Lost in the Shuffle(今は亡きトレーディングカードゲーム専門誌、The DuelistでRichard Garfieldが書かれていた連載コラム)で1995年に書かれたコラムではメタゲームについての考察がなされており、それが2010年06月にDaily MTGで再掲載された。
マジックに限らないその「メタゲーム」というものの考察が面白かったので訳してみた。なお序文はDaily MTGの編集者、Kelly Diggesによる紹介文。
シャッフルの中で/Lost in the Shuffle
2010年06月21日
元記事:http://www.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtg/daily/feature/96
昔々、時の向こうのそのまた向こう、マジックザギャザリング(以下、マジック)や他のゲームに関する月刊誌であり、このサイトの前身でもあるThe Duelistがあった。マジックの創始者であるRichard Garfieldによる「Lost in the Shuffle」というコラムがこの雑誌にほぼ毎月掲載されていた。このコラムのいくつかはすでにここ(註1)に保管されている。ガーフィールド博士は、かつて(そして今なお!)ゲームに関する多大なる考察を行っており、彼はこれらの考察を短く分かりやすくまとめたものをコラム「Lost in the Shuffle」を通じて皆へ提供していた。
初期の「Lost in the Shuffle」は後のそれよりも、より長く詳細なものだった。これは、かつて毎週コラムを書いていた身として非常に共感できるものがある。そして、短い形式のほうが結果としてよりLost in the Shuffleに合っていたとは思いつつも、この優れた博士がより複雑な議題に取り組むことが出来たのは初期の長文形式のコラムだけだったのもまた事実だ。例えば、The Duelist #5に掲載されていたこのコラム「the metagame」のように。
さて、当時ガーフィールド博士がこのコラム内で書いた「メタゲーム」と呼ぶものは、トーナメントプレイヤーたちが用いる意味でのそれよりも少し広い範囲について言及している。彼は「1つの試合に限らず次の試合にまで」影響を及ぼす事柄について述べており、それはフォーマットやハウスルール、そしてカードの入手のし易さや社会契約論まで含んでいる。
リチャードは「メタゲーム」をこのように広く捉えることで、自身が信じるマジックの持つ可能性について非常に深い洞察を行った。
古い記事についてよく言われる警句はこのコラムにも当てはまる。この記事は1995年(古参プレイヤーに分かりやすく言えばアイスエイジ前)に書かれたものだ。今となっては骨董品と呼ぶべきマジックのセット(や他のカードゲーム)について書かれている箇所もいくつかある。
しかしそれらは逆に、リチャードが当然そうなるであろうと予想していたよりもさらにマジックが成長したことを示すに過ぎず、記事を通して勝負から勝負へと受け継がれるもの(信頼、社会的期待、その他諸々の何か)に関する洞察をこのコラムは与えてくれるだろう。
楽しんでくれ。
Kelly Diggesより (Daily MTG 編集者)
(註1) コラムのいくつかはすでにここに保管
リンク先は以下のURL。
http://www.wizards.com/magic/magazine/Article.aspx?x=mtgcom/feature/445
メタゲームとは?/the metagame
Richard Garfield
1995年
引用元:http://www.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtg/daily/feature/96
16歳くらいの頃、私はDiplomacy(註2)で仲間をだまし討ちすることを止めた。約束を何度も何度も破るということは、その効力を弱めるだけだと気づいたからだ。さらに言えばその行為はその瞬間の勝ちは拾えても、結局はのちの勝負の勝利をいくつも代償にしただけだった。私と同盟を組もうとする人はいなくなり、私を裏切ることに皆ためらわなくなった。結局のところ、それは私が彼らに対して行ってきたことなのだから。
好むと好まざると、各勝負をそれぞれ完全に切り離されたものとして扱うことはできない。そう、Diplomacyの各勝負はそれぞれつながっており、ある勝負での私の行為は他の勝負の結果に影響するのだ。
これに気づいた瞬間こそ、挑戦しがいがあると同時にしばしば私を困惑もさせた「メタゲーム」という名の戦場の入り口に私が立った瞬間だった。
それぞれが単独で完結することなく、より大きな1つのゲームの一部となるような複数の勝負を行っているとき、君はメタゲームに参戦していると言える。
