた冒険家もすでにいない。長年の計画はまだなんとか軌道から外れずにいるが、それもいつまでもつか。
「さて、どうしたものかな」
こういうとき、後ろに立って話を聞いてくれた執事の老人はもう何年も前に棺の中に納められていた。わずかな隠居生活はどれほど楽しめたのか。退こうとするたびに引き止め、最後は命令ではなく懇願になった。いつかは1人になると分かっていたつもりだった。
大きく息をつく。人を呼んだ。やってきたのは今の執事である働き盛りの若者で、彼は先代の執事の孫だった。外見だけならば彼女よりも年上に見える。しかし、わずかながらの引き継ぎの期間では何も知らぬも同然で、とても頼る気にはなれなかった。
「何か暖かい飲み物を持って来てくれ」
「分かりました。そういえば珍しい珈琲豆が手に入りました。疲れもとれるそうです。さっそくお持ちいたしましょう」
「待て」
とげのある声に相手は身を固くする。しかし気を遣う余裕は彼女にはもうなかった。
「よく回りを見ろ。紙の山だ。色のついた飲み物は避けろと何度も言ったはずだ。お前の祖父は一度言えば理解したぞ。同じくらい使えるようになれとはいわん。しかし三度は言わせるな」
下がってよい、と手を振って追い払う。しかしいつもと違い、相手は下がらなかった。いらつきを隠して、何か言いたいことがあれば言え、と寛容なところを見せることにした。執事を任されている男は背筋を伸ばし、彼女の目をまっすぐに見た。こいつの目を正面から見たのはこれが初めてかもしれんな、とふと彼女は思った。
「よろしいでしょうか」
「早く言え」
「では」
咳払いをし、手を後ろに回す。その仕草は彼の祖父にそっくりだった。
「まったく姫様は確かに回りは見えておりますが、ご自身のことはからきしですな!」
いきなりたしなめるような口調で怒鳴りつけられた。思わぬ展開にきょとんと目を丸くしている彼女を尻目に、顔を真っ赤にした新米の執事は勢いだけで言葉を続ける。
「はっきり申し上げますが、こんな紙の束がいくら無事であったとしても、姫様ご自身が倒れられては銅貨1枚の価値もありはしません! 私のお役目は姫様をお守り申し上げることであります! ですからお疲れの様子に姫様にふさわしい飲み物を、と考えました」
ふっと息をつく。
「私が頼りにならないことは分かります。でも1人だとは思わないでください。私だけでなく、部屋の掃除をする小間使いたちも、毎食の献立に頭を悩ませている料理人たちも、みな、姫様をお慕い申し上げております。最後まで不敬な振舞い、誠に申し訳ありません」
今までありがとうございました、と深々と礼をする。思い残すことはないといった様子に、彼女は出会った頃の先代の執事が重なって見えた。彼女が外見通りの年齢だった頃、料理人の皿を一口もつけずに引っくり返し、小間使いの服に火を放ち、傍若無人に振舞うことを当然としていた、そんな彼女の頬を一打ちした若い頃の彼の祖父が生き写しとなって見えた。
「処分は追ってご指示ください。自室の荷物をまとめたいと思います」
「待て。私がそんな気長に見えるか。今ここで処分を申しつけてやる」
足を止めて硬い表情で振り返った執事に歩み寄り、紙の束を押しつけた。
「まったくあの冒険家め、この島の隅から隅まで見て回りおって、とても1人では目を通しきれぬ。猫の手も借りたいところだ。お前も手伝え。面白そうな話があったらあとで教えてくれればそれでいい」
「姫様」
「それとさっき言っていた珍しい珈琲とやらも持ってこい。まずかったら顔にひっかけてやるから覚悟しておけ」
ただいまお持ちいたします!、と晴れ晴れした顔で駆け出す執事の足取りに、沈滞していた部屋の重苦しい空気がくるくるとかき回され、くすんでいた何かが晴れたようだった。
その晴れた先に見えたのは、彼女が今このとき守るべき人たちの姿、そして100年の定めに従って領主となることが決まったときに先代の執事に宣言した「この国のあるべき姿」を思い出した。なぜ忘れていたのか。なぜ見失っていたのか。
「まったく。一休みするか」
そう呟き、席に戻る。ふと目に入ったのは、さっき執事に手渡した束の下に眠っていた報告書だった。報告の中でも伝承というより神話と呼ぶにふさわしいような、あまりに絵空事じみた内容が多い箇所だったので後回しにしていた。
よりによってこれを奴に渡してしまったか、と少し申し訳なさを覚えた彼女の目が、残った報告書の一番上をそれとはなしに追った。ぼんやりと座り込んだ彼女の頭に内容が染み込むにつれて、目が見開かれる。慌てて報告書を手に取り、目を通す。
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「飲み物をお持ちしました」
お盆にカップと角砂糖を乗せて入ってきた執事を振りかえった領主の顔には、ここ最近ついぞ見られなかった、まるで年相応のいたずらげな笑みが浮かんでいた。それは彼が初めて見る彼女の笑みでもあった。