チェスを例にとってみよう。君がチェスについて考えるとき、おそらく君は1人の対戦相手との1試合について考える。しかし競技チェスに参加しているチェスプレイヤーにとっては、各試合はより大きな1つのゲームの一部なのだ。
この場合、チェストーナメントはチェスのメタゲームだ。理想的に考えるならこのメタゲームに対して採りうる戦術はひどく単純なもの、各試合すべてに勝つ、になるだろう。しかし実際には、長時間に及ぶトーナメントを通じて体力を温存するために君はわざと引き分けを狙うこともあるかもしれない。ときにはわざと負けることすら選択するかもしれない。
もし君がいくつものチェストーナメントを通じて高い勝率を維持しようと考えているのであれば、君はさらなる高次のメタゲーム、チェストーナメントのメタゲームに足を踏み入れたことになる。
このメタゲームは1つ目のメタゲームよりいくつもの点において面白いものになる。なぜなら君はいくつもの重要な選択を迫られることになるからだ。どのトーナメントに参戦するか、各トーナメントのうちどれにどれだけ注力するか。
多くのゲームはその基本構造にメタゲームを含んでいる。大半のカードゲームには手札があり、各手札が点数を生み出す。手札はゲームを構成する基本ユニットであるが、競技の本当の目的はメタゲームを制すること、つまり一定の総得点を獲得することにある。
よって多くのカードゲームの戦略の一部には、「非常に低い確率ながらも勝ちを狙えるが失敗したら大量失点する」という状況では「あえて少ない失点による負けを選択すべき」と学ぶことが含まれる。
いくつかのカードゲーム、例えばポーカーなどは目の前の試合よりもメタゲームがさらに高い重要性を持つ。ポーカーの手札は確かにいくばくかのお金を君に稼いでくれるが、さらに重要なこととしてそれは君に他プレイヤーの情報を与えてくれるし、また他のプレイヤーへ君に関する誤情報を流すこともできる。これにより、君はその勝負では損を出しながらも、その後の試合でのアドバンテージが得られる。
メタゲームには不思議な魅力があり、それは感染性のものだ。私は最近、良い「ハシゴ」をその周囲にかけることが出来るならどんなゲームでも大ヒットさせることができる、と主張している。
「ハシゴ」とはゲームの参加者をランク付けできるシステムであれば何でもよい。「ハシゴ」というメタゲームの目的は「出来る限り上へ登ること」である。君は自分より上位ランクのプレイヤーたちを倒していくことでハシゴを登るのだ。
私がペンシルバニア大学の大学院生だった頃の話だ。何年かの間、Turbo Heartsと呼ばれるHearts(註3)の一種が人気だった。大学のラウンジには皆で作った「ハシゴ」が備え付けられ、私はそれを登るのに全力を賭けた。まだ学部生だった頃は仲間内でチェス用の「ハシゴ」を作成し、私は生活の全てを賭けてチェスに没頭した。
私が思うにその中毒性を生み出した元は、今現在、私の最新作であるカードゲーム「The Great Dalmuti」(註4)にも潜んでいる「ハシゴ」のようなシステムなのだろう。私はそれを証明するために、ここ、ウィザードオブコースト社の中に「ジャンケン」のための「ハシゴ」を本気で作るつもりだ!
(註2)Diplomacy
ヨーロッパを舞台にしたボードゲーム。カードやサイコロといったランダム要素が皆無で、ほぼプレイヤー同士の「外交」のみでゲームが進むらしい。
(註3)Hearts
基本的に4人で遊ぶトランプを用いたカードゲーム。日本で遊ばれている「ナポレオン」に似ている。なお文中の「Turbo Hearts」はどうやらRichard Garfieldご自身が考案者らしい。
参考:http://www.pagat.com/reverse/hearts.html#turbo
(註4)The Great Dalmuti
中世から存在するPresidentというゲームのバリエーションで1995年にRichard Garfieldによって作られ、WoC社から発売されている。Amazonでも売ってる。
参考:http://www.amazon.com/Avalon-Hill-936851-Great-Dalmuti/dp/B000BZB56W
メタゲームの魅力
メタゲームとは何か。それはゲームという経験に生命を吹き込むものだ。メタゲームを通じてプレイヤーたちはより大きなコミュニティへと参画することになる。
多くの場合、メタゲームとは多くの(本当に多くの)人々が参加するイベントだ。それはあまりに人数が多いため、1回の勝負では勝ち負けを決められない。そのイベントはあまりの大きさに、個人はゲームの全体を把握できなくなるほどだ。個人は全体像を見通せない中、より小さい単位の勝負に注力することとなり、こういった各参加者のやる気がイベント全体に不可欠なものとなる。