「こいつだ!」
執事が高鳴る気持ちを顔に出さぬよう必死になだめていることなど露とも知らず、彼女は手にした報告書を勢いよく叩いた。
「こいつを探してこい!」
そこに伝承文とともに描かれていたのは小さな山ほどもある巨大な猪に似た生き物の絵。その下には「ベヒモス」という短い名が小さく記されていた。
<4ターン目>
4-1 《トーテム像》
4-2 《狩人》
4-3 《ファンガス》
4-4 《料理人》
4-5 《鉱夫》
・前衛 《狩人》、《森の子供たち》、《料理人》
・後衛 《ベヒモス》、《農民》
・合計兵力 4点(0勝換算)
・建築 《祝宴》LV2、《密輸船》LV2、《城下町》LV1、《兵舎》LV2
・残金8、キープカード《ファンガス》
・最終ポイント 47点
国境間近の大草原を丸ごと使って、古今東西で見たことも聞いたこともないほどの大祝宴が開催されるとの知らせが、近隣の領地のみならず島中を駆け巡った。大道芸人や音楽家はこぞって仕事道具を荷馬車に積み上げて、料理人たちは研ぎ澄ませた包丁を手にし、子供たちは毎日のように祭りまであと何日かと親に尋ねて困らせた。
各地の領地へと招待状がばらまかれ、出来たばかりの城下町では祝宴の何週間も前からその準備に誰も彼もがてんてこ舞いだった。狩人と森の子供たちは獲物を求めて森を駆け巡り、料理人は積み上げられた最高の食材を前に嬉しい悲鳴を上げ、農民たちは自慢の野菜をこれでもかとカゴに放り込んでいた。
そしてその日がきた。
戦乱の終わらぬ呪われた極寒の島の片隅で、まるでそこだけ春がきたかのようなお祭り騒ぎが勃発していた。晴天の下、いくつもの巨大な天幕が張られ、途切れることなく料理が運び出される。この日の為に集められた食材は次々と料理に変えられ、集まった人々の胃袋に収まっていく。
竹馬を仕込んだズボンをはいたピエロが頭上から子供たちに飴玉を撒き散らし、大道芸人たちは火の球をお手玉しつつ切れ味鋭い刀を飲み込み、行商人たちの並べたガラクタが飛ぶように売れて行く。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
料理人たちは次から次へと運びこまれる食材を鍋に放り込み、鉄板で焼き、皿に盛り付け、コマネズミのように走り回って料理を配る給仕たちに早く運べと怒鳴りつけていた。そんな中、悲鳴のような報告が入ってくる。
「料理長! そろそろ肉がなくなりそうです!」
「まだまだ客はあふれてますぜ!」
「何、まだまだオードブルよ。メインディッシュは……」
顔を青くする料理人たちの真ん中で、丸太のような腕でフライパンを磨いている巨漢の料理長はしかし平然としている。そこへ駈け込んで来たのは、一番若い下働きだった。
「料理長! きました、きましたよ! 到着しましたあ!」
「来たか! よし、お前ら! 何をぐずぐずしてやがる、こっからが本番だ!」
天幕の外に飛び出す料理長を追って外に出た人々が見たのは、何十匹という荷馬に引かれる館の敷地のような台座。そしてそこに大人の胴体ほどもある太さの綱でくくりつけられる巨大な猪のような生き物。
「へへ、まさか生きてベヒモスの肉に包丁を入れられようとはな」
料理長が不敵な笑みを浮かべて呟いた言葉に、傍らの料理人が顔色を変える。
「まさか、こいつがあれの!?」
「そうよ、息あるときは国1つの軍隊に匹敵し、死んだあとは国1つの胃袋を満たす。こいつを知らねえ料理人はいねえが、こいつを料理できた料理人は数えるほどだ。よし、お前ら! 並べ!」
国中から集められた料理人たちが一糸乱れなくベヒモスの巨体を前に並ぶ。料理長の号令の元、無言で頭を下げる。大歓声の中、ほんの一時の静寂。しかしそれが終わると同時に、怒号のような指示が飛び交い、弾かれたように持ち場へと散っていった。彼らの祭りはこれからだった。
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祝宴の片隅、舞台となっている平原と森が接するところに狩人たちと森の子供たちがのんびりとたき火を中心に腰を下ろしていた。祝宴が今まさに最高潮に達している人々の盛り上がりをまるで人ごとのようにおだやかに眺めている。
「これでもまだ戦乱は終わってないってんだからな」
形ばかりの戦の準備として傍らに置いてある弓矢をちらりと見やりつつ、狩人は手にした酒を喉に流し込んだ。たき火の脇、地面に突き刺した串の先では肉がいい匂いをあげて焦げている。それを1本引き抜いて口に運んでいるのは隣国の兵士だった。
「うん、焼けてるな」
「おい、杯が空だぞ」
「おおっと、すまねえな。今度来るときは、うちの地酒を持ってくるさ」
「そうしてくれ。そんときはもう少し上手く忍んでくることさな」
斥候として1人で忍んできたこの兵士を樹上から発見した森の子供たちは、うむを言わせずそのまま酒盛りへと連れ込んだ。さらに様子をうかがいに後を追って来た敵兵士の仲間たちは、狩人たちの差し出した焼肉に懐柔された。