またそれぞれのプレイヤーが持つ成功への道筋には多くの選択肢が存在する。プレイヤーはハシゴの最下段からたった1段上がっただけでも勝利の快感を得るだろう。ハシゴの最上段にたどり着かなければ達成感を得ることはできない、などということはないのだ。
実際のところ、良いメタゲームでは他のプレイヤーの目的を気にする必要は無い。私のディプロマシーの戦略が良い例だろう。私が発見したことは、自分にとってのメリットがなくなった瞬間に同盟を切り捨てていくというやり方よりも、私との同盟は信じられるものであり頼れるものであるという評判の方がより多くのゲームで勝てる、ということだ。
この戦略をとることによっていくつかの勝負では1位を逃すかもしれないが、少なくとも2位か3位には滑り込めるだろう、と私は判断した (一時期、私は約束の文言をあえて拡大解釈することで中立的な立場を維持しようとしたことがあった。しかしそこから学んだ教訓は次の通りだ。信頼に足る人間であるように思わせるもっとも簡単な方法は、実際に信頼に足る人間になること、だ。この教訓はゲームの世界だけでなく実生活にも役立っている)
このことから分かるのは、あるディプロマシーの勝負で私のプレイングが全て勝利を目的としたものだと決めてかかることはできない、ということだ。なぜなら、私は1回の勝利よりも約束を守ることのほうが大事だと信じているからだ。
まとめると、各勝負を別個のものとしてとらえるのではなく、それぞれを関連性のあるもの、つまりメタゲームとして包括的にとらえることでより高い勝率を得ることが出来る、と私は考えている。
メタゲームは多くの場合、その元となるゲーム自身の枠を越える有用性や意義を持つ。しばしば実生活にすら影響を及ぼすほどだ。メタゲームで成功するにはお金と体力を必要とする。時と場合によっては、着ている服や住んでいる場所すら影響する。
人によっては、このことがゲームの魅力を減じると言うが、私はこれが良いとも悪いとも思わない。単に、元のゲームには含まれない、メタゲームの一部であるとしか思わない。
例えばブリッジ(註5)の1ゲームで勝つのに持久力はそれほど必要ではないが、トーナメントでは必須となる。キラー(註6)を遊んでいるとき、次の日の朝8時から授業があるかどうかが君の戦術に大きな影響を及ぼすかもしれない。
もし君がピンポンのハシゴにいるとして、君がそのとき挑戦できる相手が1人しかおらずその相手が非常に粘り強い選手だったら、それはひどく苛立たしいことかもしれないが、それもまたゲームの一部だ。
メタゲームが実生活の経験に及ぼす影響についてもっとも良い例は、私とSkaff Eliasがこの冬に参加したMITのミステリーハントだろう。このハントの目的はMITのキャンパス内に隠されたコインを見つけることだ。コインの場所を指し示すヒントは、大量のパズルを解くことでしか手に入らない。
パズルはジャンルを問わない。胃が痛くなるような論理パズルからスカベンジャーハント(註7)まで実に様々だ。
その中のいくつかについては、解く為の指示が一切ない。その反面、解法そのものが他のパズルを解く為のカギとなっている場合もある。
私たちに課せられた課題の中にあったのは「与えられた複数のビデオを映像の順番どおりに並べる」「利き酒ならぬ、利きコーンフレーク」「シルエットから国名や州名を当てる」「音楽の題名で作られた暗号に潜むメッセージを解読する」などだ。
皮肉なことにパズルの1つにはマジックのカードによる置換式暗号パズル(註8)もあった。君たちが思っているよりも解読は難しかったが(Cuombajjなんて単語をマジックに入れたのは一体誰だ?)、とはいえ一度コツをつかんだらあとは簡単だった。
このハントは金曜の正午から始まり、週末をかけて行われる。精神的にも肉体的にも耐久力を要求されるとてつもなくキツい競技だ。11人で構成された私たちのグループは、体力回復のための一眠りをとるギリギリまでパズルに取り込み、数時間の休息ののち競技に復帰した。
ハントで私たちの大きな助けとなったのは、早い段階でSkaffと他一名が2人で解いてくれたパズルだった。そのパズルの答えは、他のパズルたちの解法だったのだ。
これによって私たちは対象のパズルに取り組むことなく、先手を打つ形で多くのパズルの解き方をあらかじめ調べておくことが出来た。いや、多くはそのパズルを見つける前にすでに解き方を知っておくことができた。
しかしこのアドバンテージを持っていて、なお私たちは50いくつのパズルのうちの40個を解くのに週末を丸々使ってしまった。
私たちは月曜日の朝4時に、2位にわずか30秒ほどの差で勝つことができた。私たちに与えられた賞品は「来年度のミステリーハントを企画する権利」だった……来年の参加者たちは苦しむこと間違いなしだ! このハントは私が遊んだ中でも最上のゲームの1つだ。
さて、なぜこういったトレジャーハントがメタゲームの範疇に入るのだろうか? パズルを解くだけではないということなのだろうか?
そう。その通りだ。
確かにただただパズルを解くというのもゲームの一部だが、全てのパズルを解いてコインを見つけるというメタゲームが確かにこのゲームに存在した。このゲームでは君のチームは自分たちのエネルギーとリソースを最も効率よく使うにはどうしたらよいかを考えなくてはいけない。
どの問題に誰がもっとも適しているか? 徹夜してでもパズルを解き続けるべきか、数時間でも睡眠をとるほうが重要か? 他のチームの動向も気にしなくてはいけない。相手よりどれだけ先行できているのか、それとも後れをとっているのか、また自分がどれだけそれを把握できるのか、といったこと次第で作戦も変えていかなければならない。
すでに過去に解いたパズルから解法を入手できているパズルに、3人のチームメイトを割り当てるのはチームにとってどれだけ有益なのか? もしかしたらすでに手に入っているその解法それ自身から、そのパズルを解いた際に得られる情報が隠れている可能性があるかもしれないのに?
個別のパズルを解くかわりに、もう最終回答を求めることに注力するべく人手を割いたほうがよいのか? それとも割かないほうがよいのか?
全てはより大きなゲームプランにつながっている。あの3日間、いつ食べるか、から、いつ寝るか、まで全てはそのゲームの為だった。
(註5) ブリッジ
ブリッジはトランプで遊ばれる4人用のゲーム。
麻雀のように1ゲームごとで点数を計算する賭け事向きのゲーム。
(註6) キラー
以下のURLにある Card Game の Killer のことと思われる。
ルールは簡単に言うと大貧民。
http://en.wikipedia.org/wiki/Killer
(註7) スカベンジャーハント
主催者側が用意したリストに載っている物品を最初に全て集めたら優勝というゲーム。シカゴ大学が毎年5月に行うスカベンジャーハントが特に有名らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Chicago_Scavenger_Hunt
(註8) 置換式暗号パズル
原文はCrypt-List。
以下のリンク先では、JAVAスクリプトで遊べるCrypt-Listパズルが紹介されている。
http://www.crpuzzles.com/clist/index.html
マジックにおけるメタゲーム
トレーディングカードゲームはメタゲームの要素を本質的に強く持っている。なぜならカードの移り変わり自体がメタゲームだからだ。そこには常に、今現在プレイしている手札だけでは推し量れない、より大きなゲームの世界が存在している。プレイヤーは「どうやったらこの試合に勝てるか」だけでなく「次の試合ではデッキをどう変えるべきだろう」まで考えている。
人々がカードを交換したり買ったりするとき、彼らは自身のデッキ構築にあらたな選択肢を与えるという形でメタゲームの一手を打っているのだ。
トレーディングカードゲームのコミュニティ内のカードプールに変化が訪れるとき、それはコミュニティ内のゲーム環境もまた変えるのだ。もし君の属しているコミュニティ内にフォールン・エンパイアがまったく存在しなかった場合や、またはデッキに投入できるだけの量が手に入ったので君の白デッキにたくさんの《Combat Medic》が投入された場合、これらは君のコミュニティ内の環境をまったく変えてしまうだろう。
そう、君はメタゲームを動かしたのだ。
私が初めてトレーディングカードゲームのコンセプトを考案したとき、ゲームのことについて学ぶこともまたそのゲームの一部となる未来を心に描いた。
私はカードリストをプレイヤーに提供してはならないものと考えていた。それは単なる索引や辞書的にしか使われないで終わってしまう。古参のマジックプレイヤーたちはおそらく覚えていることだろう。今のように情報があふれていなかったあの時代、否応なくプレイヤー同士でゲームについて語り合い、情報を交換する必要があった。
現在、人々はセットに入っているカードが何なのかをずっと早く知ることができる。リリース情報はインターネットを使えばほぼすぐに手に入ってしまう。
しかし、もしかしたら情報に乏しかったあの時代が、ほんの少しとはいえ今現在のマジックのコミュニティを作る助けになった、と言えなくはないだろうか。トレーディングカードゲームの世界を探索しようとするプレイヤーたちのメタゲーム的な行為を通じて、人々が集まるようになったのだから。
実のところ、トレーディングカードゲームにおいて「基本」と呼べる環境は定かではない。ああ、もちろんマジックの基本は「1対1」だ。しかしその「1対1」は未開封のトーナメントパック(註9)を使ったものだろうか?