「そろそろ野菜も食いたくなってきたな」
「お前らも少しは動けよ。あっち行って農民たちから野菜もらって来い」
「仕方ねえなあ」
敵兵士たちは重たい腰を上げて伸びをし、肉ばかり食う客たちを叱りつけている農民のほうへ向かった。太陽はまだまだ晴天高くのぼっている最中だった。
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切り分けられたベヒモスの肉が次々と焼かれ、行列を作って待つ人々へと振舞われる。長い行列の先頭で肉を受け取った人たちは、まったく新しい味に傍らの人々と嬉しい感想を交換するのに夢中になっていた。
そんな行列の中、人を探して歩く男性がいた。髪の毛には白いものが混じりはじめ、絶えない気苦労がしわとなって顔に刻みこまれている。太陽と人々の熱気の中でも正装を崩さない彼の額には大粒の汗が光っていた。
「まったくどこにいらっしゃるのやら」
その肩を叩く者がいた。振り向くと行列に並ぶ見知らぬ男性だった。
「何か?」
「いえ、お探しのお子さんはあの女の子ですか? さっきからあなたを呼んでいるようなので」
彼の指す方を見ると、長い行列の中に見知った顔が大きく手を振っていた。ずっと変わらない、出会った頃のままの顔が満面の笑みを浮かべていた。人の群れを謝りつつかき分け、ようやく辿り着く。
「姫様! すでに食事はご用意させて頂いておりますとあれほど!」
「お前は何も分かっておらん! 並ばずして何が美味いものか!」
真顔で叱りつけてくる相手にため息をつく。
「姫様を探して右往左往する人々の身にもなってください」
「だからお前に言い残しておいただろう、行列に並んでくると」
「そして私は、それはなりません、と答えたはずです」
ふくれている相手にそう返したあと、ふと周囲のざわめきが変化していることに気付いた。見回すと、行列に並んでいる人たちのみならず、群衆が全員が2人を見つめている。
「まさかあれ、姫様じゃないか」
「おお、うちの食いしん坊な姫様じゃ」
「なんで並んでるんだよ、前に通して差し上げろ」
抵抗するいとまもなく、2人はまるで神輿のように担ぎあげられ、前へ前へと運ばれてしまった。一番美味いところを出せと群衆に怒鳴られ、お前らに言われんでも分かっとるわ、と叫び返す料理長の見事な包丁さばきで見事に切り分けられた肉が料理人たちによって手際よく焼き上げられる。
いくつも並べられた大きなテーブルの1つの中央で、領民たちに囲まれて肉を頬張る彼の主を、執事は隣で見つめていた。気がつけば、見た目は親と娘ほども離れてしまった。それでも忘れられず、捨てきれない気持ちを胸に、今も妻をめとれずにいる。
「うん? どうした」
まるで気持ちを見透かされたような相手の言葉に内心は動揺するも、長い年月の中でそれを表情に出さない程度には自分を鍛えていた。
「口元を汚したまま食事をなさらないでください。嫁の貰い手がなくなりますよ」
「ははは、そうかもしれんな。そのときはお前にもらってもらうか」
「な、何をおっしゃいますか」
くすくすと笑いながら肉を頬張っていた相手が、ふと穏やかな目で彼を見た。
「よく似てきたな。まるで生き写しよ」
「祖父のことですか」
「よく叱られたものだ。昔も祝宴を開いて、口元を汚してな」
「そうですか。姫様もよく似ておられますよ。私が出会ったころの姫様に生き写しです」
真顔でそう告げる執事の言葉に、破顔一笑した。
「あはははは! 違いない!」
ひとしきり笑ったあと、休むようにもたれかかった。そして呟く。
「お前たちだけだ。人として接してくれた。まったく」
100年の定めの中、同じ時を過ごせるのは殺しあう運命にある他の領主だけ。決して相容れぬ立場の彼らとて、戦乱が終わるときに定めは力を失い、全ての敗者には100年の年月が押し寄せる。時の流れにまた戻り、生き残れるのはただ1人だけ。
「ありがとう」
祭りにざわめく喧騒の中では、誰にも聞きとれないような小さな声だった。しかし。
「もったいないお言葉にございます」
「当然だ。大事にしろ」
「さしでがましいようですが1つだけお許しください。姫に涙は似合いません」
「は。ぬかしよる」
ふと、領主になったその日の朝のことを思い出す。領内を見下ろす窓に立ち、背負うことになった土地と人が上る朝日に照らされるのを視界に収めたときのこと。
「目指す国は見えておりますか」
傍らに立つ当時の執事に、きっぱりと答えた。
「決まっておる。私の領地では誰も殺させぬ。100年のあいだ、誰も飢えさせぬ。殺し合いなどあほうどもに任せておくさ。皆にたらふく食わせてやる。ああ、そのためにも稼がねばなるまい」
どこかで朝の支度が始まったらしい。卵の焼けるいい匂いがしてきた。
「目指すのは、そうだな。100年のレシピよ」