それともDCI(註10)の提供している構築ルールに従ったものだろうか? それともコモンカードに限定した構築? それとも君の妹のおもちゃ箱に入ってるカードに限定した構築? これら全ての制限された環境ごとに、異なるメタが存在する。それぞれ、要求されるスキルも異なり、つちかわれる経験もまったく違うものになる。
メタゲームが自然と問いかけてくることになるこういった流れに対し、私たちはその回答として、新たな階層を用意する。トーナメントやリーグ戦などだ。DCIは、カードの制限を加えたり様々なイベントを提供することで、ローカルなものから国際的なものまで様々なレベルのトーナメント(メタゲーム)を生み出している。
今やちまたにはトレーディングカードゲームがあふれている。メタゲームは今や手がつけられないほど大きくなった。
君はマジックのカードとStar Trek(註11)のカードを交換したことがあるだろうか? Illuminati(註12)のカードとWyvern(註13)のカードは? On the Edge(註14)とBlood Wars(註15)は? これら全てのゲームのルールを知っているだろうか? 今や広がりゆくメタゲームはあまりに広大で、把握しようとすることすら不可能に近い。
MITミステリーハントを終えて、Skaffと私はこのハントのようなイベントをマジックで行うにはどうしたよいかを話し合った。私達の結論は、チーム制の大会を週末をかけて行ってみよう、それも4人で構成される各チームが1回では参加しきれないほどたくさんのイベントを用意しよう、というものだった。
イベントごとに異なる獲得ポイントを用意し、また賞品もイベントごとに異なるものにする。各チームには初めに300枚ほどのランダムに割り振られたカードが渡される。その週末の大会のあいだ、君たちは点数を獲得するべく、デッキを何度も作り直すことになるだろう。そして、ミステリーハントと同じく、ここで開催される素晴らしいゲームイベントでは様々な決断が多様なレベルに影響を及ぼすことになる。
カードプールから最強のデッキを1つだけ作り、最もポイントの高いトーナメントを狙うか? それともカードをばらけさせ、ポイントが低いトーナメントを複数狙うか? 上位5人への賞品が「好きな基本土地カード 6枚」のトーナメントは、上位5人への商品が「ザ・ダークのブースター」のトーナメントよりも価値があるのか? 無理しててもトーナメントに参加する回数を増やすか、2時間だけでも睡眠をとったほうがよいのか?
このイベントでは広い範囲の才能や資質が要求される。当然、その中には持久力も含まれることになるだろう。
週末の最後にもっとも高いポイントを稼いでいたチームが優勝となる。もしかしたら、各チームが使い続けたそのデッキを使って、最後の大一番となるプレーオフを行うことになるかもしれない。そして私たちはそこで得られた総合ポイントをさらに大きな大会に持ち越すこともできる。その大会は数ヶ月にかけて行われるものになるだろう。そしてそれらの大会で得られたポイントをさらに大きな大会に持ち越すのだ。
メタゲームというこの題材は私の心をとらえて離さない。もし私たちが各試合それぞれに注いでいる情熱の半分をメタゲームに振り向けさえすれば私たちはよりよいプレイヤーとなれるはずだ。それだけでなく、またイベントもずっとよいものになるはずだ。
実のところ、それ以上に人間としてより向上することができるはずだと信じているが、それを証明するためには、いましばらくの時間と場所が必要だ。
(註9) 未開封のトーナメントパック
原文では「stripped starter deck」。第6版以前はスターターと呼ばれていたもので、ブースター3パック分のカードと基本土地を合わせて60枚入っている。
(註10) DCI
原文では「Duelists’ Combocation」。DCIの旧名称は「Duelists’ Convocation International」で、その略称がDCIだったが、現在は正式名称がDCIとなっている。
公式サイト:http://www.wizards.com/default.asp?x=dci/welcome,,ja
(註11) Star Trek
スタートレックを題材にしたトレーディングカードゲーム。1994年発売。
公式(?)サイト:http://www.trekcc.org/ (リンク先は英語)
(註12) Illuminati
カードゲーム「Illuminati」を元にしたトレーディングカードゲーム。19971994年発売。
公式サイト:http://www.sjgames.com/inwo/ (リンク先は英語)
(註13) Wyvern
ドラゴンやワイバーンとなって宝を奪い合うトレーディングカードゲーム。1994年発売。
(註14) On the Edge
Over the Edge RPGを題材にしたトレーディングカードゲーム。1994年発売。
公式サイト:http://www.atlas-games.com/ontheedge/ (リンク先は英語)
(註15) Blood Wars
D&DのPlanescape世界を題材にしたトレーディングカードゲーム。1995年発売。